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一般的な情報
国名
Република България (レプブリカ・バルガリア)。ブルガリア共和国という意。昔「勃牙利」という書き方もあった。ブルガリアの国旗は右側のよう:上は白(平和のシンボル)、真中は緑で、自由という意味で、そして下の赤は「勇気」を象徴する。ロシアの国旗にのっとる。
面積
11万 km² (本州の半分ぐらい)
人口
約750万人 Mio* (2003) ― (東京都の3分の二位)。 人口密度は68人/km²だけ(日本は336人/km²!)で、非常に低い。 最近には少子化と高齢化はまじめな問題になってしまった。それの理由は経済の悪化で、出産された100人に対して122の堕胎がある(1995年のデータ)。
民族
84%弱ブルガリア人、約10%トルコ人、5%以下ジプシー、 その他のアルメニア・タタール、マケドニア人などの少数民族など*
宗教
民族割合通り84%はブルガリア正教、12%ムスリム、そして カトリックやプロテスタント、ユダヤなどの少数派
時差
日本より7時間遅れ。サマータイムがあるので、4月の下旬から10月の下旬まで(大体その月の最後の土日の間の夜から)時差は日本より6時間遅れるようになる。
言語
ブルガリア語。南スラヴ語という語族の一言語で、マケドニア語とほとんど同じ。現在にはブルガリア語は 800万人だけぐらいが使う言語で、マイナーの言語。それは昔と違う。10世紀頃、ブルガリア語は古教会スラヴ語という大切な言語とほとんど同じで、ヨーロッパで文章に使われた第三番目に大切な言語だった。簡単に言うと、 ブルガリア語はロシア語にすごく近い。ロシア語と同じく、キリルの字体が使われているが、「ъ」(硬音記号)の発音は違う:ロシア語では、その硬音記号は前の字を固くするが、ブルガリア語ではそれは弱い「ウェ」。「ブルガリア」という国名は「България」と書かれ、最初の「Бълг」はロシア語で発音することが無理だ。しかし、ブルガリア語での発音は「ブェル…」で、早く喋ると「ブル」と聞こえる。 ロシア語ができる人はブルガリア人と話せるが、訛りもあるのでロシア語ができても 何もわからないところもある。
様々なスラブ語での一番大切な単語の一覧を見るため、ここをクリックして下さい。
自然
ブルガリアはバルカン半島の中心を占めて、北にルーマニア(国境の大部分はドナウ川)、西にセルビアとマケドニア、南にはトルコとギリシアという隣国がある。東には黒海があり、350キロぐらいの海岸がある。国全体の大部分は山地に覆われている。その内、Стара Планина (スタラ・プラリナ、別名はバルカン山脈)とРодопи (ロドピ山脈、別名ロドープ)、南東のСтранджа(ストランドシャ山地)、そして中々小さいРила(リラ山塊)とПирин(ピリン山塊)がある。リラ山塊にはブルガリアの一番高い山がある。それは標高2925メートルのМусала(ムサラ峰)という山だ。北部のドナウ川沿いには比較的に低いドナウ平地が広まっている。ドナウ平地には肥沃なチェルノゼム(黒土)が圧倒的に多いので大部分は農地になっている。
ブルガリアの景色は殆どどこでも非常にきれいで、様々な素晴らしい国立公園のおかげで保存されている。その内、ロドピ山地(参照: スモーリャン)やリラ山地、そして一番南東にあるロポタモ川沿いの国立公園などは本当に素晴らしくてお勧め。私にとって一番印象的な風景は海岸のミチュリン市からトルコとの国境にあるマルコ・タルノヴォの間の道路だった:景色ばかりではなく、道路沿いの伝統的な村などは本格のブルガリアを感じさせる。
歴史
ボリス1世のおかげで、ブルガリア帝国の同化とキリスト教化が進んだ。その後に統治したツァー・シメオンのとき、ブルガリア帝国は一番広い範囲を占めた。ほとんど全てのバルカン半島はブルガリア帝国の領地であったといえる。しかし、シメオンが亡くなった後、ブルガリアは益々弱化して、そのときのПреслав(プレスラフ)都はビザンチンの攻撃の結果として崩壊された。そのため、現マケドニアのОхрид(オフリド)は新しい都になった。1018年にはブルガリア全体がビザンチン帝国に併合された。1185年にはアッセンとペーター兄弟が反ビザンチンの蜂起を指揮して一応ビザンチン帝国をブルガリアから追い払った。結果としては第二次ブルガリア帝国が創設され Велико Търново(ヴェリコ・タルノヴォ)を繁栄する都にした。
1396年には第二次ブルガリア帝国は結局没落した。元ビザンチン帝国はオスマン帝国になって強化したので、ブルガリアは再び完全に併合された。併合を伴って、沢山のトルコ人がブルガリアへ移住してイスラム化が推進された。あちこちに残されたРила(リラ)などの僧院ではブルガリアの文化が生き残れた。オスマン帝国の長い占領の時代には沢山のブルガリア人がキリスト教からイスラム教に改宗した。その人たちはポマックと称され、現在にもある。
次の数百年間のオスマン占領時代には無数の教会や修道院などのブルガリアの文化のシンボルがなくなった。時々反乱が勃発したが、大規模な蜂起があったのは1876年の前ではなかった。そのとき、Копривщица(コプリフシュティツァ)では大きな反乱が勃発したが、前の蜂起と同じく冷酷に鎮圧された。しかし、この出来事は段々発達しているヨーロッパで注意された。ロシアは少し後オスマン帝国に宣戦布告してブルガリアを侵略した。ブルガリア人とロシア人は協力してプレーヴェン市とシプカ峠でオスマン帝国の軍隊を戦った。その露土戦争のせいで、約20万のブルガリア人とロシア人が戦死した(オスマン帝国の戦死者の人数は不明だが、それより高いといわれている)。ロシアは結局勝利してブルガリアを解放することができた。1878年のサン・ステファンオの条約によって、バルカン半島の大部分は自由なブルガリアの領地になることが決められたが、同年のベルリン条約は前のブルガリアにとって有利な条約を修正した。新しい条約の結果としては南ブルガリアいわゆる東ルメリアやギリシアとマケドニアの大部分は新たにオスマン帝国の属州になってしまった。
1879年に行った第一国民会議ではブルガリアの始めての憲法が制定された。君主制のブルガリアの支配者はドイツの貴族の人であった。しかし、本当の独立を宣言したのは1908年であった。少し後、ブルガリアは隣国のギリシアとセルビア王国と一緒にオスマン帝国に宣戦布告してオスマンの軍隊を第一次バルカン戦争のときにヨーロッパから追い払った。戦勝のおかげでブルガリアの領地が著しく広くなってきた。但し、次のセルビアとギリシアとブルガリアの間には第二次バルカン戦争が勃発した。その戦争の基本的な理由はブルガリアの一部の マケドニアだった。ブルガリアは敗戦して、前の戦争で得た領域より広い地域を失ってしまった。こういう次第でブルガリアは混乱した。第二次世界大戦にはブルガリアは親独だったが、ナチ・ドイツが要求したブルガリアのユダヤ人をドイツに委ねなかった。戦争のとき、国内の共産主義の運動が益々強化した。同時にブルガリアの大都市が連合国に空襲された。
1944年9月にはソ連の赤軍がブルガリアを侵略した。ブルガリアで創設された共産党の祖国戦線はブルガリアの政権を握った。ゲオルギ・ディミトロフの治下でソ連風の制度が作られ、ソ連と切っても切れない縁を結んだ。1962年以降、トドル・シフコフは一番強い政治家になった。彼は1989年に党内のクーデターによって退位された。その後、共産党は相変わらず与党であったが、経済などの革命を推進してみた。1990年代のとき、与党がよく変わってきて状況が悪化した。反乱や国会の占拠、激しいインフレや大量解雇などの出来事がブルガリアを錯乱させた。近況を見ると、経済的かつ政治的な状況が少し安定してきた。現在の総理大臣は2001年に選挙されたシメオン2世というドイツのザクセン・コブルク・ゴータの王様(民主的な選挙!!!君主制と間違わないで下さい!!!)。
上述のように、少子化は大きな問題になってしまった。その上に、沢山の頭がいいブルガリア人は大学を卒業した後に外国に行ってしまう。今では、人口の8分の一は赤貧の中に暮らしている。失業率は18%で相変わらず高いが、90年代より絶対いい。ブルガリアは2004年にNATO(北大西洋条約機構)のメンバーになり、近い将来に欧州連合に加盟する予定だ。
旅行案内
前書き
ブルガリアは日本で「ヨーグルトの国」と呼ばれているが、それは相応しいあだ名だろうか。ブルガリアにはヨーグルトとヨーグルト入り料理が確かにあるが。隣国でも中央ヨーロッパなどでもヨーグルトは伝統的な料理の大切な部分だと言える。このヨーグルトはブルガリアに輸入されたものかまたは ブルガリアから輸出されたものだろうか。ブルガリアの地方は確かにヨーグルトの地元で、ヨーグルトを作るための乳酸菌はlactobacillus bulgaricusと呼ばれている。それにもかかわらず、ブルガリアで非常に美味しいヨーグルトがあるわけではなく、トルコ・グルジア・ドイツなどの国にもおいしいヨーグルトとヨーグルト入り料理が沢山ある。現況を見ると、ブルガリアは世界でヨーグルトより香料とブドウの生産で有名だ。バラ油なら、ブルガリアは45パーセントを生産して、ブルガリア製のバラ油は世界の第一。それに加えて、ブルガリアは世界の一番大きいラベンダー油の生産国だ。ブルガリアのワインもヨーロッパで有名で沢山の国に輸入されている。そう考えると、ブルガリアは「薔薇の国」と呼んでもいいだろう。バラは特にバラの国という真中にある長い谷に栽培されている(参照:カルロヴォ)。
ビザ
日本人はビザが不要になったので、勝手に入国することができる。
お金
ブルガリアの通貨はレフ(複数:レヴァ)と呼ばれて、補助通貨はストティンキと称されている。1991年ぐらい、古いお金が廃止になって、新しいお金が導入された。しかし。90年代の経済の悪化と共に行った激しいインフレのせいで、そのお金はすぐ使えなくなった。そのため。1999年にはデノミが行われ、また新しいお札とコインが導入された。その新しいお金はドイツ・マルクと連関しているので、安定になった。ドイツ・マルクとのレートは1:1であったが、マルクはユーロになったのでユーロと連関している。そのため、1ユーロは1.93レヴァで、1レフは0.48ユーロ(夏2003年現在)。ATM(現金自動支払機)などがあって、為替の闇市場がなくなった。その決まっているレートよりいいレートを提供する人は絶対ペテン師だからご注意。そして偽警察もあるので、誰にも財布を表さない・あげないようにしよう!大都市、そして高級のホテルとレストランならクレジット・カードが使える。日本円よりドルとユーロが普及している。1999年前のお金は無効になった。コインでは、1・2・5・10.20・50・100ストティンキのコインがある、お札では1・2・5・10・20・50・100レヴァのものがある。
ご注意:ブルガリア以外でブルガリアのお金を両替するのは無理らしい。隣国のマケドニアさえでレヴァを両替する場所がほとんどないので、ブルガリアにいる間に使い尽くすか再両替したほうが良い。
物価
ブルガリアは相変わらずヨーロッパで一二に安い国だ。まず宿泊について。もちろん、ブルガリアではホテルなどが沢山ある。しかし、外国人は普通の値段の2倍を払う場所もあるので、気をつけたほうがよい。大都市なら、一つ星から五つ星まで何でもある。ホステルなどの安宿があまりない。黒海の海岸沿いの地方(特にヴァルナとブルガスの辺)ではリゾート地が多くて。予約せずリゾート地のホテルに泊まることは難しい。その代わりに、その周辺にはきれいなキャンプ場もたくさんある。ホテルよりプライベート・ルームという民宿で泊まるのは大変お勧め。町の案内所は民宿を仲介すると、直接のほうが安い。そのため、列車またはバスで着くとき、プライベート・ルームを提供する人を探そう。民宿の部屋はだいたい清潔で。トイレとシャワーは家族と共用。一人で200円〜1500円までぐらいになる。民宿で泊まるのは東欧の他国と同じく一石二鳥:安く泊まれて、ブルガリア人と知り合うチャンスだ。外食することも列車とバスで国内移動をすることも値段が安くて質がだいたいびっくりするほどいい。量が多い食事で300円以下とエスプレッソ一杯で30円だけを払ってもちゃんとできたもので「安っぽい」ということがほとんどない。海岸のリゾート地では物価はそれより高いのは当たり前だ。
往路
日本からはブルガリアまでの直接便がないので、少なくとも一回乗り換えることが必要。一番早くて安全なのはパリまたはフランクフルト・ウイーン・経由のフライト。ヨーロッパのほとんど各首都からソフィアまでの便がある。ブルガリアの国立の航空会社は「Balkan Airlines」という会社で、一言で言うとヤバイ。バルカン・エアで二回行ったとき、いつも遅刻してサービスも最低だった。それに加えて、ブルガスに着陸したとき、死の恐怖に襲われた:主翼の隣の席に座って、着陸の数秒前には飛行機は突然すごく揺れて主翼は危うく滑走路を触った。この航空会社のスローガンは「Wingsof Challenge」(挑戦の翼)ということで。この航空会社で行くのは確かに本格的なチャレンジだと思った。
もちろん、列車と車でも入国できる。国際列車なら、ギリシア・トルコ・ユーゴスラビアとルーマニアからブルガリアまで行ける。直接列車はベオグラード・ザラトフ(ロシア)・キエフ・モスクワ・イスタンブール・ブカレストとテッサロニキまで走る。マケドニアまでは列車がないので、セルビアまたはギリシア経由行かなければならない。バスなら、ソフィアからマケドニアのスコピエ首都までのバスの運賃は20レヴァで、所要時間は5時間半だ。それ以外は、マケドニアなどまでの国際バスもある。特にバスまたは車で入国するとき、わいろにかかってしまう可能性がある(自分で行ったとき、トルコの国境は大丈夫であったが、ギリシアとの国境ではわいろを払わないと入国できなかった)。空港で着くと、そして列車で入るとわいろが必要ない。
国内移動はあまり問題ではない。列車とバスが沢山あるので、そして運賃は非常に安いので移動しやすい。ブルガリアという国はあまり大きくなくてコンパクトなので、国内移動はあまり時間がかからない。列車なら、ソフィアという西にある首都から東岸のブルガスまでは7時間、ヴァルナまでは8時間かかる。それはブルガリアで一番長い所要時間。バスの場合では、短距離ならおんぼろバスがかなり多いが、長距離バスは最高だ。普通のバスで行くと、運賃は運転手のところで払うべき(普通は運転手の隣に責任者が座っている)。最近、バスは列車より早くて便利になってきたので、両方をチェックしたほうがいい。
特にソフィアなどでの市内バスの場合には、バスの中で払えないので違う場所で切符を買うことが必要だ。そのことをわからなかった私はソフィアのバスに乗ったとき捕まれてしまった。「キセル乗車するでしょ!罰金を食わせるよ」と言われて、「いや、乗ったばかりで、どこで切符を買えるのはわからなくて運転手のところでもらえなかった」と答えた。相手は頑固に罰金を取りたかったが、他のブルガリア人の乗客は彼をしきりに説いた: 「彼は外国人で、そういう制度をわかるはずないでしょ!だから罰金を科するのは不正だよ!」。すると車掌はギヴアップした(ちなみにその罰金は約100円だった!)。
国境通過点
様々な自分で体験したブルガリアの国境通過点について(もちろんそれより もっとがある):
- ブルガスの国際空港:一番快適かつ安全な入国方法かもしれない。
- ジュルジュ (ルーマニア) → ルセ:ルーマニア側のジュルジュ市からやや遠いので自分の車がないと難しい。一日中3本ぐらいの列車が通過する。検査自体は無難。ブルガリア側から8キロ離れているルセ行きバスがある(0.4レヴァ)。徒歩でも自転車でも通過できる。
- クラタ (ギリシア) ― サンダンスキ:ソフィアとテッサロニキの間にある。近況はわからないが、1996年には入国するときにわいろが必要だった。列車でも車でも通過できる。
- ギュシェヴォ ― スコピエ方面(マケドニア):検閲が厳しい。バスを降りて開いた荷物の前に整列。いじめみたい。しかし、検問は外国人の旅行者に全く興味がない。
- マルコ・タルノヴォ ― キルクラレリ(トルコ):森林の中にあるプチ通過点。両側では国境までの共用交通機関がないのでヒッチハイクだけで行ける。周りの景色は素晴らしくて、それを見るためだけには出入国はお勧め。あまり無難だが、トルコ側では短い診療(顔を見るだけ)などがあるからちょっと手間かかる。
国内移動
上述のように、列車があるが、バスのほうが早くて近代的。運賃はあまり変わらない。長距離バスは途中でよく休憩するために止まるので快適。タクシーはどこでもあるが、しつこい運転手が多い(バルカン半島へようこそ!)。
伝統的なブルガリア料理 |
食事
前書きに書いてあるように、ブルガリアではヨーグルトはよく使われているが、ブルガリア料理という言葉を聞くと、まず「羊のチーズ」が 頭に浮かんでくる。それは「Сирене」(スィレネ)と呼ばれて、本当によく使われている。そのチーズでポテトフライさえかけられている! それ以外は豚肉、トマト・キュウリ・茄子などの野菜、そしてハーブとオリーブ・オイルがよく使われている。沿岸では、魚料理が多い(だいたい焼いた魚)。東欧で有名なのはショプスカ・サラダというオリーブ・オイル、キュウリ、ピーマン、そして羊チーズがのっているサラダだ。キュフテというトルコの伝統的なミート・ボール(写真の右下)、そしてムサカというギリシアのグラタンなどの料理も沢山ある。自分にとって一番気に入った料理は「Сирене по шопски」(スィレーネ・ポ・ショプスキ)と呼ばれている(写真の左下)。それはトマト・卵・オリーブ・オイル・羊チーズが入って、オーブンに焼いたもの。ハーブがたっぷりで、パンで食べると最高。ブルガリアのヨーグルトを挑戦したい方は「Таратор」(タラトール、写真の右上)を食べてみよう。それは冷たいヨーグルトのスープで、キュウリとハーブが沢山入っている。このタラトールは特に夏に最高。それに加えて、「Мишмаш」(ミシュマシュ、写真の左上)というチーズやトマトなどが入っている煮物もある。ミシュマシュは「ぐちゃぐちゃ」という意味で、見るとわかる。
ブルガリアでは、ワインは有名。しかし、甘口の赤ワインは一番多くて、それが好きではない人もいるだろう。ブルガリア製のワインはヨーロッパでどこでも売られているが、どこでも「激安」というイメージがある(美味しい種類もあるが、それはブルガリア以外に手に入りにくい)。続いて、ビールもある。そのうち、ザゴルカ、ストランシャとカミェニツァは一番有名。隣国と同じく、マスティカというアニスから作られている強いアルコールもあるが、それの味はうざくて飲めない人が多い(ギリシアのウーゾとトルコのラク (参照: トルコの旅行記、一番下のレストランについての文章)と同じアルコール)。自家製のスリーボヴィツという梅の酒もあるが、70〜80パーセントのアルコール分で中々強いだろう。
高級レストランもあるが、普通の伝統的なレストランなら、一人で200円で満腹なる場所が多い!後300円を加えると、絶対酔ってしまう。
「はい」か「いいえ」?
一つのブルガリアへ行く前にわかったほうがいいことがある:頭を縦に振るは「はい」、横に振るのは「いいえ」ということは万国共通だと思っている人が多いだろう。しかし、ブルガリアは反対で。すごく慣れにくい。それは次のようなダイアログになってしまう:
(一バカ旅行者いわゆる私): | ブルガスまで二つの切符ください |
(切符の売り場の人) : | ブルガスまで? |
(私) : | [頷く] |
(販売者): | えっ、ブルガスと言ったでしょ! |
(私) : | うん、そうだよ[また頷いてしまう] |
(販売者): | [しかめっ面] じゃ、どこまで? |
(私) : | ブルガス![真面目な顔だが、頭を振らず] |
(販売者): | わかった。二つでしょ? |
(私) : | [また頷いてしまう] |
(販売者): | … |
等など… |
要するに頭を振らずただ「ダー」(はい)と「ニェー」(いいえ)のように答えるほうが安全だろう。 ブルガリアでは、かなり失礼な人が多そう。優しい人もいるが、特にレストランや店などの人は 全然親切ではなく、冷たいという印象を与える。少しこの国に残るとそれに慣れるかもしれないが。 最初にびっくりしてしまう可能性が高い。もちろん、最初から親切な人もたくさんいる。
リンク集
- www.bg.emb-japan.go.jp/:在ブルガリア日本大使館
- bul.jp:日本ブルガリア協会
- www.mofa.go.jp/mofaj/area/bulgaria:日本の外務省のブルガリアについての情報
- www.geocities.co.jp/SilkRoad-Ocean/2085/blg:個人のブルガリアの詳しい旅行記
- www.geocities.co.jp/SilkRoad/3393:ブルガリアでひどい目に遭った旅行者の日記
ブルガリアについての面白いホームページを持っていますかまたはご存知ですか? その際には住所を知らせてください。確認した後、ここにリンクを入ります。商業上のホームページはお断りです。
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