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УЖГОРОД
:ウジゴロド
ウジゴロドの穏やかな中心
ウジゴロドという町はカタカナでだいたいウジゴロドと書かれているが、本当の発音は 「ウッシュゴロド」。この町はザカルパーツカ省(低カルパート)の省都で、
→スロバキア
との国境にある。 このカルパート山脈とスロバキアと
→ルーマニア
の間にある場所はウクライナの一番西の省で、地理学的に ヨーロッパの真中だ。町自体は1200年前ぐらい創設され、現在の人口は約12万人だ。 第二次世界大戦まで、ウジゴロドは「
ウングヴァー
」(Ungvar)と呼ばれた。今の名前は「ウッシュ」 というこの町を貫いて流れている小川と、スラヴ語の「ゴロド」(それの意味はただ「町」)という言葉から 構成される。1914年まで、この町とその周辺はハンガリーあるいはむしろオーストリア・ハンガリーの 領域であった。その後、ウジゴロドは1939年までチェコスロバキア、そして1944年までドイツの 領域の一部であった。
ハンガリーあるいは
→スロバキア
からウクライナを入国する人はたいていまずウジゴロドに着く。 そしてこの町は綺麗なところなので、一日間・二日間ぐらいこの町に過ごすのはお勧め。
ウジゴロドの小さな中心には
イエフゲナ・フェンツィカ広場
というところがある。 旧市街はウッシュ川の右岸(北側)にあり、駅などが左岸の新市街にある。中心には、両岸を 繋いでいる小さい歩行者専用橋がある。旧市街で、その橋の袂でフェンツィカ広場がある。そこから、 沿岸の木並通りがある。フェンツィカ広場の周辺はだいたい歩行者専用道路だ(参照:右の写真)。 この辺は店やレストランなどが密集している。中心を歩くと、町には10万以上が住んでいるというのは 信じられない:雰囲気はすごく落ち着いて田舎の小町にいる感じがする。沢山の建物はオーストリア・ハンガリー時代の 建物で、
→スロバキア
・ハンガリーなどの都市に大変似ている。
フェンツィカ広場を歩くと、右側にある大きくて赤い建物がすぐ目立つ。出入口と窓では弓形の線と この地方で珍しい装飾がある。一般的に言うと、この建物はオリエンタル風なのだ。 近づくと、入り口の上にある大きい竪琴が見えるようになる。そうなんだ、音楽と関係があるんだ。 それはオブラスナ・フィルハーモニカという
低カルパート省のフィルハーモニー
だ。
中心に近い美しい大聖堂
しかし、外見が予期させる通り、この建物は本来の目的から外れて使用されている。 フィルハーモニーは元々シナゴーグというユダヤ教の会堂で、ガリチア・ヴォルヒーニア国に住んでいた ユダヤ人の悲しい歴史を物語る。特にこの辺にはユダヤ人が多かったが、第二次世界大戦の中を生き延びる ユダヤ人が少なかった。大部分は戦争中にナチ・ドイツによる強制収容所へ追放され殲滅された。 参照:
→写真
中心から数百メートル離れているところには二つの塔のある黄色い大聖堂が建ってある。 この大聖堂は1646年にイエズス会(耶蘇会)が創設したものだが、そのときの形は 現在と全然違った。続いて、大聖堂はまずギリシア・カトリック、そしてロシア正教会、 次に結局ウクライナ・カトリックの教会になって、現在の特異の塔を建て増してきた。
大聖堂の附近は古い住宅地で、狭くて古い建物が多い。それに加えて、昔のままの 修道院の設備なども見える。チリに覆われた曲りくねった横町を歩くと、突然1900年に 旅した感じがする。ここはオーストリア・ハンガリーがまだ生きている。
→スロバキア
の国境はウジゴロドの北西の郊外にあり、中心から3、4キロしか離れていない。 国境通過点は町の小さな空港の後ろにある。
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