春2003年:また旅行をする季節になった。今回の旅行先はアジアではなく、再び旧ソ連の一国であった。
それはウクライナという旧ソ連の15ヶ国の三番目に大きい国で、ベラルーシ(ベロルシア)・ポーランド・スロバキア・ハンガリー・ルーマニア・モルドバ・ロシアと黒海に囲まれている。ウクライナという国名を聞くと、沢山の人はその国をキエフという首都とクリム半島、そしてチェルノブイリで起こった原発事故などと連想させる。ヨーロッパでのウクライナのイメージはあまり良くない:大混乱・放漫財政・車の闇取引などについての噂がとても多い。
しかし、ヨーロッパの真中にある大きい国なのに、詳しい情報があまりない。このベルリンから列車で16時間しか離れていない国は本当にそんなに大変だろうか。こういう噂は一体本当かどうか。そして「ウクライナの文化」はただ「ロシアの文化」の一部か全く違う文化か。ソ連崩壊後のウクライナはどれぐらい発達しただろうか。そして最後として、一体なぜ観光客があまりウクライナへ行かないかという問題の解決を探したかった。元々外国の文化・歴史や風景などに深い興味がある上、ウクライナにはいい友達が働いてるという事実はウクライナを旅行先にする決定的影響を与えた。今すぐ結論を先に言ってしまうと、この決定を後悔する理由が一つもない。
旅行のルートは右の地図通り。ヤルタまで以外はどこにも列車で行った。まずベルリンから列車でポーランドを横断してキエフまで行って、ウクライナを一周してスロバキアのコシツェ、そしてチェコのオロモウツと→リベレツ経由ドイツに戻った。詳細な情報は上のメニューから選ぶこと。
このウクライナについてのページを楽しんで読んでください。全てのデータは2003年のデータなので、
変化してしまった可能性がある。意見・感想・改良の提案は遠慮せずコメントあるいはゲストブックでどうぞ。
Leave a Reply