→www.tabibito.de/日本語版/ウクライナ


このページを印刷する
ОДЕССА

ウクライナ
: オデッサ


オデッサ
オデッサという黒海のJにある都市の歴史は古代ギリシアの時代までさかのぼる。しかし、近代的なオデッサ はかなり新しくて、1794年に女帝エカテリーナ2世の指示に従って創設されたもの。そのとき、 ロシアは黒海、そしてそれと共に地中海を簡単にアクセスできる為の港を作るつもりがあった。 戦略的に見て重要であるオデッサは港のおかげですぐ発達して、現在には人口が100万人を超える。 それに加えて、オデッサはウクライナの一番大切な港だ。中心にいると、人口がそんなに多いのを 全くわからないというのはオデッサの特殊。しかし、列車でオデッサから東へ行くと、無限の郊外が 見える。中央駅に着くと、まず「 オデッサ ― 英雄の町 」という大きい文字で書いてあるスローガンが 目立つ。それはあまり大袈裟ではない:1905年には反乱があり(参照:ポチョムキンの階段)、 続いてドイツが第二次世界大戦のときにオデッサを侵入したとき、非常に強い反対運動があった。 当然の帰結として、オデッサは戦争中に大規模に崩壊された。そのパルチザンという反対運動は たいてい地下から作戦行動をした。オデッサの地下には、長さは約1000キロ(!)の道路網がある。 それは カタコンビ と呼ばれ、それの一部は「パルチザンの栄光博物館」になった。 しかし、その博物館は中心からかなり離れている。
オデッサののどかな中心
色彩が豊富なオデッサの中心
上述のように、中央駅から出ると大都市にいることは信じられない。しかし、 オデッサから列車でクリム半島方面へ行くと、町を出るのは時間かかる。 オデッサの中心は中央駅とその東北にある港の間に広まれ、長さは3キロ以上。 しかし、中心からの黒海への眺めは期待はずれなのだ。港湾にあるオデッサの 海岸は港の設備と工業地帯ばかり。ビーチを探す人はやむを得ず アルカーディヤArkadija という南方にある中心から約8キロ離れているところまで行かなければならない。 そこには、ビーチの他に高級ホテルなどもあり、オデッサの市民のリゾート地だ。
中心を歩くと、この町にはお金持ちが多いという最初の印象が与える。色々な高そう店とレストランは その考えを強める。例をあげると、市内には少なくとも三つのかなり高い日本食のレストランがある: 「横浜」という華麗大通りの店、そしてオペラの手前にある「神戸」と「御影」。 富裕の原因は明らかにオデッサの港。それのおかげで、沢山の訪問者が町に来るが、 その内西ヨーロッパ・アジア・アメリカから来る人が少ないらしい。町を歩いたとき、 テレビのインタビューをやる人達が近づいてきて、勝手に私にロシア語で「この町を訪問する理由は 何でしょうか?」と聞いた。「ロシア語はうまく話せません」とロシア語で答えたと、 相手が逃げた。もしかしてその人はこういう観光客を期待しなかった。結果が見なくていいから 安全にインタビューをやる気があったのに…
確かにこの町には様々な名所があるが(参照:下の節)、それがなくてもオデッサは絶対見応えのある場所。 都心は部分的に碁盤模様のように計画され、迷いにくい。ほとんど全ての建物は同じ時代に建築されたので、 調和の取れた姿だ。教会以外には高層ビルが全くないので、かなり小さな町にいる感じがする。 それに加えて、並木の通りが多くて緑の町と言える。一つはポチョムキンの階段の上手にある プリモールスキー通り。建物の正面の色の多様性は印象的だ:薄緑の隣に紫色がかったバラ色の建物、 続いてすみれ色、そして黄色い建物などが並んでいる(参照:右側の写真)。 中心のほうはうまく整備されていて、壊れている建物が少ない。駅に近づくと、建築様式も雰囲気も益々変わる。 駅の付近には新しい建物もあるが、道路も建物も汚くて貧乏な郊外が近いとすぐわかる。

ポチョムキンの階段
ポチョムキンの階段
世界一有名な映画撮影所!
ポチョムキンスカ・レストニツァ 世の中には大きい階段が多いが、この階段は違う:映画についてちょっとだけ詳しい人さえはこのオデッサの階段 について聞いたことがあるだろう。その名所は一般的に ポチョムキンの階段(ウクライナ語でポチョムキンスカ・レストニツァ)と称されている。 まずこの階段の建築様式について:二つの面白い点がある。一つは、上に立つと階段は全く見えない。唯一の 見えることは両側にある踊り場だ。それと対照的に、下から踊り場が見えなくなり、その代わりに階段だけが見える。 上るとあまりわからないが、最上段の幅は12.5メートルで、最下段は21.6メートル。それは目の錯覚を起こすため。 階段の前に立つと、この建造物は実際よりも大きく見える。ポチョムキンの階段を作ることは4年間かかり、 1841年に完了されたもの。
全世界周知を収得させるのはセルゲー・エイゼンシュタインが作った「 戦艦ポチョムキン 」という サイレンと映画だ(その映画についてのやや詳しい情報は →http://www.actv.ne.jp/~yappi/eigaへ)。 「戦艦ポチョムキン」は1925年(ロシア革命の8年後)に制作され、1905年に戦艦ポチョムキンで勃発した 反乱を物語る。反乱中では、オデッサの市民達は水兵と連帯した。しかし、この反乱は素早くて情け容赦なく 鎮圧された。そこまでは本当の話。それは映画でこういうふうに表される:コサック人の編隊は銃を撃ちながら とどまるところを知らなく階段を下がり、沢山の死傷者が階段の上に倒れたままである。クローズアップ: 目が弾に当って砕けていて、メガネをかけている女性は死の恐怖して叫ぶ。次のクローズアップ: 赤ん坊が入っている乳母車は階段を急降下してしまう。エイゼンシュタインはこの映画で初めての監督として モンタージュという映画撮影技術を使って映画史上に名をとどめた。メガネと乳母車の車輪という丸いものと対照的に 階段と銃の直線状のもの、それに加えて字幕と音楽 ― この映画は確かの世論を喚起した。 オデッサの階段の前に立つと、この映画の思い出が必然的にわいてくる。
ポチョムキン公爵は18世紀末オデッサの地方を支配した。 この公爵のためには「ポチョムキンの村」という慣用句があり、それは欺瞞という意味。噂によって、 彼は土地の繁栄を見せかけるために村を急造したが,外面だけであった。彼に恩恵を与えた人はほかならぬ 女帝エカテリーナ2世であった。二人の間には恋愛関係もあったらしくて、畏怖の念を起こさせるため、 彼は上述のような村を作ったという話があるが、それは妬む人の悪口だったという可能性もある。 全般的に言うと、彼は有能な支配者だった。一つの彼の偉業はロシア帝国にクリム半島を併合するということ。
階段を降りきった所にある道路を越えると、近代的な高層ビルに入っている高級ホテルとフェリーの埠頭がある。 上手には綺麗なアート・ヌーボー等の建築物が並ぶ広場がある。近くには エマーヌエル・リシュリューの像がある。リシュリュー(デュク・ド・リシュリューという17世紀の政治家 と違う人!)はフランスの公爵であったが、1789年のフランス革命を恐れてロシアへ逃亡した。彼は ロシアの皇室宮中でどんどん出世して、1803年に結局オデッサの地方長官に任ざれた。彼のおかげで、 数千人のドイツ人はオデッサへ移住してこの地方を発展した。何故かわからないが、その像はトーガという 古代ローマの衣類を着るリシュリューを表す。

オデッサのオペラ
オデッサの中心にある劇場
アカデーミチュニー・テアトル・オペーリ・タ・バレットゥ 階段の付近にはオデッサの世界中で有名なオペラがある。外見だけで印象的なオペラは 沢山の人に「世界一綺麗な劇場」と呼ばれている。オペラの建物は19世紀末にウィーンの有名な建築家の 設計図を使って築かれたもの。ルネサンスとバロックを複合するオペラは 美しいオデッサの中心に誠に相当している。正面の上には音楽・舞踊・喜劇・戯曲などを代表するミューズという 女神の彫像が立ってある。中に演奏するバレーなどは劇場のことをよく知っている人によってとても有名。 それに加えて、チケットはかなり安いと聞こえた。残念ながら、私達がかなり遅くオデッサに着いて、翌日の 夕方にまた出発したので上演を見る機会がなかった。概して言えば、ロシアとウクライナの演劇界は非常に発達している。

ヴォレツィア・デリバスィフスか 劇場へ行く前か行った後か問わずデリバスィフスか通りという中心の一番華麗な通りへ行かない人がいない。 ここは町の一番高いレストランや店、そして沢山のオープン・カフェが並んで、ゆっくり散歩にでも 出かけたいという気持ちを起こさせる。ここにあるレストランで二人で夕食すると3000円以上になる可能性が高いが、 食べ物がだいたいおいしい。そんなに高い値段はキエフ以外のウクライナの都市で考えられない。 デリバスィフスか通りには民芸品の市場になったゴールサド公園とすごく綺麗なアーケードなどもある。

宿泊所 往路 他の写真



©2012 tabibito