台湾の歩き方
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台湾を旅行する多くの人々と同じく、私は台湾の北方にある
中正国際空港に着いた。
入国した後、私はバスで(130元=500円)で台北
という台湾の首都の都心へ行った。
台北からはかなり便利なMRTという市電で海岸のほうへ行ける。台北からの一番近い海岸にある町は
淡水
というところだ。
台北の中には、上述のMRTまたはバスで簡単にどこへも行ける。MRTの切符は、20元から60元かかる。
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遠距離の場合は、台湾にも他の国と同じくバス・飛行機・列車という選択肢がある。一つの線は台湾を一周している。
要するに、私は台北から列車で東の海岸沿い
花蓮という東方の真中にある町へ行った。
それは ジュグアンという二番目に早い列車で4時間かかって、値段は343元だ。
大陸の中国と逆に、台湾で列車の切符を買うのは全然問題ではない。しかも、切符の数もいつも足りそうだった。
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その後、私は花蓮から台湾を横断したかった。それを目指して、西の海岸に近い台中という町を目的地にした。
私はまずバスで
天祥という村へ行った(105元)。
それは約2時間かかって、バスは途中で
太魯閣という非常に綺麗な山峡を通過する。
残念ながら、天気はハイキングするのには悪すぎた。だからハイキングを止めて次のバスで
梨山という山地の奥にある村へ行った(216元)。それは4時間以上かかった。
途中の風景は本当に綺麗だし、ずっと高い山と深い山峡の間をバスが走っている。
カーブばかりだから、胃が弱い人にとって酷くなる可能性が高い。
だが、窓からの眺望はずっと夢みたい。突然、私たちは雲の上にいた。
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次の日、私は梨山から台中までバスで行く予定だった。だが、そこまでの道路は数年前の地震のせいでまだ不通であった。
他のもっと長いルートもあるけれども、バスがない。
その代わりに、政府が提供している無料のマイクロバスがあると言われた。そういうバスは一日中2回出発して直接台中まで走る。出発時間はどこにも書いていなかったが、ホテルのスタッフによると朝8時と午後1時だそうだ。
だから私は7時半からバス停で待っていた。8時になるとマイクロバスが来た。しかし、運転手と話して私はこのバスで行けないと身振り手振りで説明してくれた。かなり議論しても、運転手はただ「500元で行けるけど」と言った。そういうエジプトなどの国でよく体験した振る舞いは台湾で初めてみた。値切りもできなかったので結局は止めた。
次のバスは1時出発で、そんなに長く待ちたくなかったからヒッチハイクしてみようと思った。だからまず歩いて梨山から離れようとした。途中で二つのことを気づいた。一つは、梨山という村の長さは数キロだ。二番目は、一時間に多くとも4台の車がある。それに加えて、通過した車は満席だったか、または次の家までだけ走った。その為、一時間後少しだけ疑問が湧いた。あちこちの住民に「シーナイリ?」(どこへ行きますか)と聞かれて、「台中」と答えるよくニヤニヤしてくれた。相手はぜひ「おかしい外人だな」と考えた。もっと歩くと、突然古いピックアップが止まった。その車よりも3倍ぐらい古い運転手が手で「入っていい」という合図をした。やっと止まってくれたが、彼は5キロぐらいだけ走った。そこには、車屋さん以外なにもなかった。だけど、やっと村から離れた。そこからまた歩いたけど、今回は30分ぐらいしか待たなかった。大きい車を持ってる楽しそうな家族が止まってくれた。満席だったので入るのは少し難しかった。中国語があまり話せないので、会話はすぐ終わったけど、隣のお爺さんはかなり年をとった人なので日本語ができるかどうかと聞いてみた。すると彼はちょっとびっくりして片言の日本語で答えた。そして、彼は突然、戦争時代の日本語の歌を歌い始めた。それは家族のメンバーにとっても私にとっても本当に面白かった。
私は最初に大禹嶺
という交差点がある場所へ行ってそこからバスがあるかどうかを確認したかった。だが、あの家族とそれについて話してやっぱり西方へのバスがないと言われた。家族は大禹嶺から東のほうへ行ったので、私は交差点で降りて埔里という大禹嶺と台中の間にある町への道路を探した。
その道路は明らかにもっと山を登るように見えた。その先には、大きな警告サインがあった。「△△△雪△△不通△」とかが書いてあったけど、全部は読めなかった。だから完全に通行止めだと心配したけど、すぐ色々な車が通過した。多分適切なタイヤがない車は通過禁止という警告だった。
初めて止まった車はかなり大きくて、運転手は3...とか言った。300元かなと思ってたけど、もう一回聞くと3000元だった!それはあつかましいだろう。次の止まった車も前と同じようなマイクロバスだった。運転手に「埔里へ」といって、彼はまず500元と言った。ちょっと値切ったと200元にしてくれた。車には、もう一つのおじさんがいて、どこでも車専用の道具がおいてあった。サービス車はその辺で沢山あるらしい。運転手はずっと麻薬の効き方がある檳榔子というナッツの一種を噛んだ。それを見るのと聞くのはかなり嫌なことだ。しかも、運転手はやさしすぎてしつこかった。少しだけ運転したけど、ずっと山を登っていた。また雲に入って、周りには積もっている雪が段々増えてきた。数十分後、私たちは大きな駐車場とか、ホテルなどの観光設備がある場所に着いた。雪がかなり積もっていたのに屋台もあった。さすが中国人だ。
私たちは一応そこで止まって、そして運転手は降りて色々な人に何かを叫んだ。サービス車だから客?犠牲者?を探していたみたい。ちょっと探したらもう全然動けない車をみつけた。そして運転手は助けてあげた。ちゃんと見えなかったけど、二分だけしかかからなかったのに助けてくれた人はかなりいっぱいのお金を払った。運転手はまた
探してたけど、30分以上経ってからやっと運転を再開した。だが、次のもっと高い場所にある駐車場は残念ながら近かったのでまた客を探した。他のサービス車もいっぱいあって蝿みたいに駐車場を叫びながら一周して、助けたというわけではなくてただ他の車を邪魔した。
私はそういうことに飽きてこの車で本当に埔里まで行けることを真面目に疑った。
そしてやっぱり運転手は車へ戻ってきて「埔里でしょ?ここは時間がかかりそうから他の車で行った方がいいと思う」と言った。そして払った200元の半分を戻した。あいつは最初から埔里へ行く気はないとわかった。だけど、やっぱり降りてよかった。
周りのほうを見ると、合歓山という高さが3400メートル以上の峰にあると気づいた。ああいう高い場所にヒッチハイクしながら降ろされたことは初めてだった。
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その辺りはやっぱり寒かったから私はヒッチハイクを続けた。雪がかなり積もっていたので道路は狭くなってきてちょっと危なかった。だけど、最初に雲から出ようとして歩いた。
今回は車が止まってくれるまであまり待たなかった。また大きい車が止まって、中には8人ぐらいのうるさい女の人たちだけがいた。皆30歳〜40歳で、めちゃめちゃ楽しそうだった。彼女達は私が一人で旅行をすることが信じられなかった。当然一人も英語を全く喋らなかった。少し運転した後、やっと雲から出てきた。そして、車が止まった。これから昼食すると皆が一生懸命説明して、30分ぐらいかかると言った。台中はまだ遠いし、彼女達も台中までではなくて、違う場所へ行くから私はまた他の車で行ってみると言った。誰も止まってくれなかったらまた彼女達の車に乗せてくれると言った。
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標高はまた高かったのに、そっちのほうが絶対暖かい天気であった。そして深い谷とか、かなり遠い玉山という台湾の一番高い山が見えた。歩きながら本当に素晴らしい風景を楽しめたから、突然他の車が止まったとき喜んだら良いのか悲んだら良いのかどちらの感情がいいのかとわからなかった。
次の車には、若い家族がいた。美人の奥さんと彼女の旦那さん、そして二人の赤ちゃんもいた。赤ちゃんは初めからずっと私のことを睨んでいた。初めて見た白人かなと思った。若い人なのに、二人とも英語が全然通じなかった。再びまた私の中国語が足りないと気づいた。けれども、彼女は私が中国語がわからないのにも関わらず、ずっと大切そうなことを説明してみた。仕方なく、また日本語ができるかどうかと聞いてみた。そして彼女はかなりびっくりして、「はいはい!話せるよ!3年間日本に住んでたよ!」と答えた。そういう偶然のおかげで、スムーズな話ができた。旦那さんは一言もわからなかったけど、わがままの赤ちゃんで十分に忙しかった。彼女がずっと言いたかったのは、ただそんなに遠い場所まで行かないということだった。盆地の底に近い場所で止まった。そこにはバス停があるからバスで行けると言われた。そして電話番号などを教えてもらって、また台湾に来たら連絡してくださいといわれた。
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バス停の時刻表にクモの網が沢山できているのは何か意味があるのかな。数年間も使われていない感じがした。時刻表によると、バスは5分後出発するはずだったけど、思ったとおり来なかった。ちょうど待つのは意味がないと思ったとき、次の車が止まった。かなり立派な車だったが、中には未成年のカップルが笑顔で待っていた。そして乗せてくれた。彼女は英語で喋ってみたけど、私が簡単な英語で答えてもわからなかったらしい。二人ともヘンな外人を乗せることを冒険みたいなものとして見たと思う。あの二人も、数キロだけ走った。そして大きなホテルの前に止まって、「ここから沢山のバスが出発するよ」と言った。それは嘘ではなかったが、公共バスじゃなくてホテルの客のバスだった。だから再び歩いた。あの辺はかなり大きい観光地だと言える。山が近くて、盆地の気候はいいから短期旅行する台湾人はものすごく多かった。しかもその辺の農産物はかなり有名だ。かなり南にある台湾には、もちろん山の一番高いところ以外には雪が降らないから、1月と2月だけに雪に覆われている合歓山はものすごく人気である。前の日本語が上手い人の旦那さんはあの日に初めて雪を見た。
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乗れるバスがなかったから、また歩いた。今回は車がかなり多かった。だからまず便利な場所をみつけてまたヒッチハイクしようとした。だが、便利な場所をまた見つけれなかったのに、おかしい乗り物が止まってくれた。幅1メートルで、長さもあまりそれより長くなかった。上には、赤いライトをつけて、またサービス車だった。運転手はすごい笑顔で待って、歯があまりないのに檳榔子を噛んだ。それは予感したことだった。残った歯はナッツのおかげで赤と茶色で、檳榔子を噛むときに沢山のつばが溜まるからよくつばを吐いた。ヒッチハイクする時に、必ず親指を隠すタイプだった。だが、仕方なく乗った。中は信じられない位汚かった。彼は埔里まで行くと言ったから面白い運転になるだろうと覚悟した。彼の笑い方は面白すぎて、笑ったとき私も笑わなければならないような気持ちになった。
しかし、やっぱり檳榔子を食べる人はいつもちょっと変わった人だ。ある瞬間、彼は自分がムスリムだといって、ニューヨークのテロ多発事件についての話を始めて、「ビンラディン万歳!」などのおかしいことを言った。台湾にいたから、彼は明らかにうそつきだと思った。だけど、彼は本当に埔里まで行くらしいから嬉しかった。あの町は山麓のほうにあって、そこから海岸まで平原がある。埔里でどこへ行きたいかと聞かれて、バスターミナルまで行きたいと答えた。市内に突然二人の白人がいた。彼はその二人をみつけたとき、早いスピードで向こうに行った。「同僚!同僚!」と叫んで子供のように喜んだ彼は窓を開けた。二人ともびっくりして、私は「え〜と、彼はちょっとおかしい。ごめん!」と英語で言った。しかも、あの二人は私が大嫌いな説教師だったから話す気が全くなかった。だから運転手に中国語で「不要、謝謝!」と言った。少し後、私たちはやっとバスターミナルに着いた。ちょっとだけお金をあげようと考えてたけど、彼はもう既に行ってしまった。変わった人だったけど、ありがたいことだった。
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バスターミナルでは、かなり年をとった男の人が近づいてきて、どこへ行きたいとか、どこから来たなどの質問をした。「我是徳国人」と言ったとき、彼は笑顔になって片言の英語でドイツについての話をした。そして、彼は頑張って
台中への行き方を説明した。次のバスは10分後に出発して、値段は105元だった。そうすると梨山から台中まで全部で200元を払った。それは別に大切ではないけど、それ以上に
いっぱいの人に会うことができたから満足した。
二時間後、やっと台中の中心に着いた。朝8時ぐらいに出発して、到着したのは午後4時ぐらいだった。
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私は翌日長距離バスで台北へ戻った。列車もあるが、台湾の列車で行ったことがあって、列車は少ない上に、不都合な出発時間だったのでそういうバスで行ってみたかった。台北までの値段は240元だった。だが、二階建てバスは本当に華麗だった。飛行機のビジネス・クラスみたいな席があって、広かった。しかも、テレビとか、ラジオなどもあった。超便利で、スピードも早いというバスだった。私は普通に列車を優先しているけど、台湾では、バスは絶対列車よりお勧めの交通手段だ。