ルーマニア:サツ・マーレ


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一般的な情報

地名

ルーマニア語の地名は Satu Mare (サトゥ・マーレ)で、「Satu」は「村」で、「Mare」は「大きい」。要するにその地名の意味は”大きい村”だ。ハンガリー語の地名はSzatmár(サトマール)、ドイツ語の地名はSathmar(ザトマール)だ。日本語で「サツ・マレ」と「サツ・マーレ」という二つの書き方がある。

位置

ルーマニアの北西のコーナーにあるサツ・マレは首都のブカレストから約450キロ離れている。北方のウクライナまでは30キロ、西方のハンガリーまでは10キロだけ。サツ・マーレは肥沃な平原の中にあり、山の山麓から数キロ離れている。市内はSomeş(ソメシュ)川に貫流されている。

人口

約130,000人。同名のJudetul Satu Mare(サツマレ県)の人口は395,000人だ。市民をみると、6割以下だけはルーマニア人だ。3分5厘はハンガリー人で、4%はドイツ人(詳しくいうとシュヴァーベン人)だ。それに加えて、2%以上のジプシーの少数民族もある。サツ・マーレはMaramureş(マラムレシュ)地方の三つの都市の一つだ。第一は、Baia Mare(バイア・マーレ)で、三番目はSighetu Marmaţiei(シゲット・マルマツィエイ)だ。

町の姿

町の大部分と旧市街はSomeş(ソメシュ)川の北岸に広がっている。駅は中心から1キロ以上離れて東にある。駅前には町の小さいバス・ターミナルと大きい遊園地がある。そこから、あまり綺麗ではない並木のメイン・ロードBulevardul Traian(トライアン大通り)が中心的なPiaţa Libertăţii(解放広場)まで走っている。広場と呼ばれているが、それより公園のほうがあっている。解放広場には色々な教会や博物館、ホテルなどが面している。特に面白いのは広場と河岸の間の地区だ。チャウシェスク時代には、そこに亘った旧市街が完全に潰され、その代わりに殺風景なコンクリートの砂漠ができてしまった。そこには、近代的な市役所も立っている。

往路

南方のOradea(オラデア)、そして Arad(アラド)、北トランシルバニアの大都市Cluj-Napoca(クルージ・ナポカ)または Baia Mare(バイア・マーレ)へ行きたい場合には、列車は一番便利だ。その上、一日中2本のハンガリーの首都ブダペスト行き直行もある。然し、サツ・マーレから一番近いハンガリーの大都市へ行きたい場合にはバスも列車もないのは珍しい。その場合には、タクシーで国境まで行って、そこからヒッチハイクする方法しかない。国境通過点はPetea(ペテア)にあり、タクシーで行くと80,000レイかかる。北マラムレシュの都市Sighetu Marmaţiei(シゲット)まではバスしかない(3時間、125,000レイ)。

見所

サツマレは初めて10世紀にCastrum Zotmar(ゾトマル城)として記録に現れた。最初から、多くのドイツ人はその周辺へ定住した。当然ながら、お城もあったが、そのお城はいつか完全に崩壊されてしまった。オスマン帝国やハンガリー、ハプスブルク家などはサツマレを攻撃したり占領したり追い払われたりなどをした。1699〜1918年まで、そして第二次世界大戦のときにもサツマレはオーストリア・ハンガリー帝国またはハンガリーだけの領地であった。残念ながら、その時代から建物があまり残っていない。

 

大きな正教の大天使の教会

大きな正教の大天使の教会

 

この町は大きくて中々近代的だ。いわばあまり面白くない都市だ。ただ中心的な解放広場の周辺には様々な見所がある。その内、かなり大きい正教会のガブリエルとミハエル大天使教会は他の面白い建物も並んでいるStr. 1 Decembrie 1918(1918年12月1日通り)に立っている。この教会は現在にルーマニア人の信仰者に使われている。周りの立派な建物はサツマレの昔の繁栄時代の証だ。

 

サツ・マーレの古いシナゴーグ

サツ・マーレの古いシナゴーグ

 

他のルーマニアの大都市と同じく、サツ・マーレにも大きいユダヤ人の少数民族がいた。全部で、約13,000人のユダヤ人は町に住んでいたが、1944年までほとんど全てのユダヤ人は収容所へ抑留されて虐殺されてしまった。昔は全部で8軒のシナゴーグがあったが、現在には大きいシナゴーグだけが残っている。そのシナゴーグは1920年に完了され、中心のPiaţa Libertăţii(解放広場)から南へ数十メートルだけ離れている。シナゴーグはチャウシェスク時代に行われた不遜の町づくりからの未完の建物に囲まれている。

 

ローマ・カトリック大聖堂の中

ローマ・カトリック大聖堂の中

 

サツマレの中心の Piaţa Libertăţii(解放広場)の東面にはまず大きい丸屋根がのっているローマ・カトリック大聖堂が目立っている。この教会は1800年ごろ作られたものだが、第二次世界大戦のときに大損害を受けてしまった。教会の形は珍しくて、ダンベルに似ている。前にも後ろにも大きさが同じの丸屋根があり、中廊で結ばれている。教会の中は非常に広くて飾りは素晴らしい。この教会でのミサはハンガリー語で行われている。

 

ハンガリー改革派の教会の夜景

ハンガリー改革派の教会の夜景

 

中心の北部には小さいPiaţa Păcii(パチイ広場)がある。広場の真中にはハンガリー改革派の教会が立っている。サツ・マーレには沢山のハンガリー人に関する施設がある。店などにもルーマニア語とハンガリー語、そして偶にドイツ語が書いてある。クルージ・ナポカには国粋主義の市長のせいでハンガリー人の少数民族は尊重されていないが、サツ・マーレは明らかに違う。

周辺

サツ・マーレは田舎のマラムレシュ地方を見学するためにいい始点である。東方へ数キロ離れているところにはカルパチア山脈の山麓にある大都市Baia Mare(バイア・マーレ)が広がっている。バイア・マーレの意味は「大きい鉱坑」 だ。周辺には金鉱が採掘されている。2000年にはひどい環境災害があった。鉱山のダムが溢れてしまい、大量の青化物入り排水がティサ川に流れ込んでしまった。その排水はドナウ川と黒海にも悪い影響を与えてしまった。

数キロ東へ行くと、Negreşti-Oaş(ネグレシュティ・オアシ)という小町がある。その小町はブーム中で、無数の素晴らしい出来上がったばかりのビラが並んでいる。市内には、沢山の外国のナンバープレート付き自動車が見える。それは建築ブームの理由であるだろう。

宿泊・食事

そんなに沢山の選択肢がないらしい。ロンリー・プラネットによって、一番安いホテルは「Hotel Sport」と呼ばれているが、満室になるところもある。私たちがそのホテルへ行ってみたとき、書いたように満室だった。予約しないと泊まれなさそう。

解放広場の北面には古くて大きいHotel Dacia(ホテル・ダチア)がある。やや高級のホテルなので、値段は比較的に高い。大きいダブルは一人で550,000レイ(1700円)になる。その値段は朝食付だ。住所:Piaţa Libertăţii 8、電話: (061)-714 274, Fax.: 715 774.

Piaţa Păcii (パチイ広場)に接する大きい建物の中庭にはRestaurant Mioriţaがある。雰囲気はとてもよくて、ハンガリー料理とルーマニア料理がある。質がよくてスタッフは親切だ。値段は普通。

リンク集

  • www.satumare.ro:Yahoo のようなサツ・マーレのインターネット・ポータルの英語版。
  • www.satu-mare.net:町の公式のページ。町についての情報、歴史概要などもある。ルーマニア語と英語。
  • park3.wakwak.com/~sub_1/ropage:マラムレシュ地方へ行った旅行者の長い旅行記。日本語。

サツ・マーレとその周辺についての面白いホームページを持っていますかまたはご存知ですか? その際には住所を知らせてください。確認した後、ここにリンクを入ります。 商業上のホームページはお断りです。

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