→www.tabibito.de/日本語版/中欧


沿ドニエストル共和国/ ベンデルィ/ 一般的な情報 |  見所 |  宿泊 |  リンク集
Бендеры

一般的な情報

ベンデルィのロケーション
  • 地名: Бендеры (Bendery、ベンデルィ)はロシア語の地名だが、 モルドヴァ(ルーマニア)語の地名は全く違う:Tighina(ティギナ)。それに加えて、 Bender(ベンダー)という書き方もある。沿ドニエストル共和国を旅行するとき、 「ベンデルィ」のほうが通じるが、モルドヴァ共和国にいるときには「ティギナ」のほうが普及している。
  • 位置: ベンデルィは沿ドニエストル共和国で唯一の Днестр(ドネストル)川の 右岸(西岸)にある町だ。ドネストル川は西方の高原と東方の低地を分ける。ベンデルィは 河岸から高原の上まで広がり、西の郊外には→モルドヴァ共和国と 未承認の→沿ドニエストル共和国の間の国境がある。 モルドヴァの首都→Chişinău(キシナウ・キシニョフ)は60キロ、 沿ドニエストル共和国の首都は→Тирасполь(チラスポリ)10キロぐらい 離れている。
  • 人口: 約125,000人だが、人口は減少している傾向がある。 ベンデルィは→沿ドニエストル共和国の第二の都市で、 →モルドヴァ共和国全体で四番目に大きい町だ。

  • 町の姿: ベンデルィは産業の町で、郊外には産業地帯と殺風景な住宅地が多い。中心のの近くには 二つのドネストル川の橋がある。その為、ベンデルィは昔から侵略的に大切な場所で、橋の傍には 要塞が建築された。今では、橋の前にロシアの平和部隊のチェックポイントがある。 橋の南西には待ちの中心が亘っている。トロリー・バス停とやや隠されている場所にある バス・ターミナルは中心に近い。 駅は少し離れて西にある。ベンデルィは他の周辺の都市と同じように碁盤模様のように計画された。 河岸沿いには家庭菜園や住宅建築物などが並んでいる。 中心は ул. Ленина(レーニン通り)ул. Калинина(カリーリン通り)の周辺だ。その辺には。大きい コルホーズの市がある。ベンデルィは首都の →Тирасполь(チラスポリ)より落ち着いたが汚い。 所々には1992年の独立戦争の痕跡があるが、大部分は修理されたまたは再建された。
  • 往路: 全ての→Chişinău(キシナウ・キシニョフ)から →Тирасполь(チラスポリ)行きバスと列車は ベンデルィに止まるので行きやすい。キシナウまでの所要時間は1時間ぐらいで、 運賃は7Р(100円)だ。1号線と19号線のトロリーバスは東岸のチラスポリまで行く。 運賃は0.7Р(10円)で、 バスの中で払うべき。そのバスに乗ると、途中で左側 にモダンなシェリフのスタジアムが見える。 ガガウズ自治共和国の首都→Comrat (コムラト)や 北モルドヴァの→Bălţi(ベリツィ)までも直接のバスがある。

  • 見所

    ベンデルィの歴史は長くて面白い。14世紀には、現ベンデルィには Tigin(ティギン) と呼ばれていたジェノバ(現イタリア)の部落があった。現在のモルドヴァ語の地名「Tighina」は明らかに その名前に由来する。 16世紀に、モルドヴァの国民英雄 Ştefan cel Mare (シュテファン大公)はティギナで要塞を 建築した。1538年にはオスマン帝国はティギナを含むベッサラビア全体を侵略した。 それ以来、「ベンデルィ」という名前が使われて、「トルコのもの」や 「港」などの地名の説明があるが、本当の由来ははっきりではない。1812年に ベンデルィはロシア帝国の領地に入った。二つの世界大戦の間、ベンデルィは ルーマニアに占領され再びティギナに改称された。 1944年以来、ベンデルィはモルドヴァ社会主義共和国というソ連の一国の主な都市になった。 1992年には内戦が勃発して、特にベンデルィの市街にはトランスニストリアとロシア、そして モルドヴァの軍隊の間に流血な市街戦があった(参照: →沿ドニエストル共和国の歴史)。 ロシアの第14軍は沿ドニエストル共和国の勝利の後に町に残ったが、今では 平和部隊だけがベンデルィを基地にしている。 然し、現況は平和ではなく、ただ停戦の状態だ。

    戦争のモニュメントと永遠の炎
    戦争のモニュメントと永遠の炎

    町のメイン・アトラクションは1992年以降使われていない要塞だ。その要塞は ドニエストル川の橋の隣にあるが。相変わらず軍事上の施設として表示されている要塞は 残念ながら閉鎖されてしまう。その上、撮影も禁止されている。要塞自体は ぼろぼろしていて、外壁には戦争の弾丸の痕がたくさん見える。
    要塞の向き合っている場所には新しくできたモニュメントがある。それは 1992年の内戦の犠牲者に捧げられている記念碑の公園で、 戦車や永遠の炎、栄誉の壁などがある。その前、膨大なボードがある。 そこには、”Слава тебе、ПМР”(スラヴァ・テビェ) ― 沿ドニエストル共和国万歳! が書いてある。

    コルホーズの市:いや、この計量器は売られていない!
    コルホーズの市:いや、この計量器は売られていない!

    記念公園からコトフスキー通りを辿って灰色の住宅地を通った後にリアゾ通りに入ると、 大きいКолхозный рынок(コルホーズ市)が見える。 コルホーズはソ連の集団農場であったが、沿ドニエストル共和国に相変わらず存在しているらしい。 コルホーズ市は大きなホールに入っていて、農業の生産品が販売されているところだ。 しかし、今ではホールは大きすぎて一部だけが使用されている。それは珍しい長めで、 ソ連邦の博物館のような場所だ。市場の前からマルシュルトカ(乗り合いタクシー)が 周辺の村へ行く。

    キリストの変容の教会
    キリストの変容の教会

    市場のホールから大きい Преображенский Собор(「キリストの変容」の教会)という 町の最大な教会が見える。その教会は数年前修復されたらしい。 この正教教会の中には相変わらずミサが行われ、参加する人がびっくりするほど多い。 裏側には灰色の市役所と幅が広いレーニン通りがある。そこには、様々な店が並んでいる。 沿ドニエストル共和国とウクライナ製の生産品が多いが、不思議なことにモルドヴァ製のものは 少ない。

    ベンデルィのソビエトの建物
    ベンデルィのソビエトの建物(市役所)

    レーニン通りをずっと西へたどっていくと、駅に行ける。コルホーズの市場から ソヴィエツカヤ通りを北方へ行くと、バス・ターミナルがある。そのバス・ターミナルは 非常に汚くてものすごくぼろぼろしている。まとめると、ベンデルィは小さいが面白い ところだ。沿ドニエストル共和国を旅行するとき、首都だけではなく少なくともベンデルィ も訪問してほしい。


    宿泊

    町には二つのホテルがある。噂によって、ベンデルィに泊まる場合には 警官での登録は不要だ。然し、国境での登録は難しくなる。 一般的にいうと、ベンデルィに泊まる理由がない。 治安が悪くて、それより安全なモルドヴァ共和国の首都 →Chişinău(キシナウ・キシニョフ)はバスで 一時間しか離れていない。それに加えて、ベンデルィには 夜間外出禁止がある。 夜11時から朝5時までは外へ行くことは禁止されているという意味。


    リンク集

  • www.factmonster.com/ce6/world/A0848722.html
  • : ベンデルィについてのあまり詳しくない情報。英語。
  • manila.djh.dk/borders/
  • : 沿ドニエストル共和国、チラスポリとベンデルィについての面白い論文。英語。
    ベンデルィについての面白いホームページを持っていますかまたはご存知ですか? その際には住所を知らせてください。確認した後、ここにリンクを入ります。 商業上のホームページはお断りです。 メールのリンクは左側のメニューに入っています。


    ©2022 tabibito