川崎市の臨海計画 ― 持続可能な町づくり?
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目次

序文

日本全国海岸沿い現況

@ a) 東京湾の地形

b) 東京湾の海岸開発

A 川崎市の歴史

B 東京湾臨海計画に於ける川崎市の役割

C 川崎新時代2010プランの短い紹介(川崎市総合計画)

D 川崎市の埋立地の開発

結論・現在の状況と計画の評価

序文 外国人も日本人も私が日本の都市計画を調べていることを聞くと、沢山の人は笑って、皮肉のように 「どうして都市計画を日本で調べるの?日本には都市計画がないですよ」とよく言っています。 東京の色々な場所を見ると、私もそう思いますが、臨海計画は違います。特に湾の海岸部は埋立地ですから、 ゼロから計画をしなければなりません。そして、臨海計画と言う計画がドイツにあまりありませんので、 新しい方法を勉強することが出来るのです。

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環境を守って、資源を節約して、廃棄物を出すことを大規模に減らす為の概念を「持続可能な開発」といっています。 なぜ「持続可能性」は大切な観点なのでしょう。ごく最近、ブエノスアイレスで第四番目の温暖化防止会議が開催されました。 前の会議から、「持続可能な開発」という概念は大きな役割を果たすようになりました。 地方の人間の生活は環境に対して大体優しいですが、都市ではどこでも環境に悪い影響がありますから、 環境に優しくて、持続可能な都市計画は特別な問題です。この課題は日本の都市計画でも焦点になります。 その為、私はここで川崎市を例にとって、現在の日本の都市計画の中の「持続可能性」について書きます。 これを研究する為に、私は特に文献を調べたり、川崎市の臨海部整備推進室の福井さんにインタビューしたり、 自分で様々な見学をしました。それを基に纏めました。

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日本全国海岸沿いの現況 日本ではどうして臨海計画がそんなに大切なのかを理解すれば、全国の地形状況をちゃんと見るべきだと分かります。 日本には1000以上の島々があって、四つの大きな島の面積の80%は山地で、開発しにくい地域です。平野も少ないし、 大体狭いです。一番大きな平野は5000平方メートルの関東平野で、二番目のは北海道の根釧台地です。 山地の中に都市を作ることは大変ですから、世界中どこでも半分以上の都市は海に近くて、盆地又は平原に集まっています。 札幌と京都は例外ですけど、日本の都市も大体海岸沿いです。大阪、神戸、新潟等の都市を見れば、 このように周りの山地のせいで大規模な拡大は難しいです。平野ではスペースが少ないから、 大阪で働いている人々の住宅地域は周辺の山地まで広がっている傾向が見えます。東京の場合では、 西側でも山地があるし、北側と南側では川崎市、横浜市、大宮市、千葉市などの都市は蜜集していますから、 開発しやすいスペースも少なくなってしまいます。

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東京湾の埋立地

@ a) 東京湾の地形 東京湾は本州の太平洋側にある湾で、 水面は約1200平方`です。平均的な深さは約24メートルで、潮もあります。 東京湾周辺には縄文時代から多くの人が住んでいました。 江戸に幕府が置かれた時から、東京湾の周りでは日本の文化と政府の中心になりました。 昔から、東京湾は漁業生産、海洋性レクリエーション、大切な港と避泊場所などの利用がなされてきました。 現在、東京湾では船舶の約4600隻が毎日航行しています。

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b) 東京湾の海岸開発 江戸時代には、初めて河川や運河が浚渫されて、品川と銀座の近くに一番古い埋立地が作られました。 江戸時代の270年間を通じて全部で約23平方`の埋立地が作られました。そのときに、沿岸を見ると、 江戸の外には小さな漁村ばかり存在しました。130年以前から、それらの色々な村が大きな町に変化してきました。 横須賀、横浜、川崎、千葉と木更津では港が作られて、人口は急激に増加しました。 1868年から1990年までの間に約240平方`の埋立地が作られて、それは臨海市区の13%を占めています。

東京湾の水際線の総延長は130年前300`でしたが、今は埋立地によって880`迄伸びました。 しかし、その880`の内40`だけが自然海岸線で、他は人工的な海岸です。

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A 川崎市の歴史 川崎市の一番古い建物は1128年(大治3年) に開かれた大師神社です。1579年から、川崎で塩づくりが始まり、60年後川崎は東海道の一つの宿場町になりました。 明治22年には、川崎町が誕生し、明治40年に川崎の人口は6300人迄増えてきました。 明治38年から、川崎町では大工場の進出が始まりました。大正2年には、 川崎市で約530万平方bの埋め立て事業が始まりました。このときから、企業とともに人口は急激に増加して、 大正13年には5万人以上になりました。川崎市は関東大震災と21年後の空襲で大規模な損害を被りましたが、 発展はほぼ円滑に進みました。

現在、川崎市には約120万人が住んでいて、川崎市は日本の経済の一つの大切な根拠地になりました。 そして、川崎市の港は大きな価値があるし、外国貿易の拠点としても関東地方への各種の物資の供給の場としても重要なのです。 昔支配的だった第1次産業(農業、漁業など)が第2次産業(工業、加工業など)にとって変わりつつあり、 ごく近代に第二次産業に変わって第3次産業(サービスなど)が発展してきています。

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横浜の港未来21

B 東京湾臨海計画に於ける川崎市の役割 横須賀市から富津市までの水際線の長さは726.1`で、川崎市のは65.1(約9%)`です。 そして、東京湾には港が六つあります:木更津、千葉、東京、川崎、横浜と横須賀の港です。 東京都とか千葉県、神奈川県の沿岸の埋立地を比べると、すぐ利用の差が見えます。 千葉県では、沢山住宅が埋立地の上に建築されました。埋立地の上に住んでいる人とその地域の水際線を見ると、 千葉では1`の海岸線沿いに1365人が住んでいて、東京都には686人で、川崎市では1`沿いに35人しか住んでいません。 それに対して、千葉の埋立地には工業場があまりありませんが、川崎市の埋立地には工場が密集しています。 その為,レクリエーションの場所も少ないです。川崎市全体を見ると、臨海地域の面積は小さいですから、 千葉のような舞浜のディズニランドみたいな大きなリクリエーションの場所を作ることは無理です。

川崎の都市計画を見ると、隣の東京と千葉県と協力をしなければなりません。 その為、行政の優先順位からいえば、国土庁の計画指針は一番大切な、一般的な計画です。 その下に、東京周辺地域の計画があります。この計画は業務核都市と呼ばれて、東京を中心にした首都圏の計画です。 東京の周りの都市はその計画によると自立都市圏になります。この多核多圏地型という地域構造には目標が二つあります。 一つは東京中心部の住宅、交通、環境、防災などの様々な問題を解決することです。 二番目の目標は一番目の目標と深い関係を現す大規模な都市開発プロジェクトの調整です。 具体的に言うと、これは東京湾道路、羽田空港などのようなプロジェクトです。

この計画によると、五つの業務核都市があります。一つは神奈川自立都市圏で、 この圏に計画の焦点が横浜、川崎と厚木と三つあります。次の計画のレベルは川崎市の計画で、 後は川崎市の区の計画です。埋立地がある区は川崎区だけで、そこに特別な「川崎市企画財政局臨海部整備推進室」 という計画部があります。そこで川崎市の臨海部の一番具体的な計画が作られていて、 前に述べた計画レベルの指針を実現しています。そう考えると、川崎市の臨海計画は大きな計画の一部です。

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C a) 川崎新時代2010プランの短い紹介 川崎市の市役所は1983年に「2001かわさきプラン」という基本計画を策定しました。 しかし、1983から沢山新しい現象が発生しました。一つの変化は日本の経済のバブル成長とそのバブルの崩壊です。 もう一つは1983年にまだ活発でなかった環境運動でした。それ以前にも、日本で汚染による公害が発生し、 色々な対策がありましたが、世界的な環境問題、例えば温暖化とオゾン層の崩壊などはあまり知られていない問題でした。 そして、グローバル化という現象の為にも新しい計画の戦略は大変必要です。 その為、川崎市は1993に「川崎新時代プラン2010」を発表しました。この計画によると、 川崎市には「地球市民の時代に於ける人間都市の新たな創造」が作られています。 この計画には、三つの都市像と五つの基本方向という中心思想があります。一番目の都市像は

− 人間と自然が共生する環境を育み心豊かに暮らせる都市で、それに於ける基本方向は

−生涯福祉都市づくり と

−快適環境都市づくり です。

二番目の都市像は

−ものづくりの伝統を生かし世界に開かれた活力と魅力を創造する都市、

それに於ける基本方向は

−地域自立都市づくり と

−創造発信都市づくり です。

最後のは

−主権者である市民の参加と連帯により市民自治を育てる都市で、それに

於ける基本方向は

−市民自治都市づくり です。

今から、川崎市の臨海計画に於ける上に述べた指針の現実について話したいと思います。

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D 川崎市の埋立地の開発 川崎市の臨海部の全体は川崎区に集まって、四つのゾーンに分かれています。 一番目のは川崎駅から次のゾーン迄に広がっている「既成市街地」というゾーンです。 このゾーンは、埋立地ではないで、構造は他の臨海部と迚も違うから、今度の説明に入っていません。 埋立地のゾーンは臨海部第一、第二と第三層という地域で、このような分類は横浜の埋立地を含んでいます。 半分の横浜、半分の川崎の扇島を見ると、臨海部は横浜と川崎と一緒に計画された地域です。

臨海部第一層は大体工業と準工業専用の地域です。これは、大きな操車場を含んでいて、 そこから全部の工業団地を結んでいる鉄道が出ています。隣には住宅地がありますから、 この辺の産業は大体排出ガスと騒音などをあまり発生できないのです。 その為、沢山の倉庫が集まっています。そして、公共の場所、例えば幼稚園とか学校、病院、体育館などがあります。

臨海部第二層は浮島の殆どと千鳥町、水江町、扇町と大川町を含んでいます。 この地域も大体工業専用ですけど、色々な部分はまだ準備中です。 この辺に、いすゞ自動車や日本鋼管、昭和電工と三菱電工などの企業が集まって、特に化学と石油の会社が沢山あります。 住宅があまりないし、六つの小さな緑地しか公共の場所がありません。

臨海部第三層は現在の海岸です。これは、浮島インターチェンジと東扇島と扇島の東側を含んでいます。 この一番新しい地域は港とか交通要所として使われています。 でも、全体の扇島は「日本鋼管」という鉄鋼を作っている企業に使われて、 石油を加工する会社と発電所もこのゾーンにあります。羽田から首都高速湾岸線は海岸沿いにいって、 第三層を縦断している一番大切な交通軸です。これから、アクアラインという川崎と木更津を結んでいる道路が始まります。

現在の川崎市の臨海計画の一番面白いことは「ゼロ・エミッション工業団地」と思われます。 「ゼロ・エミッション」というのは「排出と廃棄物ゼロを目指す」という発想です。

この団地は水江島にある大きさの8.4haの地域です。 そこに集まっている工業は発生する廃棄物を全部共用の設備にリサイクルさせて、エネルギーを効果的に使っています。 その為、工業と行政の設備の間に緊密な協力が必要です。 このプロジェクトが成功したら、「ゼロ・エミッション工業団地」は多分広がっていきます。 この発想は新しいから、研究所も沢山建設されています。

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結論・現在の状況と計画の評価 残念なことに、ここに現在の臨海計画をもっと具体的に説明することは出来ません。 短く現況を説明すると、臨海計画はだいたい完成したようです。 新しい埋立地があまり作られないし、今まで作った埋立地はほぼ100%使っていて、 極最近交通軸も出来上がりました。でも、前に述べた環境問題とかグロバール化、 経済の悪化は新しい戦略を求めます。その為、「ゼロ・エミッション・パーク」のような発想は本当に必要です。 この発想を現実にすると、川崎市は企業にとって魅力がある場所になります。 そして、環境に与えている影響も大規模に減少することが出来たら、貴重な基礎研究となり、 世界中どこでも同じプロジェクトを実施することが出来ます。緑地があまりないから、普通の人は海岸に行けません。 この状況は私にとって珍しいけど、日本の特徴だと思います。計画全体1を見ると、 川崎市では産業と住宅を分けていて、いいことだと思います。

ゼロ・エミッションパークを全部の臨海地域に広がったら、「持続可能性」への進歩だと思います。 でも、このプロジェクトは高いから、経済の悪化はプロジェクトに悪い影響を与える恐れがあります。

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