モルドバについて


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一般的な情報

国名

モルドバ共和国の国旗Republica Moldova (レプブリカ・モルドヴァ)― モルドバ共和国。東ルーマニアの地方も「Moldova」と呼ばれているので間違えやすい。ロシア語での国名はМолдавия(モルダーヴィヤ)

面積

約 33,843 km² (青森県・岩手県・宮城県と同じぐらい)

人口

約440万人* (2003)、東京都の3分の一ぐらい。少子化と非常に高い幼児死亡率のせいでモルドヴァの人口はあまり増加していない。

民族

モルドバ・ルーマニア人:64.5%、ウクライナ人:13.8%、ロシア人:13%、ユダヤ人:1.5%、ブルガリア人:2%。ガガウズ(参照:Comrat(コムラト))人と他の少数民族5.2%。*

宗教

正教教会(オルトドクス):98%、ユダヤ 1.5%、浸礼派教徒など。

時差

日本より7時間遅れ。サマータイムがあるので、 4月の下旬から10月の下旬まで(大体その月の最後の土日の間の夜から) 時差は日本より6時間遅れるようになる。

言語

モルドヴァの国語はモルドヴァ語だが、実はそのモルドヴァ語はルーマニア語だ。独立した後、モルドヴァ語はルーマニア語と同じくローマ字で書くことになった。ルーマニア語はスラブ語族の言語ではない。然し、違法的に独立した沿ドニエストル共和国 (PMR)ではキリル字が使われている。 モルドヴァ共和国にはロシア語は相変わらず普及している。ロシア人の少数民族もあるので、ロシア語だけが使用されているレストランや店などもある。二ヶ国語が使われている場所も多い。因みにロシア語の地名はルーマニア語の地名と違うので、ルーマニア語の地名を言っても通じないところがある。例を挙げると、Orheiという町はモルドヴァ(ルーマニア)語で「オルヘイ」と呼ばれているが、ロシア語での地名はОргеевで、発音は「オルゲイエフ」だ。

*出典:CIA World Factbook   

自然

モルドバ共和国の地図:行きたい場所をクリックして下さい

モルドバ共和国の地図:行きたい場所をクリックして下さい

モルダウ共和国は西方のルーマニアと東方のウクライナの間に広がっている。モルドバは黒海から数キロだけ離れているのは不幸なことで、海岸が全くない。しかし、ドナウ川の1キロ以下の長さの河岸はモルドバの領地で、輸送船専用港を作る計画があるらしい。

高い山が全然ない。最高峰はDealul Balanesti(デアルル・バラネスティ)で、高さは430メートルだけ。が、国全体は山と丘に殆ど完全に覆われ、平地があまりない。特に川沿いには深い谷があるところが多い。こういう川谷はOrheiul Vechi(旧オルヘイ)などでRăut(ラーウト)川とモルドバの最大な川Nistru (ニストル、ドニエストル)沿いにある。ドニエストル川の東岸と黒海に近いモルドバの南端だけは平らになっている。

ルーマニアとの国境はPrut(プルト)川に定まれている。北には、プルト川が発電するために堰き止まれている。かつて、国全体は森林に覆われたが、殆ど全部は開墾されステップのようになった。モルドバの気候は大陸的で、夏は長くて暑い。冬は比較的に短いが、マイナス30度までになる可能性もある。モルドバは資源不足の国だが、土壌はかなり肥沃なのだ。然し、降水量は少なくて旱魃の年もある。地表には柔らかくて若い貝殻石灰岩や砂、砂利、石膏などの堆積岩が露出している。

歴史

歴史的には、現在のモルドバは二つの地方に分かれている。一つは西方のプルト川と東方のドニエストル(別名ドネストル、ニストル)川の間にあるBessarabia(ベッサラビア)だ。続いて、ドニエストル川の左岸(東岸)沿いの地方は昔からTransdnestria(トランスドニエストリア)、別名トランスニストリア、トランスネストリア、と呼ばれている。元々違う地方なので、トランスドニエストリアはモルドバの独立の後に分裂して承認されていないПМР(沿ドニエストル共和国)を創立した。その地方の歴史については沿ドニエストルの歴史を参照。

数百年間も使用されているベッサラビアという言葉の由来は不明だが、「アラビア」という地名と関係がないだろう。1812年まで、現在のモルドバ共和国は東ルーマニアのモルドヴァ地方の一部であり、その王国の首都はIaşi(ヤシ)であった。1457〜1504年まで、国民英雄のŞtefan cel Mare(シュテファン大公)Suceava(スチャヴァ)という北東ルーマニアの都市からモルドヴァ全体を統治して、現在にもシュテファン大公の絵は全てのモルドバのお札に印刷されている(参照:下の撮影)。16世紀中以来、モルドバはトルコ人に占領され、オスマン帝国の属州になった。その時代には何回も露土戦争(土=トルコ)があり、1812年の戦争の結果としてはベッサラビアだけは解放されロシア帝国の一部になった。ロシアのツァーはなるべく早く新地の開拓を欲したので、ドイツからの農民を招待した。要するに無数のドイツ人はモルドヴァへ移住した。現在にも、Marienfeld(マリエンフェルト)Jacobstal(ヤコブスタール)などのドイツ語の地名の部落がある。然し、ほとんど全てのドイツ人はモルドバを離れた。

20世紀の初期、紛糾を重ねた時代が始まった。1918年、というのはロシア10月革命の一年後、ベッサラビアはロシアからの独立を宣言して、すぐルーマニアと統一した。1940年に、ソ連の赤軍がルーマニアから割譲させたベッサラビアを侵略して。それは独ソ不可侵条約の一部の秘密議定書で決定されたことであった。

但し、一年後右翼のルーマニアとドイツは協力してベッサラビアを奪回した。却って、ソ連は1944年に再びベッサラビアを奪い返した。モルドバ民族はこの大混乱な状態の尻拭いをした。モルドバは共産化を受けて、キリル字が押し付けられ、それに加えて無数のモルドバ人やモルドバに住んでいたドイツ少数民族などが追放に処された。ベッサラビアは強制的にトランスドニエストリアと統一された。こういうふうに、モルドヴァ社会主義共和国というソ連の15ヶ国の一国が発生した。1989年にはグラスノスチとペレストロイカに基づいた政治的な転換に従って、モルドバではローマ字が再導入され、1991年にモルドバのソビエト(国会)は独立を宣言した。しかし、モルドバはすぐ CIS(独立国家共同体)に加盟した。それと共に、モルドバは中立化した。要するにモルドバ共和国は NATO(北大西洋条約機構)などの軍事同盟に加入できない。

 

ドニエストル川の橋を守るロシアの平和部隊

ドニエストル川の橋を守るロシアの平和部隊

 

特にガガウズとスラブの少数民族はルーマニアとの統一を恐怖した。その為、その少数民族が非常に強い地方でモルドバの政府に左右されない大統領選挙が行われた。従って数年前から燻った紛争は1992年に内戦になった。(モルドバ対沿ドニエストル東岸についての詳細の情報は沿ドニエストル共和国の歴史を参照)。ガガウズの少数民族との紛争は内戦にならず平和的に解決されることになった。妥協としてはガガウズは自治共和国を創立して、南モルドバのComrat(コムラト)は首都になった。

1990年代末、モルドバはルーマニアと再統一するか否か議論があったが、現況を見ると統一にならない可能性のほうが高い。今では、モルドバ共和国はヨーロッパの一番貧乏な国で、輸出赤字も国債も激しい。一人当たり国民総所得は400ドルだけ(アルバニア:1120ドル、2000年現在)。人口の80%は一日中220円しか儲からない。色んな地域では失業率は50%を超えるので、労働能力のある人口の4分の一は外国で働いている。従って民族は不満足して、モルドバはヨーロッパで唯一の共産党が復活した国だ。最後の選挙では共産党は50,1%を得、大統領を立てる。要するに一体何故共産主義のПМР(沿ドニエストル共和国)とそんなに大きな問題があるだろう。

旅行案内

ビザ

モルドバのビザ ― 有効期間は30日間

モルドバのビザ ― 有効期間は30日間

旧ソ連の諸国の国民以外には、ほとんど全ての旅行者はビザが必要だ。然し、日本にはモルドバ共和国の大使館がない。その代わりに、在日ウクライナの大使館は兼轄している。他のヨーロッパの国でも査証を申請することができる。噂によって、空港で入国するときにはビザが発行されているが、モルドバの査証規程はよく変わるらしいので、旅行前に申請したほうが安全だ。

様々なビザの種類があるが、一番便利は普通のビザだ。2003年12月以降、日本人には招待状が不要になった。普通の一回入国のビザの料金は45ユーロ(6000円)ぐらい。手紙で写真とパスポート、料金の領収書と書類を送ると、発行は3週間ぐらいかかる。ブカレストの領事館での手続きは半日しかかからなくて、料金は同じぐらい。領事館と大使館は書類をファックスで送る。招待状は必要ではないが、モルドバ国内の住所が必要だ。それは個人の住所でもホテルの住所でもよいらしい。ビザの有効期間は30日間だ。

ご注意: モルドバから独立したПМР(沿ドニエストル共和国)へ行きたい場合には、二回入国のビザは必要ではない。国境ではモルドバ側はパスポートをチェックしない。但し、規則は変わりやすいので、モルドバを入国する前に最新の情報を調べたほうがよい(私たちは一回在ルーマニア領事館で断れたから)。一番大切な大使館の住所は次のようだ:

在日ウクライナ大使館 在独モルドバ大使館 在ルーマニア モルドバ領事館
ウクライナ大使館
〒104-0046
東京都港区西麻布3-15-6

ホームページ

Botschaft der Republik Moldau
Konsularabteilung
Gotlandstr. 16 ・ 10439 Berlin

電話: +40 (0)30-283 5237
Fax: +49 (0)30-446 52972

Consulat Republicii Moldova
Blvd. Eroilor 8
Bucureşti, Románia
電話: +40 (0)1-410 9827

Fax: +40 (0)1-410 9826

 

制限

大使館によって、ホテルに泊まらない旅行者は三日間の間に地方の警察署で登録せねばならない。ホテルに泊まる場合には、スタッフは自動的にゲストを登録して、数レイの料金もかかる。払った後、証明書が発行され、その証明書は必ず出国するときに出さなければならない。然し、私たちは友達の家に泊まって登録しなかった。ホテルにも泊まったが、国境では誰でも証明書を要求しなかった。然し、それは例外であるかもしれないので、全てのもらった証明書や領収書などをキープしたほうがよいだろう。

入国するとき、全ての現金を特別な書類に記入することが要求されている。その書類には通貨の種類と金額が書いてある。出国するとき、その書類は戻すべきだ。書類がなくなった場合には、問題が起こすらしい。それに加えて出国するときには入国したときより現金があると、その過剰金額が取られてしまう。然し、出入国のとき、コントロールはあまり厳しくなく、現金を数える人がいないらしい。

お金

シュテファン大公が載っている100レイのお札

シュテファン大公が載っている100レイのお札

隣国のルーマニアと同じく、モルドバの通貨はLeu(レウ)と称され、複数は Lei(レイ)。補助通貨は Bani (バニ)で、100Bani=1Leu。2004年5月のレートは14 レイ = 1 ユーロ(1レウ≒9円)であった。価格固定は解除されたので、モルドバの通貨は交換可能になった。そのため、両替の闇市場がなくなってきた。インフレがまだ続いているが、激インフレは一応止められたらしい。交換可能性はほとんどモルドバ国内に限られている。ルーマニアなどにはモルドバのお金が両替できない。しかし、ウクライナのオデッサでモルドバのお金を両替する両替商は見たことがある。

5、10、25と50バニのコインがあるが、コインはめったに使われていない。流通している貨幣は1、5、10、25、50、100と200レイのお札だ。日常生活には1Leu のお札は一番大切だ。50レイ以上のお札は所々で大きすぎて使えない。ご注意:モルドバのお金はПМР(沿ドニエストル共和国)で無効だが、両替商がある。

首都のキシニョフには沢山の現金自動支払機がある。Bălţi(ベリツィ)Orhei(オルヘイ)などの主な都市にも銀行と支払機がたまにあるが、それより小さい町には支払機が全くない。然し、どこにも両替商がある。主な国境通過点では両替することができるが、レートは比較的に悪い。

物価

モルドバ共和国はヨーロッパの一番貧乏な国なので、物価は当然ながら非常に安い。モルドバを旅行するとき、宿泊代は抜きんでて高い。首都のホテルに泊まるのは一人で少なくとも1200円ぐらいかかる。民宿もあるが、それは首都で同じぐらい高いらしい。食事は一般的にすごく安いが、やや高級のレストランもある。こういうレストランではメーンコースは大体15〜60レイ(150〜500円)になる。コーヒーは2、3レイだけかかる。同じように安いのは交通手段だ。例を挙げると、バスで首都のChişinău(キシナウ)から160キロ離れているBălţi(ベリツィ)まで行くとき、運賃は24レイ(220円)だけ。マルシュルトカ(乗り合いタクシー)は市内で 0.8〜3レイまでかかる。隣国までバスなどで行くことは同じように安い。博物館などの入場料は笑えるほど安い。大きな町にはインターネット・カフェーもある。1時間は高くとも15レイになる。他の旧ソ連の国々(バルト三国以外)と同じく、アルコールやタバコなどはびっくりするほど安い。

普通に旅行すると、毎日移動しても一日中2500円以上使わない。それの大部分は宿泊代だ。田舎のほうに泊まって食べ物などを市場で買うと、一日中600円で生活することができる。上述の一人当たり国民総所得を見ると、それは当たり前のことだ。

往路

バス、列車と飛行機で行けるが、日本からは直接便がない。ヨーロッパなら、ドイツ、オーストリアとルーマニア、そしてロシアとウクライナから様々な直接便がある。全ての飛行機はChişinău(キシニョフ)まで行く。

西方からモルドバへ行くと、必ずルーマニアを横断することが必要だ。国際列車は大体ブルガリアの首都ソフィアからブカレストIaşi(ヤシ)経由モルドバの首都まで行って、続いてチラスポリ経由ウクライナの首都キエフ、そして終点のモスクワまで走る。数日間かかるので、その列車は夜行だ。モルドバは旧ソ連の一国なので、軌道の幅は他の国より広く、輪距を変わるために列車は国境で3時間頃立っている。

バスでもマイクロバスでも行ける。一番便利はIaşi(ヤシ)からモルドバの首都 Chişinău(キシナウ・キシニョフ)の間のマイクロバス。そのバスの始点は Piatra Neamţ (ピアトラ・ネアムツ)というルーマニアのカルパチア山脈の山麓にある町で、終点はキシナウの北方にあるOrhei(オルヘイ)だ。所要時間はヤシからキシナウまで5時間(170,000レイ、550円)、オルヘイまで6時間(200,000レイ)。北モルドバ共和国のBălţi(ベリツィ)から北東ルーマニアのSuceava(スチャヴァ)までも直接のバスがある。国境での手続きは遅いので、所要時間は6時間ぐらいになり、運賃は57MD(モルドバのレイ、500円)だ。ルーマニアとモルドバの間には様々な国境通過点がある。主な通過点はSculeni(スクレニ)、車専用、とそれに近いUngheni(ウンゲニ)、列車専用、そしてAlbiţa(アルビツァ)、車専用、にある。全部は真ん中にあり、ヤシに近い。その他のマイナーの通過点もある:北端のLipcani(リプツァニ)、それより南方にあるCosteşti(コステシュティ)、そしてCahul(カフル)とルーマニアの南方の大都市 Galaţi (ガラツィ)に近いGiurgiuleşti(ジュジュレシュティ)という通過点。

噂によって、上述のマイナーの通過点は旅行者にとって問題になる可能性が高い。然し、私たちは Costeşti (コステシュティ)で国境を越えたとき、警備員は変な顔をして色々なおかしい質問をしたが、通過はつまり全く問題ではなかった。

東の隣国ウクライナまでも無数の通過点がある。が、一番大きくて大切な通過点は ПМР(沿ドニエストル共和国)の領地のПервомайск(ペルヴォマイスク)にあり、外国人にとって問題になる可能性が高い。色々な体験者によって、沢山のワイロが必要だ。それより簡単な通過点は南端にあるイズマイルへの通過点だ。その場合には道路は沿ドニエストル共和国を通過しない。然し、キシナウから オデッサまで行きたい場合、バス・車と列車で行っても沿ドニエストル共和国を通過することが必要だ。距離は150キロだけだが、二つの国境を通過することが必要だ。

国内移動

モルドバには全部で1,300キロの鉄道路線しかない。地図でモルドバの鉄道網を見ると、それを計画したエンジニアは酔っていたと思える。つまり列車は国内で移動するときにあまり使えない。モルドバの大都市の間の直接列車があまりなく、ソ連時代のときに作られた鉄道網なので、列車は何回も国境を越える。ウクライナにもモルドバにもビザが必要なので、旅行者にとって不便だろう。

 

モルドヴァのバスは新しいと全く言えない

モルドヴァのバスは新しいと全く言えない

 

要するにバスのほうが便利だ。普通のバスは非常に古くて、博物館から盗まれたものみたい。そしてバスは混んでいるところが多い。各地から首都へ行くのはバスで簡単だが、始点と終点は首都ではなかったらバスがとても少なくて困ったこともある。バスよりやや高いのは旧ソ連でどこにもあるマルシュルトカという乗り合いタクシーだ。マルシュルトカのルートはちゃんと決まっているが、出発時間が決まっていなくて、満席にならないと出発しない。マルシュルトカとバスはどこでも止めていいし好きな場所で降りることができる。それは便利だが、止まりまくりなので所要時間は長くなる。バスとマルシュルトカの始点と終点はいつもautogară(バス・ターミナル)だ。そのバス・ターミナルはどこでも中心に近いが、例外もある。

食事

ルーマニア系のモルドヴァの料理は当然ながらルーマニア料理とほとんど同じ。田舎のほうには乳製品は一番大切だといえる。その内、Brânză (ブルンザ、塩っぽい羊のチーズ)、 Caşcaval(カシュカヴァル、普通の黄色いチーズ)、Smetana(スメタナ、ロシア風のサワー・クリーム)、Tvorog (トヴォログ、脆い生チーズ)などが普及している。トヴォログはよく砂糖、イチゴとスメタナという組み合わせで食べられ、とてもカロリーの多い料理だ。ルーマニアにもよくあるが、モルドヴァ人の Mâmâligâ(ママリガ、トウモロコシの粥)の食べ方は面白い。そのママリガは食べる前に溶かしたベーコン、そしてニンニクと羊のチーズに浸される。素朴だが、おいしい。

ペルメニ(ロシア風の餃子)などのロシア料理も普及している。モルドヴァのレストランでは、大体二種類がある。一つは伝統的なルーマニア料理、そして色々なロシア料理のアイテムを売るレストランだ。二番目はやや近代的で、イタリア料理を作る場所で。その二種類の頻度はほとんど同じだ。首都には、マクドナルドもある。小町には、レストランは少なくて、一個しかない場所もある。その場合には、小さい村にもあるAlimentari(食料品店)で食べ物が買える。

モルドヴァの各地にはVin(ワイン)が作られている。一番有名な場所は首都から北に15キロだけ離れているCricova(クリコヴァ)という町だ。そこには、数キロの地下の道路(車で使える!)が広がって、ワインが保存されている。特にモルドヴァ製の辛口の赤ワインには、おいしい種類がたくさんある。ワインがある場所には当然ながらコニャックも造られている。モルドヴァの一番美味しいコニャックはПМР(沿ドニエストル共和国)にある。当然ながら、Bere(ビール)も沢山ある。特に「Chişinău」、「Vitanta」と「Premium」という種類が普及して、それの種類の最後は中々美味しい。旧ソ連の国なので、Rachiu(ウォッカ)の無数の種類もある。

リンク集

  • www.anzen.mofa.go.jp/manual/moldova.html:外務省からのモルドヴァ共和国についての安全情報。特に沿ドニエストル共和国へ行く前に読んだほうがよい。
  • www.lib.vt.edu/subjects/slav/:モルドヴァ共和国の詳しいリンク集。英語。
  • www.marisha.net:首都のキシニョフに住んでいる女の人のホームページ。個人として宿泊所もツアーも提供している。英語。
  • www.iskra.co.jp:モルドヴァ製のワインについて。注文することもできる。日本語。
  • www.moldova.4pla.net:旅行者向けの詳細な情報。英語。
  • www.md:Yahoo のようなモルドヴァのインターネットのポータル。英語。
  • www.yasuoizumi.net:Yi.comのモルドヴァについての基礎情報。短い旅行日記もある。日本語。
  • www.net.md/tourism:詳しくてきれいなモルドヴァについてのホームページ。必見!英語。
  • http://www.turism.md:モルドヴァの観光局のページ。これも旅行者にとって便利だ。英語。

モルドヴァについての面白いホームページを持っていますかまたはご存知ですか?その際には住所を知らせてください。確認した後、ここにリンクを入ります。商業上のホームページはお断りです。

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