|
|
今日は8月の15日なので、グルジアのトランジット・ビザは失効する。そしてアルメニアのビザは今日から有効になるので
本日は必ずアルメニアを入国しなければならない。Nasiという宿泊所のママによって、エレバン行きバスは朝8時15分に
出発する。要するに朝7時に起きる。皆はまだ寝ていた。旅行者はかなり多かったからNasiはテラスの上にベッドを置いて
外で寝た。私達はマルジャニシュヴィリ広場へ歩いてマルシュルトカを捜したが、朝早いからまだ少なかった。
しょうがなくてタクシーの運転手と値切ってタクシーでオルタハラというバス・ターミナルへ行った。降りた後、すぐ色々な
人にタクシーまたはマルシュルトカでエレバンへ行きたいかどうかと聞かれたが、普通のバスで行きたいので断る。
そのバスは、東欧にどこでもあったハンガリー製の黄色い「イカルス」バスだった。懐かしいと思った。切符と弁当を買うことを
すぐ済ました。バスに乗る前に運転手にビザがあるかどうかと聞かれた。そのビザを見せた後に指定席を案内してくれた。
バスの中はものすごく狭い。いつもそういうバスに乗ったのは子供の頃だったのでびっくりした。そんなに狭かったんだ…もっと
広かったじゃないじゃん!?と思った。時間に遅れなく出発したバスは最初にかなり早く運転する。途中の村は
またロシアっぽい。農家はたいてい木材から作ったものだ。泥だらけの道路には沢山の穴があいている。あちこちに
頭にかぶる布の生活は身にはっきり現れているおばあさん達が見えた。
バスは広いカスレティ谷から離れて人があまり住まない山地に入った。だが、満席のイカルス・バスはそういう風景のために作った
ものではないのでよく並足のテンポで進んだ。
国境を通過するのは30分しかかからなかった。その後、運転を続いた。高原を超えたとき地平線に高い山脈が見えた。
アルメニアで最初に目立ったのは木が全然ないということだった。道路には穴があいているとあまり言えなかった。その道路は
一つの大きな穴みたいな感じがした。2時間以上激しく揺り動かせた後にずっと見えた山脈に入ってすぐ止まった。
そこには休憩所があった。休憩所というのは、三つの窓がなくてぼろぼろしている小屋と面白いトイレ(参照:写真)と
水ポンプがある。1時ぐらいだったので昼の休憩だった。運転手はある小屋に入って休憩所の管理者と昼食を食べた。
他の小屋から煙が出てきた。中には焼肉が作られたが、私達はアルメニアのお金をまだ持ってなくて、そして弁当があったから
食べなかった。
話が他の話題について続いているけど、彼女はやっぱり頑固でまた宿泊について話している。しつこいなと思った…
遂に本当のことを喋ってしまった。「二人で二泊・三泊泊ると100ドルだけで本当に十分だよ!」…「し〜ん」。
それは十分だとよく信じているけど、私達はそんなにおしゃべり、そして高い民宿を目指さなかった。
だから今回はきっぱりして断った。
1時間以上の休憩の後に運転を続いた。そのとき、ほとんど全員と知り合ったから途中でよく他の乗客に
微笑みかけられた。
アルメニアの村と町を見ると、一つのすぐ目立つことがある。ほとんど全てのちょっとだけ大きな建物は 明るい赤褐色の凝灰岩から作ったものだ。バスは途中でスピタク市を横断する。そのスピタクは1988年に 地震で完全に崩壊されたものだ。その町は部分的に再建されて他の町より建物の多様性がある。
エレバンの中心は山峡で南方と西方の郊外から別れている。目立つのは無数の大きな工事現場だ。沢山の
道路や建物などは工事中だ。私達が最初に目指したのは現金をもらうことだった。だからまず現金自動支払機
を探そうとした。少し歩いた後に共和国広場の前に銀行をみつけた。そこでお金を降ろして隣にある喫茶店に
入った。やっと飲み物を買えた。そしてやっと疲れが取れた。その喫茶店からかなり広い共和国の広場の眺めを楽しんだ。
その広場は4つの四分円形の大きくて赤褐色の宮殿みたいな建物に囲まれている。その建物も凝灰岩から作ったもので
綺麗だ。沢山のラダというソビエト連邦製の車とときどきベンツまたはBMWがその大きな円形広場をかなりスピードを出して横断する。
段々遅くなるので民宿の場所を探したほうがいいと思った。途中でかなり若いアルメニア人に話しかけられた。 彼は片言の英語で話してみるけど、中々分かりにくい。私は彼に「ロシア語が出来るからロシア語で喋っていいよ」といっても 英語を練習したがったらしい。彼は一緒にその住所を探した。彼はいなかったら多分15分かかるけど、彼と一緒に 探したから1時間の4分の一しかかからなかった。建物を探すのは簡単だったけれども、三つの入り口があった。最初の入り口に入って いたけどそれではなかった。二番目もだめだったからやっぱり三番目だった。優しそうおばさんはドアを開けて 「うちは今ハンガリー人が泊っているので残念ながらスペースがないが、隣の入り口に住んでいる人のアパートに泊れると思う!」。 そしてその人に連絡して、「大丈夫ですよ!」と言った。ネットワークみたいなものがあるらしい。 Nasiから「よろしく!そして連絡して下さい!」と伝えてアルメニアの若者と一緒にまた隣の入り口に入った。
おばさんは本当にずっと喋って、話のスピードも非常に早い。私は久しぶりにそんなに沢山のロシア語を聞いたので ときどきフォローできなくて頭が痛くなる感じがする。特にお風呂の扱い方についての説明はやや難しい。アルメニアには 特に真夏に水が少ないので毎日数時間水道から水が出ない。そのため、彼女のバスには大きな自分で作った貯水タンクがある。 バスチューブの上にあるのでそれでシャワーも浴びることができる。しかもそのタンクに入っている水を温めるデバイスもある。 要するに「国立水」(おばさん曰く)がないときだけそれを使っていい。そのタンクはトイレのフラッシュと台所の給水栓、そして 洗濯機などでつなげれていて中々すごいものだ。 その後、アパートの鍵をもらった。何時でも帰っていいし何時でも出かけれるようになるのでありがたいことだ。 鍵の使い方もちょっと難しいので彼女はそれを全部で3回説明してしめす。 ロシア語はとりあえずそれで十二分だったしお腹が空いたから出かけた。民宿の前にある広い道路の反対側にはオペラが ある。オペラの周りに綺麗な公園があり、その公園には沢山のオープンエア・レストランとバーがある。そのバーなどは 多色のネオン光に照明されてすごい雰囲気だ。エレバンの中心は驚くべき美しいと気づいた。大都市なのに落ち着いた雰囲気だ。 私達はその公園の一つのバーに入ったが、もう遅かったので食べ物は少なかった。仕方なくておかしいハンバーガーとサラダ、そして ビールと有名なアルメニアのコニャックを頼んで、それで二人で3500ドラム(約900円)を払った。かなり高いと思ったが、 華麗な場所でお金持ちのアルメニア人のホットスポットだから確かに比較的に高い。 夜中には雷雲が押し寄せてきて、それを泊ったアパートのバルコニーから見るのは気持ち良かった。 エレバンの最初の印象はすごくいい。この町はそんなに快適な場所だと思わなかった。もっと滞在してほしいところだ。 それは部分的にアナイトという民宿のママのおかげだと思う。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
||