ベラルーシについて


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一般的な情報

国名

ベラルーシの国旗РЭСПУБЛIКА БЕЛАРУСЬ(レスプブリカ・べラルース)。ベラルーシ共和国という意味。昔にはこの地方はよく白ロシアと呼ばれていたが、その名前は誤解を招きやすい。ルーシはロシアと言う名前と同様に昔の王国キエフ・ルーシに由来する。「ベラ」はロシア語の「ビェロ」(=白)という言葉に由来するが、その「ビェロ」という言葉は他の意味もあった。それは「透明な」、「自由な」、「西」などの意味だった。要するにベラルーシの場合には「ベラ」は「白」という意味ではない(それにも拘わらず「黒ロシア」という伝統的な地方もあった)。昔、白ルテニアという民族の名前に由来する地名もあった。英語の書き方はBelarusで、日本語での地名はそれに由来する。しかし、「ベラルシア」という書き方もある。

面積

207,600 km² 。日本と比較すると、それは本州の9割ぐらい。第二次世界大戦の”おかげ”で、ベラルーシは100年前のベラルーシより大きい。

人口

≒1030万* (2004年現在)。それは本州の人口の1割ぐらいだけで、人口密度は非常に低い。それに加えて、少子化という問題もある。

民族

約81%はベラルーシ人、11%以上はロシア人。その上、色々な少数民族 がある。一番大きい少数民族はウクライナ人、次は、ドイツ人、ポーランド人、ユダヤ人、ラトヴィア人など。第二次世界大戦の前、ユダヤ人は一番人が多い少数民族だった。*

宗教

ベラルーシの地図:好きな場所をクリックして下さい!

ベラルーシの地図:好きな場所をクリックして下さい!

約 80%はロシア・ベラルーシ正教会の教徒だが、ローマ・カトリックと プロテスタントというキリスト教の教派の教徒もいる。上述どおり、ユダヤ教もある程度まで普及している。*

時差

日本より 7 時間遅れ。サマータイムがあるので、 3月末〜4月上旬ごろから10月の下旬まで (大体3月・10月の最後の土日または4月の最初の土曜日の夜から) 時差は日本より 6 時間遅れるようになる。

言語

ベラルーシ語は公用語だが、1995年以来、ロシア語は再び二番目の同権のある公用語になった。現在には、ベラルーシ語はソ連時代と同じく段々押し戻されている。ベラルーシ語はロシア語によく似ている。一つの 特徴はポーランド語からの借用語の多数だ。 色々な場合には、ウクライナ語との 類似点もある。ベラルーシ語にはロシア語とウクライナ語と同様に キリル字が使われている。しかし、 次の文字の場合には差がある:

  • A (a) :発音は例外なしはっきりした「ア」だ。参照:「O」
  • Г (г) :ロシア語にはこの字は「グ」と読まれているが、ベラルーシ語にはこの字は「ハ、ヒ」などと読まれているが、実はそれは軟口蓋音で、英語で「Kh」と書かれている。要するにГроднаという町は「グロドナ」ではなくて、Hrodna(フロドナ)と読まれている。
  • Ґ (ґ) :この古い文字を新たに導入する提案がある。発音は上述どおり「ハ」で、「Г」という文字を取り替えるはずだ。しかし、今ではこの文字はまだあまり使用されていない。
  • Ë (ë) :この字は「ヨ」と読まれている。ロシア人はよくこの文字ではなくて、普通の「E」だけを使うが、ベラルーシ語にはこの字はいつもちゃんと書かれている。
  • I (i) :この字は「イ」と読まれて、ロシア語のИ (и)の代わりに使われている。それはウクライナ語との共通点だ。
  • O (o) この文字は「オ」と読まれているが、ロシア語には言葉によって「ア」という読み方もよくある。ベラルーシ語には「オ」はいつも「O」、そして「ア」はいつも「A」と書かれている。
  • Ў (ў) :ローマ字でŮ (ŭ)と書かれている文字で、他のキリル字を使うメージャーの言語で使われていない文字だ。読み方はただ「ウ」だ。
  • Щ (щ) :このロシア語でよく使われている文字(シチャ)はベラルーシ語で使われていない。
  • Ъ (ъ) :この文字もベラルーシ語で使われていない。その代わりに、「 ’ 」が使われていて、それは硬音記号だ。
  • Э (э) :読み方は「エ」で、ロシア語にもある字だが、使用の頻度はロシア語より何倍も多い。

ベラルーシには色々な方言があるが、ロシア語は大体どこでも通じる。しかもテレビや新聞などにはロシア語のほうが多い。英語ができる人は非常に少ないので、ロシア語又はベラルーシ語、ウクライナ語などができない場合にはコミュニケーションはかなり難しい。そして観光客はかなり少ないので、ロシア語ができない人もこの世の中にいると知っている人が少ないらしい。

私はこのベラルーシについてのページにできるかぎりベラルーシ語での地名を使ったが、わからない場合にはロシア語の地名が書いてある。ちなみにほとんど全ての地図には地名はロシア語だけで書いてある。

*出典:CIA World Factbook(英語)

自然

ベラルーシには海岸も高山もないので、山が好きな人にとっても海が好きな人にとってもこの国はあまり面白くないかもしれない(もちろん、海の幸も山の幸もない!)。国全体の地形はバルト三国と同様に氷河時代によってつくりあげられたものだ。その結果は色々な地方で素晴らしい。なだらかな丘や沼地、無限の平らと無数の湖がベラルーシの特色ある相貌をつくりあげているといってもいい。無数の湖は大袈裟だが、全部で1万1千の湖がある。その湖は特にベラルーシの魅力的な北東部にはよく丘の間に隠されている湖が多い。南部にはПрiпяць(プリピャツ)川がベラルーシを貫流して、川沿いには広い沼地が亘っている。中心部にはポーランドとの国境からロシアのスモレンスク市まで広がる丘陵がある。その丘陵の中にはベラルーシの”最高峰”がある。その丘は首都に近くて、標高 345メートルのДзэржiнская Гара(ドゥジェルジンスク山)と呼ばれている。

当然ながら、ベラルーシの気候大陸性のもので、東部へ行くとその大陸性の気候の特徴がもっと強くする。要するに冬は長くてかなり寒い。夏はやや暑くて、降水量は冬より大きい。一年間の降水量はヨーロッパで普通だが、東京の降水量の3分の一ぐらいだけだ。11月以来、気温が0℃を超える日々があまりない。ベラルーシには色々な国立公園も環境問題が大規模に発生してしまった地方もある。特に第二次世界大戦の戦後に行われた都会の産業化の結果として、大気、水の汚染などの問題がある。ソ連崩壊の後、色々な工場は閉鎖して、それに従って汚染のレベルは少し低くなってきたが、「汚染防止」などの対策があまりないので、沢山の問題が残っている。特に一番南にある、ウクライナのЧорнобиль(チェルノビリ)市に近い地方は大変だ。原子発電所の爆発の結果として、特にベラルーシの領地は放射線障害を受けて、将来にも住むことのできない地域になってしまった(参照:上の地図)。

歴史

現在のベラルーシは独立国だが、この地方の歴史を見ると、独立性は珍しいことだ。しかも、今でも再びロシアと統一することを推進する政治家がいる。ベラルーシは様々の大国の影響範囲の交差点にあるから、昔から外国から受けた影響が強かった。ベラルーシに影響を与えた歴史上の大国というのは、東方の隣国ロシア、北方の隣国リトアニア、西方の隣国ポーランドと20世紀にドイツということだ。しかし、ドイツの影響に因った結果は無比の悲劇だった。

ポーランドとの国境に面しているБрэст(ブレスト)の考古学博物館を見ると、1000年前のベラルーシには主な出来事が全くなかったらしい。そのとき、木造の家から作られた点々している部落しかなかった(そう考えると、現在のベラルーシの田舎はそのままだ)。1000年前後には最初の小さい公国が創立された。13世紀以来、現ベラルーシの大部分はリトアニア大公国の領地だった。そのとき、ベラルーシとその文化はかなり繁栄して、ベラルーシ語は大公国の公用語になった。次の数百年間にはその状況があまり変わらなかった。しかし、1800年ぐらい、ベラルーシは段々ロシアからの影響を受けて、結局ロシア帝国の属州になった。続いて、ベラルーシ語は1905年まで禁止された。

第一次世界大戦にはベラルーシも被害を免れなかった。しかし、ベラルーシは1918年にロシア革命後のどさくさを機会にしてベラルーシ人民共和国として初めて独立を宣言した。その共和国は数ヶ月だけ存在して、すぐボルシェビーキ(革命を防衛した赤軍の先駆け)に占領された。ロシアばかりではなく、ポーランドもベラルーシを要求した。結果としてはベラルーシは分配された。ロシアとポーランドの間の国境はМiнск(ミンスク)Нязвiж (ニャズヴィシュ、別名:ネスヴィシュ)の間にあった。西方はポーランド共和国の領地になり、東方はビェロロシア社会主義ソビエト共和国になった。ソ連の部分は色々な特権を受けて、ベラルーシ語、ポーランド語とロシア語は公用語になった。しかし、スターリン治下のベラルーシは他のソ連の共和国と同様に酷い目に遭って、無数のベラルーシ人は流刑または死刑に処された。

第二次世界大戦の前に結ばれた独ソ不可侵条約の秘密付属協定によって、ポーランドはドイツとソ連の間に分配されたので、赤軍はナチス・ドイツのウェアーマヒトという国防軍にБрэст(ブレスト)という現在のベラルーシ・ポーランドの国境に接する町で向き合って立っているようになった。1941年、ドイツはソ連を攻撃して、まずベラルーシを電撃戦で占領した。結果としてはドイツはベラルーシ蹂躙した。全ての町と約1万の村は完全に崩壊された。特にこの国は焦土戦術があくまでも追求された。斯くして、1941年前に建築された建物がほとんどない。1944年、赤軍はベラルーシを奪い返した。

 

歩調は相変わらず流行っている:ブレストの要塞の中の学級クラス

歩調は相変わらず流行っている:ブレストの要塞の中の学級クラス

 

他のドイツに占領された諸国と同様に、ユダヤ人は一番酷い目に遭った。中世期の後期以来、数十万人のユダヤ人はベラルーシの町々に定住した。ミンスクやフロドナ、ブレストなどの町にはユダヤ人の割合は50パーセントぐらいだった。昔にもプログロームという東欧によくあったユダヤ人が目的だった攻撃もあったが、ナチス・ドイツの治下の3年間の間、ベラルーシのユダヤ人の大部分は殺戮された。しかし、パルチザンとして森林に隠れてドイツの軍隊と戦ったユダヤ人もいた。

戦後ヨーロッパの体制を建設したテヘランやヤルタなどの会議の結果として、 ポーランドはただ西方へ動かされた。それはドイツにとって不利な結果をもたらしたが、ベラルーシというソ連の一部の面積は倍になった。戦後にはベラルーシはスターリン式で再建され、大規模な産業化を受けた。それと共にベラルーシのロシア化が推進された。ベラルーシの文化と言語は世に忘れ去られるようになった。

1991年、ベラルーシは時勢に従って新たに独立を宣言した。最初の政策の一つは共産党の禁止だった。続いて、国立企業の私有化が始まった。他のソ連の国々と同じく、それに従ってインフレの激化や生活水準の低下などの問題が発生してしまった。しかし、一般的な傾向はかなりよかった。だが、経済的な問題の激化と共に、共産主義は強化した。1993年、共産党の禁止は廃棄された。1997年の大統領の直接選挙の結果として、Александр Лукашенко (A. ルカシェンコ)はベラルーシの大統領になった。それ以来、彼は上首尾に歴史の流れを元に戻している。ルカシェンコは大統領の権限を大規模に拡張して、支配権に固執している。例を挙げると、ベラルーシの大統領は憲法によって二回しか立候補できない。その為、ルカシェンコは自分のために憲法を変更した。ベラルーシは最近西欧などから離れて、その代わりに東方の隣国ロシアに近づいてみる。しかし、ロシアとベラルーシの間にも問題がある。住民たちの権利は益々制限される。2004年の年末ぐらいには、青少年の旅行の自由権が廃棄された。マスコミを見ると、全てのテレビの番組や新聞などは統制されていて、反対しているメディアがない。一つの例はMinsk Timesというプロパガンダ臭い英文週刊だ。現在のベラルーシにいると、1989年前のソ連にいる感じがする。それは面白いかもしれないが、旅行者にとって悪いことが多い。経済を見ると、ベラルーシの現況は中欧と西欧と比べてかなり悪いが、それでも生活水準などはモルドヴァより全然いい。

ベラルーシはこれからヨーロッパの北朝鮮にならないことを願うしかない。否、ある程度までこのベラルーシはもう北朝鮮のようになった(ちょっと大袈裟だが)。全ての東欧の諸国を訪問した旅行者として、一つの結論しかない:ベラルーシはヨーロッパで一番ヨーロッパから離れている国だ。モルドバにある未承認の共産主義的な沿ドニエストル共和国さえベラルーシよりましだ。短くいうと、没落したソ連を体験したい場合にはベラルーシは完璧な場所だ。

旅行案内

序文

私は1992年にベルリン⇔モスクワの列車でロシアへ行ったとき、二時間ぐらい夜のブレスト市を歩き回ったことがある。しかし、それだけで「ベラルーシに行ったことがある」といえないだろう。その為、私たちはバルト三国のツアーを機会にして、帰るときにベラルーシを横断した。しかし、それは12月の上旬の話で、この国を旅するためにあまりいい季節ではないとすぐ気づいた。

ビザ

色々な旧ソ連の諸国の住民たち以外に、誰でもビザが要る。国籍に構わず料金はいつも同じだ。しかし、一つのいいニュースがある。2004年以来、ビザをもらうためには公式招聘状またはバウチャー(ホテルの予約証明書)が必要だ。その前、両方は必要だった。しかし、悪いニュースもある。2004年前、中欧からモスクワなど行き列車でベラルーシを横断したとき、 トランジット・ビザは必要でなかったが、これから途中で降りなくてもビザが要る。国境でビザをもらえないので、ビザは旅行の前に手に入れるはずだ!

有効期間一ヶ月のベラルーシのビザ

有効期間一ヶ月のベラルーシのビザ

ビザの場合には次の種類がある:ツーリスト、ビジネス、トランジットと普通のビザ。トランジット・ビザの有効期間は三日間だけで、このビザをもらうためにはまず隣国のウクライナまたはロシアのビザが必要だ。ベラルーシの後にバルト三国またはポーランドというビザが要らない国に続く場合には、ベラルーシからその国への切符または航空券が必要だ。然し、列車の切符は外国で手に入りにくいので、列車で北方または西方へ続く場合にはトランジット・ビザはあまりよくない。

自由にベラルーシを旅したい場合、そしてベラルーシに招待してくれる個人または組織がない 場合、ビザ・サポートを提供している会社または隣国の旅行会社へ 行った方がましだ。大使館ではなくて、会社またはオフィスでビザを取るとき、料金は 少しだけ高くなるが、バウチャーや招聘状は必要なくなる。例を挙げると、 Vilnius(ビリニュス)の旅行会社で普通の、有効期間は一ヶ月のビザを買う場合には、料金は65 ユーロ(約8500)だ。大使館でもらうと、料金は 50 ユーロで、バウチャーは別料金かかる。旅行会社に場合にはパスポートと写真、そして料金だけが要る。ビザは同日に発行されているのでとても便利だ。65 ユーロの料金を払うとき、そのビザは一週間後有効になる。ちなみにエキスプレス・ビザという翌日に有効になるビザもあるが、その料金は110ユーロだ(約1万4千円)。在日ベラルーシ大使館もあるが、その場合にはバウチャーが必要だ。しかし、あそこの料金は1300円だけ。

国内登録

ベラルーシを入国した後、24時間の間に警察で登録することが必要だ。その手続きはやや複雑だが、ホテルに泊まる場合、スタッフは登録手続きを果す。その為、最初の一泊は普通より高くなる。ホテルで様々な書類―全部で4枚―を記入することが 必要で、普通はロシア語版しかない。その後、справкан (スプラフカン)という証明書がもらえる。全てのホテルはスプラフカンを発行して、その証明書は出国するときに出すはずだ。しかし、私たちはБрэст (ブレスト)でベラルーシを出国したとき、誰もそのスプラフカンに興味がなかった。それでも全ての旅行中でもらう証明書をキープしたほうがいいと思う。

ホテルではなくて、人の家に泊まる場合には一番近いОВИР (オヴィル)の義務所での登録が必要だ。そうしないと出国は難しくなる可能性が高い。

通貨

価値は50銭以下の10ルーブルのお札

価値は50銭以下の10ルーブルのお札

ベラルーシの通過はБР(ベラルーシ・ルーブル)と呼ばれて、ローマ字での略語はBYRだ。昔、コペイカという補助通貨もあったが、インフレのせいでコペイカがなくなった。独立を宣言した後に導入されたお札などは無効になったので、1994年前のお金が使えなくなった。インフレは昔より低いらしい。しかもルーブルは自由に兌換できるようになたから、通貨の闇取引がなくなった。2004年の両替レートは1ユーロ = 2,880 BYR (1円 ≒ 22ルーブル)だった。

ベラルーシのお金は訪問者をまず発狂させる。なぜかというのは、お札の量は恐ろしい。コインが全くなくて、その代わりに10、20、50、100、500、1千、5千、1万、2万と5万ルーブルのお札が流通している。二回、三回地下鉄で行ったり軽食を食べたり水を買ったりなどをすると、一時間後20枚以上のお札がポケットに入って、その20枚の総額は100円だけだということは珍しくない。

ベラルーシの大都市 Мiнск(ミンスク)Брэст(ブレスト)などには現金自動支払機があるが、支払機はまだ少ないから、長く探すことになるところがある。支払機で普通のクレジット・カードなどが使える。小町には支払機がないから、行く前に十分現金をおろしたほうがいい。

ご注意: 値段をいうとき、ベラルーシ人はよく「тысяча(トゥイースヤチャ)」という言葉をスキップする。トゥイースヤチャは 1千という意味だ。例を挙げると、「ドヴェ・スト」は 200(二・百)という意味だが、実はそれは「ドヴェ・トゥイースヤチ・スト」=2100ルーブルということだ。だからロシア語ができても迷いやすい言い方だ。

当然ながら、ベラルーシ・ルーブルは外国で両替できないものだ。要するに残ったお金は出国する前に両替したほうがいい。€ → BYR と BYR → € の両替の利鞘はあまり大きくない。ちなみに、外国の通貨として、日本円よりユーロや米ドル、ロシアのルーブルまたはウクライナのフリヴナを持っていったほうがいい。

物価

ベラルーシの物価は非常に安い。だが然し、特に宿泊所と博物館の場合には値段は国籍によって違う。外国人はベラルーシ人より3倍、4倍ぐらいの値段を払ってしまうので、そんなに安くない国だ。

三つのカテゴリーのある部屋代(一人一泊)

三つのカテゴリーのある部屋代(一人一泊)


スイート
シングル
ダブル
トリプル
ベラルーシ人
3500円
950 円
750 円
600 円
旧ソ連の人
8700円
2200円
1800円
1400円
外国人
10400円
2700円
2200円
1800円

ロシア語できる場合には、ロシア語でチケットを頼んでベラルーシ人のための値段だけを払うことが時々できるが、ホテルは違う。レセプションで部屋代を聞くと、スタッフはいつもまず国籍を聞く。チェックインするためにパスポートは必要なので、嘘をついても意味がない。外国人は首都でも田舎のホテルでも 3倍ぐらいの値段を払うべき。

要するにベラルーシを旅するとき、宿泊代は一番高いものだ。ダブルの中のベッドは平均的に一人で2000円ぐらいかかる。しかし、レストランでスターターやデザート、色々の飲み物を含むミールは一人で500円ぐらいしかからない。昼食は100円ぐらいで食べることもできる。タバコ一箱は20円、ビールの一本は25円だけかかる。エレクトリチュカという各駅市電でМiнск(ミンスク)からБрэст(ブレスト)まで行くと、運賃は約 550円だけ。

ホテルに泊まる場合、一日中一人で少なくとも3000円ぐらい使うことになる。高い博物館が全くない。そして高級のレストランも少ない。しかし、ベラルーシの物価とサービスとが全然釣り合っていない。ウクライナなどには物価は同じぐらいだが、サービスと質はベラルーシより何倍もいい。

往路

飛行機、バスまたは列車で行ける。しかし、日本から直行の飛行機がまだない。その為、モスクワやフランクフルトなどのヨーロッパの主な空港で乗り換えすることが必要だ。ベラルーシの主な列車などの交差点はМiнск(ミンスク)Брэст(ブレスト)だ。両方から沢山の国際列車がある。ミンスクから次の町までの直行がある:ウィーン(所要時間は22時間)、プラハ (22時間)、キエフ (14時間)、モスクワ(12時間)、ビリニュス (4時間半)、ワルシャワ (10時間)、ベルリン (19時間)、リーガ (12時間)、キシニョフ (27時間)、ブラッセル(27時間)、そしてノヴォシビルスク(67時間)やイルクーツク(99時間)まで。夜行で行く場合には、1500円の別料金がかかるということを分かったほうがいい。上述の列車には二日間に一回だけ走る列車もあるので、気をつけて時刻表を読んだほうがいい。

中欧または西欧からいく場合には、一番安い行き方は次のようだ:ベルリンからBerlin-Warszawa-Express (ベルリン・ワルシャワ急行)という列車があり、ベルリンからワルシャワまでの所要時間は6時間、運賃は 32 ユーロ(4000円)だ。ワルシャワからTerespol (テレスポール)という国境の町への列車が沢山ある。それは4時間ぐらいかかって、運賃は約1000円以下だ。そこから、国境だけを越える列車があり、終点は数キロだけ離れている Брэст (ブレスト)という一番西にあるベラルーシの大都市がある。こういうふうに行くと、ベルリンから5000円以下でベラルーシまで行ける。

ご注意:ブレストで入出国する場合には、検閲・入出国の手続きは駅の構内で行われている。その為、出発の1時間前(遅くとも!)駅に行くことが必要だ。そうしないと絶対間に合わない。ブレストからテレスポール行き、国境だけを越える列車に乗る場合、密輸者が多くて検閲はもっと長くかかる。

当然ながら、国際バスもある。その内、ビリニュス (4時間)とリーガ行きバスがある。 リーガ行きバスはDaugavpils (ダウガフピルス)経由で、所要時間は10時間だ。ラトヴィアでチケットを買うと、運賃は 9Ls (約1600円)で、夜行で行くと 10 Ls かかる。その夜行のバスはすごく近代的で、お勧めだ。エストニアまでは直行のバスも列車もない。

飛行機でも行けるが、フライトはやや少ないのでかなり高くなるおそれがある。一番早い行き方はモスクワまたはキエフ経由だ。

国境通過点

隣国のポーランドリトアニアラトヴィアロシアウクライナと色々な国境通過点がある。 ご注意: 田舎のほうにある小さい国境通過点はその近辺の人だけが使えるもので、外国人はそこで入出国をすることができない。

入出国

人気のあるウォッカ”CCCP”(=ソ連)

人気のあるウォッカ”CCCP”(=ソ連)

色々な人によって、入国するときには税関で問題が発生するところが多くて、そしてウクライナと同様に強制加入保険がある。それはあっているかどうかわからないが、自分で入国したとき、問題が全くなかった(夜2時だったから、税関の人は爆睡した)。出国するとき、税金はただどれぐらい現金を持っているということを知りたかった。ホテルなどでもらう証明書などは是非キープしたほうがいい。それは出国するときに大役を演じる可能性が高い。出国するとき、約300円の出国費がかかる ― といわれてそれを払った。しかし、出国したとき、誰もその領収書を見たくなかった。

食事

ベラルーシの料理はロシア料理に大変似ている。というのは、マヨネーズが多すぎるサラダや ペルメニ(ロシア風の水餃子)、妙な肉料理やバター・クリームのケーキなどがかなり普及している。それに加えて、драники (ドラニキ) というよくみえる、キノコ又は肉入りじゃが芋のパンケーキは大人気の料理だ。国際料理は他の国と比べて少ない。あちこちに中華料理の店があるが、質は大体あまりよくない。Брэст (ブレスト)にはまあまあ美味しい魚料理のレストランと 中華料理の高級レストランがある。

一般的にいうと、レストランがあまりない。特に田舎のほうには選択肢があまりないが、ミンスクもそうだ。だからホテルのレストランに入るしかないところがある。小町だったら、そのレストランは町の唯一のレストランだということは珍しくない。あそこのメニューは 大体どこでも同じ。そしてサービスはソ連のままだ。ちなみに、Мiнск (ミンスク)にはマックドナルドもある。

コーヒーの愛好者はベラルーシで絶対がっかりする。水を買うとき、気をつけたほうがいい。ミネラル・ウォーターが書いてあるボトルには時々本当のミネラル・ウォーターが入っていて、塩っぽくて苦いから薬の味がするブランドもある。もちろん、ベラルーシの第一の火酒は водка(ウォッカ)で、無数の種類がある。 半リットルのボトルは大体150円だけかかる。レストランで「ウォッカ一杯下さい」といったら、0.1リットルになってしまう。小さいウォッカは 5cl だ。最近、ビールも普及していて、 Крынiца(クルィニツァ)Брестское (ブレストスコイエ)Лидское(リドスコイエ)などのあまり悪くない種類がある。

リンク集

  • president.gov.by:大統領の公式のページ。ベラルーシの大統領なのに、ベラルーシ語版がないのはおかしい。ロシア語と英語。このページを読むと、民主主義は段々だめになる気がする。
  • www.belarus.jp:在日ベラルーシの大使館。国について、そしてビザなどについても情報が多い。日本語。
  • belapakoi.s1.xrea.com:「ベラルーシの部屋」というベラルーシについてすごく詳しいページ。必見!日本語。
  • www.belarustour.com:ベラルーシに於ける私立の旅行会社。民宿も提供しているらしい。しかし、ビザの応援(招聘状の提供という意味)で 40ドルという値段は 高すぎる ― 他の場所にはそれは3、4ドルだけかかる。だからこの会社の場合には 注意したほうがいいかもしれない。英語のみ。
  • www.draniki.com:否、これは「ドラニキ」という伝統的な料理についてのページではない。 ここはベラルーシ人が自由にベラルーシの政治上の状況などを議論するフォーラムだ。マスコミにはベラルーシについてのあまりあってない情報が多いから、このフォーラムは大切な情報源だ。残念ながらベラルーシ語とロシア語だけ。

ベラルーシについての面白いホームページを持っていますかまたはご存知ですか?その際には住所を知らせてください。確認した後、ここにリンクを入ります。商業上のホームページはお断りです。

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