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バス・ターミナルから旧市街へ歩くとき、唯一のみえるものはまず殺風景な住宅地と灰色の店だ。全部で
二つの通りだけは新市街を旧市街と結んでいる。一つはあまり面白くない小さな通りで、二番目は上述の真直ぐな
Vitauto(ヴィタウト)通りだ。途中で、左側にはトラカイのツーリスト・インフォメーション
がある。もっと北方へ歩くと、大きいカトリック教の教会が目立っている。この教会は
トラカイの繁栄時代のときに建築されたものだが、かなり素朴な建物だ。
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トラカイの古い教会
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教会からメイン・ロードをまた北へたどっていくと、右手に Trakų Pusiasalio Pilis (トラカイの半島城)
の廃墟がみえる。このお城は14世紀の後期に築かれたが、いつか完全に崩壊されてしまった。現在には、半島城は
再建されている。一つの塔はもうできあがって、もう一つの塔は半分出来上がっている(2004年11月現在)。
この半島城は完全に再建されているらしいが、それはいつまで出来上がっているのはまだわからない。
お城の近辺で、メイン・ロードの名前が変わる。ヴィタウト通りはKaraimų (カライム通り)になって、
その通りはトラカイのハイライトの一つだ。その辺には沢山の古い木造の農家が並んでいる。その農家はカラーフールだが、
ぼろぼろしている家もある。農家の建築様式はほとんどいつも同じだ:正面にはドアがなくて、一階には三つの窓がある。
車もあまり通過しないから、このカライム通りは本当に綺麗な鄙びたの眺めだ。
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トラカイのカライム通りの農家
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カライム通りという地名は Karaimų (カライメ)、別名:Karay, Karaim, Karäer)
に由来する。カライメはタタール人と一緒に→クリム半島から
現リトアニアへ移住してきた部族だ。中世期に強大だったリトアニアは現ウクライナの南部のステッペで「黄金の漂泊放浪の団体」
というモンゴル・タタール人の有力な部族と闘った。リトアニアは結局その地方を占領して、沢山の南ウクライナの人を
リトアニアへ移住させた。その内、カライメ人という部族もいた。それ以来、カライメ人の男達はヴィタウタス王様の
親衛隊になった。だがしかし、現在には世の中に約4万5千人のカライメ人しかいない。半分ぐらいは現
→イスラエルに住んでいる。
カライメ人は Kipchak (キプチャク)という昔の部族に由来している。その部族は現モンゴリアから
西方へ移動した。特にカライメ人の宗教は面白い。カライメ人は旧約聖書とトーラ(モーセ5書の律法)を信じているが、
タルムードというユダヤ教の教典を認めない。要するにカライメ人の信仰はユダヤ教
に近い。しかし、イスラエルには、カライメ人は Gojim (非ユダヤ人)として見られている。
少数民族というのは、リトアニア国全体には257人のカライメ人しか残っていない。それの半分ぐらいは
→ビリニュスに暮らしている。それでもトラカイは東欧のカライメ人の中心だ。ちなみに、
→イスタンブールにもカライメ人の証がある:
カライメ人は中心の地区 Karaköy (カラキョイ)の名前を作りあがった。
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ケネサというカライメ人の礼拝堂
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宗教ばかりではなくて、言語も特別なものだ。カライメはトルコ系諸民族の部族だから、カライメ語はチュルク(トルク)語族の
言語で、それはインド・ヨーロッパの語族と全く関係がないものだ。カライメ人は500年間以上他のトルコ諸民族から
離れている場所に住んでいるから、カライメ語は非常に正確かつ本来のチュルク語だと言われている。だがしかし、
257人(1959年:423人)しか残っていないから、この言語は次の百年間を生き延びているのかというのは疑ってもいいだろう。
リトアニアにはかなりいい少数者の権利があるが、それでもカライメ部族とその言語は死滅しつつあるらしい。
カライメ通りには素朴な Kenesa (ケネサ)というカライメ人の礼拝堂がたっている。
イスラエルの国会はヘブライ語で”Knesset”(クネッセト)と呼ばれて、言葉の間に関係があるかどうか分からないが、そういう
可能性もある。上述通り、65人のカライメ人しかトゥラカイに住んでいないので、当然ながら観光客としてカライメ人の日常生活を
体験できるわけではない。しかし、トラカイにはカライメ博物館があるから、それで
ちょっと勉強になる。
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トゥラカイの素晴らしい小島のお城
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トラカイのメイン・アトラクションは多くの観光客にとって Trakų Salos Pilis (トラカイの島のお城)だ。
お城とトラカイの間にはもう一つの小島があるから、二つの小さい橋がある。この赤いお城は
Galvė ež. (ガルヴェ湖)の中にある小島をほとんど完全に占めている。
この赤い煉瓦の水城は中世期後期のときに巨大なリトアニア公国の中心だった。しかし、17世紀のロシア軍隊による崩壊の後、
トラカイ城は益々ぼろぼろしてしまった。
ただし、ソ連時代にも史跡を保存する運動があった。だから1961年以来、トラカイ城は再建された。それは全部で
26年間かかって、その結果は本当に素晴らしい。お城自体は二つの部分に分かれている。西部は厚い外壁に囲まれている
要塞で、東部には大きい教会などがある。両方の部分の間には小道があり、その小道の両側の外壁は日差しが道まで届かない
ほど高い。お城の入場料は8 Lt だ。
トラカイは→ビリニュスからの日帰り旅行としてお勧めだ。お城ばかりじゃなくて、村のロマンチックな
通りも必見のもので、大都市とのコントラストはすごい。
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