韓国−常に危険を孕んだ経済ブームの国
国旗
目次
歴史
地形/気候
文化と言語
個人旅行/旅行予算
自分で体験した印象
英語版     ドイツ語版
このページは 旅人のホームページの一部だ。

  地形/気候

reiseroute

    韓国は日本とかなり近い国だ。その為、韓国は日本人にとって非常に人気のある旅行先だ。歴史的に、 日本と韓国の間には切っても切れない関係がある。だが、ヨロッパとアメリカでは韓国は相当に知られていない国で、 韓国はただ「武道」や血戦の学生デモ、スト、北朝鮮などと関係づけられている。そういうわけで、 その諸国からの観光者は比較的に少ない。

全ての朝鮮は日本海と黄海の間にある同名の半島を占めており、北にはロシアと中国との陸地国境があり、 東南には日本と海上の境を接している。全朝鮮の面積は全部で約22万平方キロ(日本の面積の6割程度) で、北朝鮮のほうが少し広い。但し、北朝鮮の人口は約2000万人でずいぶん少なく、 それに対して、韓国の人口は4500万人でかなり大きい。日本の人口密度は330人/km2で世界中で高い方だが、 韓国の人口密度は約450人/km2だ。朝鮮半島は凡そ北緯38度線に沿って大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国に 分裂されている。半島全体は山地で覆われ、北朝鮮の山の高さは約2700bまで、韓国のは1950bまで延びている。

韓国では四季が気候に特徴を与える。全朝鮮を見ると、北と南によって明白に気温差がある。 韓国の夏は蒸し暑くて、気温が平均的に30度を越えている。換言すれば、韓国の夏は日本のと同じだ。 六月に梅雨に入り、八月までの降水量が多い。春と秋の気温は快適で、晴れの日も多いので、 韓国を旅行する為には一番よい季節だ。冬のときに、北と南の間で大きい気温差があり、 北朝鮮と中国との国境ではシベリアから入る寒気団のせいで気温は―30度まで下がる。 ソウルの平均温度は0度以下で、夜分に―10度以下の気温は普通だ。同時期には、 釜山のほうが暖かい。だが、平均気温の一番高い場所は南にある済州島だ。冬のときに、 雪か雨があまり降らない。

私は一月韓国にいたときに、ソウルでは毎日約−10度だったが、雪が一回しか降らなかった。 但し、同じ時に500キロ離れている南にある釜山の気温は+10度だった。 釜山の北にある慶州という町では晴天だったが、気温は−10度でひどい風が吹いた。 そのときに外に行く観光者が少ないのは利点だ。寒さに強い人にとって冬に韓国を 旅行することが一番よい。宿泊などを探すのは問題ではなく、見所でも観光者があまりいない。 その他に、冬には飛行機券が大変に安い。




  歴史


   朝鮮の歴史は最近まで変化に富んで、大変に悲劇的なものだ。昔から朝鮮半島に居を定めた諸民族が 紀元1世紀に統一し、朝鮮の一番目の王国を建設した。この王国は3世紀までに三つの王国に分かれた。 高句麗百済新羅という三つの王国はこういうふうに400年間以上生き残った。 中国と、また条件つきながら日本とも活発な交流があり、朝鮮にとって全盛時代だった。 そのときに、遣唐使は朝鮮にとっても活発な交流を可能にした。7世紀のときに、 新羅王国は次第に強化され、諸王国を統一した。しかし、9世紀に新羅王国は弱くなってきて、 高麗という新しい王国が建国された。

13世紀初頭に、モンゴルが侵入し、全朝鮮は廃墟にされた。引き続いて、 モンゴルの軍勢は日本列島へ侵入することを試みたが、「神風」のおかげで失敗した。 侵入のあとで、朝鮮は戦勝者への多額の賠償を余儀なくされ、それに応じて、高麗王朝はだんだん没落した。 その代わりに、李氏朝鮮という王国が建設され、朝鮮は新しい全盛時代を迎えた。 しかし、この時代は1592年に日本からの一番目の侵入で終止され、支離滅裂の時代が始まった。 中国の軍事援助で日本の軍隊はすぐ追い払われたが、大部分の知識階級は日本に拉致され、 国全体も新たに廃墟となった。数年間のあとで、満州の軍隊が朝鮮を襲撃した。 そのあと、隣国からの絶えざる危険のせいで、朝鮮は鎖国政策を追求し、それに従って、 外国人は朝鮮に入国できないようになった。だが、日本と同様に、19世紀末葉に外から―特に 日本から―開国が求められた。

日清戦争と日露戦争によって、朝鮮は二つの強国の間に挟み撃ちになった 状態を痛感させられた。結局1910年には、全朝鮮は日本に併合され、植民地になった。 侵略軍を打倒するための運動があったが、情け容赦なく鎮圧された。 侵略者は朝鮮の伝統的な文化を計画的に弾圧し、日本語を公式言語に宣し、ハングルを使うことを禁じた。 この時代は朝鮮にとって文化撲滅の時代だったと言える。 それ以来、朝鮮の若者のうちにでさえ日本人に対して偏見を抱いている人が多い。

ある日、私は日本で留学生として暮らしている韓国人と話したときに、 その人は「自分は日本人が好きじゃない」と言った。それについて、 私が「でも、どうして日本に来た」と聞いたときに、彼は「私の偏見は正当かどうかと知りたかった」 と答えた。そのあと、「長い時間日本にいたけど、まだ好きじゃない」と言った。

1945年に、やっと日本による支配が終わったとき、全朝鮮はドイツと同様にアメリカとソ連、 イギリスの勢力圏に分割された。この分割は変更される可能性がない決定という意味ではなかったが、 全朝鮮は冷戦の一つの犠牲になった。全ての大国はすぐ自分の軍人を退けたにもかかわらず、 特にソ連の統治は朝鮮の北部に大量の武器を供給した。1948年に、 金日成首相は北に朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を建国し、南には李承晩大統領が大韓民国を建国した。 金日成は北朝鮮を1994まで統治し、共産主義的君主国のような国家を建設した。金日成の死のあとに、 首相の識は息子の金正日に伝わったと推測されている。

1950年に、北朝鮮の軍隊は韓国との国境を越えた。韓国を防御する為に、国連軍が派遣されたが、 北朝鮮はごく短時間に釜山の近辺を除いて国全体を占領した。そのときに、マッカーサー元帥 (戦後日本のGHQの最高司令長官)は仁川市(ソウルに近い町)の近くに部隊を上陸させ、 北朝鮮の軍隊を中国との国境まで撃退することに成功した。そのときに、毛沢東治下の中国は戦争に介入し、 北朝鮮の軍隊と共に北緯38度線の周辺までの地域を奪い返した。、結局、戦線はその辺で上下し、 最後的に北緯38度線に落ち着いた。

1953年に、休戦協定が結ばれ、それに従って、非武装地帯(DMZ)は設定された。 例を挙げると、戦争中にはソウルは四回双国に占領され、北朝鮮の平壌には、一軒の建物も残さず破壊された。 他の都市も戦災を被り、戦争は約200万人の死傷者を出した。戦争中、 アメリカは日本を橋頭堡と兵站基地として使ったので、 日本は経済的に朝鮮戦争で利益を得たことは歴史の皮肉だ。

戦争から45年経った今でも、韓国と北朝鮮の間には講和条約がなく、 まだ休戦協定の状態だ。戦後から、挑発的な行動が多くある。(例えば武装地帯内に掘られた 「南侵トンネル」や暗殺、諜報活動、飛行機や潜水艦で起っている軍事的挑発など)。 冷戦に於ける類型的な中傷や弾劾、誤報等の宣伝活動が起るのも当然なことだ。 北朝鮮の軍隊は国力と比べて、世界中でも飛び抜けて大きく、約100万人の軍人がいる (ほとんど中国の軍隊の半分だ)。北朝鮮の政治はいつ何をするかわからないので(特に金日成の死後)、 韓国にとって常に危険をはらんだ状態だ。韓国を注意深く観察して歩くと、この危険は遍在しているのを覚える。 それに加えて、首都であるソウルは北朝鮮との国境に近く、 不思議に議政府という中央官庁街はソウルの北に建築された。

戦後から同じ政治が行われている北朝鮮と対照的に、韓国では波瀾に富んだ政治が行われた。 戦後から、政権奪取を目的とする反乱や軍部独裁、蜂起、醜聞などがあった。 現在の問題は贈収賄事件や軍部独裁時代の克服などだ。最近の東アジアに端を発した経済危機は 韓国の上にも暗い影を投げかけ、韓国の貨幣価値は急に下がった。それに従って、 観光者にとって韓国はもっと魅力的な旅行先になったが、経済危機の結果は韓国人にとって大変だ。 しかし、ソウルや釜山などの都市では、経済ブームの印象が与えられる。経済ブームには消費主義が伴い、 韓国の都市は様々の場所で東京かシンガポールなどの大都市と見紛うほどだ。それにもかかわらず、 韓国に特徴的な文化を至る所で感じる。




  文化と言語


朝鮮は昔から隣国に併合されることが多かったが、朝鮮の特別な文化と伝統は何世紀も連綿と続き、 戦争と併合時代の後にいつも新たに甦った。だが、朝鮮を横断した遣唐使などで、 当然の結果として、平和の時代には朝鮮は中国と日本の間の位置にあることで利点を得た。 ちなみに,昔の文化的交流は偏っていた。約1500年前の中国は日本より発展が進んだ国家だったので、 開化を促す成果が中国から朝鮮と日本へ流れた。例を挙げると、  冶金学や儒教、漢字、仏教(中国は仏教の故郷ではないが)は中国から輸入されたものである。 だが、旅行者として絶えず韓国を中国と比べることは誤りだ。韓国の伝統的な文化は中国の文化と 必ず異なっていて、韓国人はこれを大変に誇っている。

それにもかかわらず、中国と日本と色々の小さな共通点がある。一つは迷信にある。 日本語と韓国語では二つの数え方がある。中国語と同じく、中国語から借用された読み方を見ると、 「四」の読み方は「死」との同じだ。その為、韓国語にも両方が同じように(サ)と読まれていて、 日本と同じく「4」は凶数である。その為、日本と同様に病院などで4階がない。 日本や韓国を旅行する人にとって、迷信に関することは複雑だ。 迷信に基づいているルールを知らない観光者は韓国と日本で驚愕を招く場合が多い。 してはならないルールの例としては箸をご飯に挿しておくか箸で箸から食べ物を受け取るなどだ。 両方は葬式の儀式なので、絶対だめだが、欧米の人たちにとって知られていないものだ。 特に韓国で、迷信は非常に普及していると思う。

韓国には、多種多様の宗教がある。一つは、キリスト教で、プロテスタントと カトリック双方が普及している。大都市の新しく作られた住宅地を歩くと、 無数の教会は歴然たるものだ。このネオンサインの十字架を掲げる教会は流れ作業で 生産されたかのような印象を与える。隣国と同様に、韓国では大乗仏教が重要で、 特徴のある宗派が発生した。そのうち、禅も大切だ。他には、シャーマニズムが古代から残っていて、 儒教も信仰されている。それに加えて、もともと韓国に発生した統一教会は世界的に有名になった。

誰にも嬉しい驚きは韓国人の率直さと客を手厚くもてなすことだ。 観光者として方向が分からなくなるとき、その土地の住民にすぐ助けられる。 相互に分からない場合にも韓国人は構わなくて、とにかく道を説明してみようとする。 ホテルやレストランなどのスタッフも大変に優しくて、親切な人だ。当然のことのように、 韓国でも「郷に入っては郷に従え」というルールを守ったほうがよい。日本と同様に、 韓国では儒教によって老人と若者や子供と両親、先輩と後輩、女性と男性などの間柄は昔から定められている。 その為、尊敬語や謙譲語などの言葉と決まり文句が韓国語でも沢山あるが、日本語と比べるともっと複雑だ。 しかし、日本と同じ、韓国人の若者の間には敬語が消滅する傾向があるそうだ。 韓国には社会的なルールが多いので、観光客は故意でなくルールを違反してしまうのは 必然的な結果だ。しかし、韓国人はそういう誤りを勘弁している。唯一の全く許せないことは傲慢無礼な 態度というのは万国共通だ。それにもかかわらず韓国へ行った前にタブーのもの等を調べたほうが良いだろう。 例を挙げると、韓国では髭を生やすことはおかしくて絶対ひんしゅくを買う。そしてもし韓国の家族に 誘われたら、一家の主人より早くタバコを吸うことは失礼だ。

朝鮮半島の言語は韓国語で、ある理論によってウラル・アルタイ系諸語の一つの言語だ。 ウラル系の語族には、フィンランド語や→ハンガリー語→トルコ語 などの言語が含まれている。 アルタイ語族には韓国語以外にモンゴル語や日本語などがある。全てのウラル・アルタイ諸語 の共通点は膠着さだ。要するに、文法は完全に動詞に付けられている語尾で規制されている。 それはインド・ゲルマン系諸語や中国系諸語などと全く違う。発音や語彙などを見ると、 ウラル・アルタイ系諸語には共通点が殆どない。但し、韓国語は日本語に大変に似ている。 文章の構造も沢山の言葉の発音も同じぐらい。上述のように、韓国語にも尊敬語と謙譲語などの レベルがある。日本語と同じく、「私」や「あなた」、「ありがとう」などを表現する言葉が 多くて丁寧語のレベルによって違う。 韓国語の面白い点はハングルというアルファベットだ。日本と同じく、約1500年前には 昔の中国から漢字が輸入された。それと共に、無数の「漢語」という借用語が入ってきた。 実は韓国語・日本語は中国と全く違うので、その漢語の同化と編入は複雑だった。 近代的な韓国語の語彙には、6割は中国語の起源がある。その中国語の起源がある 言葉はもちろん中国語または日本語ができる人にとって一番習いやすい。 例を挙げると、「韓国」は中国語で「ハングオ」、韓国語で「ハングク」、そして日本語 で「韓国」と読まれているでしょ。こういう hanguo → hanguk → kankoku という言葉の発音の発展は 無数の例の一つだ。しかもこの場合には漢字は同じだ。 但し、漢語の編入は大変であったので、元々アルファベットがない日本と韓国は自分のアルファベットを作った。 日本では、数百年間の間にカタカナとひらがなが作られたが、 韓国語では15世紀には「ハングル」という文字が作られた。仮名というのは、様々な漢字( 梵語の文字から作られた文字だという理論もあるが)から作られたアルファベットだが、 ハングルは科学的方法を使って作られた”人工的な”アルファベットだ。 全てのアルファベットなどは当たり前人工的なものだが、普通の文字は自然に現在の形になったものだろう。 現在には、韓国では漢字の使用がほとんど完全に廃止され、ハングルばかりが使われている。 日本に支配されたとき、日本の政府は学校などでハングルの使用を禁止したが、ハングルは 朝鮮の文化の一部だから、自由になった後にハングルはもちろん新たに導入された。
ハングルは世界の唯一の科学的方法を使う文字で、論理のある。普通の言語では、なぜかこの文字は こういうふうに書かれているという質問はあまり答えられないことだろう。 ハングルの場合には論理があるので、世界で一番習いやすい文字だと思う。 全部で24個の構成分子しかない。そのうち、10つの母音と14つの子音がある。

子音の分子*
k|g|knt|d|tr|r,n|lmp|b|ps,sh|s|t -**|ng|ngch|j|tch'|ch'|tk'|k'|k t'|t'|dp'|p'|ph|h|ng

* 最初の読み方は、分子は文字と言葉の最初のところに置いてあるときの読み方。真中のは、 文字または言葉の真中においてある際の読み方で、最後のは、分子が文字と言葉の最後にある 場合の読み方。
**この分子は、母音の前に置いてある場合には発音されていない。
続いて、重ね子音もあり、分子はただ二回書かれているということだ:

重ね子音字
kk|gg|ktt|dd|-pp|bb|-ss|ss|ttch|tch|-

次は母音の10つの分子だ。尚、母音の発音はいつも同じだ。

母音字
ayaŏoyouyuŭi

この母音に基づいて、様々な二重母音と半母音がある:

二重母音・半母音
aeyaeeye wawaeoewowewiŭi

韓国語は日本語と同じく音節の言語だ。しかし、日本語は開音節の言語だ。 開音節というのは、音節はいつも母音で終わるということだ。韓国語には、 開音節も閉音節もある。書くときには、音節を表現する文字は様々な上に書いてある 分子から構成されている。一つの文字には少なくとも二つの分子、そして多くとも4つの分子が 入っている。その内、いつも一個だけの母音(あるいは半母音・二重母音)が入っている。 構造を見ると、様々なタイプがある:

1
2
12
12
3
12
34
1
2
3
1 
2
1. 2.3. 4.5. 6.

黄色いところ(2)は母音字のポジションだ。母音で始まる音節の場合には、 母音の前に「」 を書かなければならない。この場合には、 「」は発音されていない。 要するに「」という文字は ただ「あ」と読まれて、→2.)構成の一例だ。上に書いてある 「」 や 「」 等の二重母音・半母音には、 →6.)の構成が使われて、「」 は「ウェ」と読まれている。
「ハングル」という韓国の文字は 「 한글 」 というふうに書かれている。第一の文字は明らかに→3.)の構造の一例で、第二の文字は 5.)の構成の文字だ。第二の字の一番上の 「」は 最初のところに置いてあると「k」と読まれているが、この場合には言葉の真中に 書いてあるので「g」と読まれている。 「」のような 4.と5.の構成の組合せの文字は実はかなり少ない。一番多いのは1〜3構成の文字だ。 ハングルの書き方を習うのは全く問題ではないが、読み方には沢山の例外があるので、 完璧に読めるまでは時間がかかりそう。そして日本語と同じく、普通は言葉の間には空間がないので 単語がわからないと読めない。しかし、色々な新聞と本には空間が入ってある。 韓国人は学校と大学で漢字を習うが、漢字は名前と地名以外にそんなに使われていない。
当然ながら日本語で話せる人が多い。英語より日本語が通じると感じた。


   個人旅行/旅行予算


韓国は相変わらず東アジアの物価が安い国の一つではないが、数年前のウォンという通貨の 平価切下げに従って、韓国では前より物価が手ごろなのだ。 1997年には、ウォンは急落して20%位安くなってしまった。現在には、1円は約10ウォンで、 旅行者にとって計算しやすい。他の目的地と同じく、旅行中に使う金額は旅行者のニーズによって違う。 安い旅館から華麗な上級ホテルまで何でもある。「ヨグワン」という旅館の場合には、ダブルは 平均的に2万ウォンになる。しかし、それは町によって違う。当然ながら、ソウル首都の旅館は より高くて狭い。しかもソウルの旅館の内、汚い部屋などが多い。古い旅館では、「オンドル」 (温突)という伝統的な床のヒーターを楽しめる場所が多い。特に北部では冬がものすごく寒くなるので、 こういう床暖房の上に寝るのは恩恵に浴するみたい。

南大門路にある屋台

外食するときにも値段の差はかなり大きい。高いレストランか安い屋台や居酒屋などか― 韓国の料理は殆どどこでも美味しい。しかし、辛い食べ物が好きではない人は韓国で 苦しい時代を待ち受ける。辛くない料理もあるが、辛い食べ物のほうが多い。 そのうち、キムチという少し醗酵している白菜・チリ、にんにくなどで作られている 食べ物は一番有名だろう。しかし、キムチはずっと同じものではなく、多様な食べ物だ。 それに加えて、白菜ではなく他の野菜で作られているキムチもある。キムチの使い方は 想像力だけで限られている。しかもキムチの辛さはレストランによって違う。しかし、どういう ふうにキムチを朝ご飯として食べられるのは私にとって不思議だ。 他の有名な料理のうち、プルゴギという焼肉の一種やカルビッチムというシチューみたいな料理などが ある。殆ど誰でも大好きな料理はカルビグイという骨付きカルビだ。 韓国の料理ではおかずはものすごく多くて、テーブルの上に10種以上の小さな皿やどんぶりが 置いてあるのは珍しくない。韓国によくあるものはケジャンなどのような犬肉を使う 汁だ。 ヨーロッパやアメリカから来た観光客はそれを大体食べられないが、メニューを 読めないとうっかりして犬肉を頼む人もいるではないだろうか。しかし、犬肉の料理は 普通のレストランではなく、たいてい特別なレストランで販売されているものだ。 もう一つの沢山の人が食べる勇気がない料理は無数の屋台で売られているポンデギという 茹でた蚕のさなぎだ。かなりくさいので、遠くからどこに売られているのは分かりやすい。 観光客なら、大胆な人しか頼まないと思う。自分も虫を使う料理は食べたことがあるが、 あんなにくさいものは食べられなかった。 韓国では金属の箸は普及しているので、最初にその箸で麺類などを食べることは やや難しい。

韓国の場合では観光客はビザが不要。しかし、北朝鮮に入るためにはビザが必要で 手に入りにくい。韓国と北朝鮮の間の国境は相変わらず不通なので、陸上から入る場合には ロシアまたは中国から入国をしなければならない。しかし、最近は北朝鮮と韓国の 国境で通過点を作る努力が促進されているので変わりやすい情報だ。 要するに陸上から韓国を入国することは無理なので、飛行機または船で入るしかない。 船の場合には、中国の青島や大連または日本の下関などから行くフェリーでソウルに近い 仁川または釜山まで行ける。東京からソウルまでの往復の航空券は2万円以上かかる。 一千ウォンん(100円)のお札 海外から来た飛行機はたいていソウルの近くにある金浦国際空港に着いたが、 このソウル国際空港は移動した。新しい空港は仁川という港湾都市の近くに埋立地の上に造られ、 永宗島國際空港と呼ばれている。 金浦空港からソウルの都心まで地下鉄があるので、かなり便利だった。しかし、新しくできた 永宗島國際空港はもっと離れているのでそれより時間かかるだろう。しかし、当然ながら高速バスなどがある。 新しい空港は東アジアに於ける「空港競争」の一例で、香港・大阪や羽田などのプロジェクトの例に加えた ものだ。

韓国は完全に発達した国なので、観光客にとって危ない病気などの非常な危険があまりない。 しかし、韓国ではB型の肝炎はかなり多いので、長く韓国に滞在するつもりがある人は 肝炎の予防接種をしてもらうほうがいいかもしれないと聞いた。

ウォンという通貨はどこでも手に入りやすい。現金の為替もクレジット・カードや キャッシュカードなどの使用は小さな町でも無難。上述のように、一日に使う金額はそれぞれの人によって 大変に違うが、だいたい屋台で食べて、二人で旅行して、旅館に泊まる人は簡単に一日中で2000円で旅行できる。 3000円以上を使うと、ちょっとだけ贅沢な旅行スタイルもできる。バス・列車などの運賃は安いのが 助かることだ。


  自分で体験した印象

ハングルで「ソウル」

私たちは1999年の一月に東京から出発して、ソウルの郊外にある金浦国際空港に到着した。 入国手続きは全然問題ではなくて数分しかかからなかった。金浦は都心から20キロぐらい離れて、 地下鉄で行くのは一番簡単なので、まずその駅を探した。ソウルには宿泊所が多いので、 まずどんな地区へ行ったほうがいいと考えていたので、遠くから見るとまごまごしている顔をしたらしい。 なぜかというのは、考え中であったとき、初めての韓国人が近づいてきて道を説明してみた。 彼はまず地図でその地下鉄のルートを説明したが、自分もあまり自信がなかったので他の韓国人を呼んだ。 その二人の優しい人のおかげで、すぐ行く場所を決断できた。一番真中にある鍾路区の仁寺洞の周辺には やや安い旅館は密集しているので、まずそこへ行こうとした。到着したのは夜遅くであったのに、 鍾閣の駅の近い横町ですぐ安い旅館を見つけた。 旅館の名前は 文化旅館だ。 チャイムを鳴らすと、明らかにすごく精神異常を来たす人がドアを開けたので、かなりびっくりした。 後で気づいたのは、その人は多分主人の家族のメンバーだということだ。主人がすぐ出てきて部屋を 示した。その部屋はやや清潔であったが、寒かった。少なくとも暖房と使えないテレビが付いていた。 不思議なことに、窓は厚紙で貼って塞がれた。それはソウルでよく見えるものだ。 二人部屋の一泊は2万ウォン(2000円)になってかなり安い。

ソウルの景福宮の中

普通の航空会社で3時間以上行くと、軽食みたいなものがあるが、私たちが使った United Airlinesでは何も出てこなかった。その代わりにスチュワードは隣に座った 女の子をなんぱして他の乗客のことを全く構わなかった。中々おかしい航空会社だと 思った。要するに東京を出発した以来、何も食べなかったので夕食を探そうとした。 その辺に無数のレストランや屋台などがあるので、それは全く問題ではない。 居酒屋みたいなところも多いので、そこに入ってみた。日本と同じく、 その居酒屋では飲むばかりではなく、食べることもできる。一人で入る人がいないので、 一人で韓国を旅行すると淋しくなると思った。中に入ると、雰囲気はすごい。様々な団体が あちこちに座って飲みまくりして大騒ぎをする。韓国でも少なくとも一品の料理を頼むのは 必要だ。その料理のボリュームは日本の居酒屋と同じだと思ったので、まず二つのものを頼んだ。 一品の値段は約400円であったので、まず「高いな」と思った。但し、 料理が来たときにびっくりした。量はすごく多くて二人で二品を食べると本当に満腹になる。 飲み物では、一番普及しているのは韓国製のビールだ。半リットルはだいたい130円で、味はまあまあ。 それに加えて、ソージュ(焼酎)というアルコール分がだいたい25%ぐらいの飲み物がある。 それは韓国で大人気で、絶対日本の焼酎よりおいしいと自分で思った。その内、グリーンという ブランドがあって、料理に大変合ってる。 夜に買い物することは日本と同じく無数のコンビニのおかげで問題ではない。 7Elevenやファミリマートなどがどこにもあり、値段は普通のスーパーより少しだけ高い。 飽食した後、私たち旅館へ帰った。その夜にはすごい雪が降っていたが、それ以外は残念ながら雪が 降らなかった。

翌朝、観光をして始まった。空気は新鮮だったが、気温はマイナス10度以下で、風が強かった。 大都市の中なのに、前夜に降っていた雪はどこでも積もっていた。ソウルの人口は 凡そ1千万人で、東京都の人口より大きい。ソウルは昔に何回も崩壊されてしまったが、 歴史的な場所が多いので見応えのあるところが多い。ソウルの中心は広い盆地にあるが、 中心には南山という山があり、その山の周辺は 南山公園 と 呼ばれている。山上にはテレビ塔が建ってあり、天気が良い日にはテレビ塔の展望台から 北朝鮮まで見渡せることができる。しかし、ソウルは大きすぎてその盆地を超える郊外もあるので、 ソウルを完全に見えることは無理だ。ソウルの中心とその南方の市区の間に漢江という川が流れている。 漢江の南岸には汝矣島という近代的な中心がある。この 汝矣島 は歴史的な中心からかなり離れていて、高層ビルが密集している営業や金融誘致である。 それに加えて、伝統的な宮殿や大きな市場、様々な店が並んでいる街、遊園地などがあるので、 ソウルでの滞在はつまらなくなるわけではない。 ソウルの一番便利な交通機関は地下鉄だ。その地下鉄の交通網はとても広くて使いやすい。 それに加えて、金浦などの中心から離れている場所まで行ける。ソウルの地下鉄は 近代的で、色々な面白い駅がある。殊に3号線の駅は面白い。壁などは平滑ではなく、洞窟の中にいる 感じがする。特にエスカレーターが入っている部分は、手作りのトンネルのような構造だ。

ソウルの地下鉄で行くと、北漢山国立公園の近くまで行ける。国立公園の入り口までは 地下鉄の駅からバスで簡単に行ける。 この Pukansan はソウルの北方にある綺麗な山地を囲む国立公園で、 中心には標高が800メートルを達する花崗岩の山が聳える。小道などが多いので、ハイキングするために 完璧。隠されているお寺や小さな砦などもあるので、ソウルからの日帰り旅行として中々いい目的地だ。 入るのは有料だが、入場料金は安い。

日本で留学したとき、私は無数の韓国人と知り合って、韓国の友達が多くなってきた。 韓国に行ったとき、黄さんという友達と一緒に韓国を観光することができた。私たちはよく ソウルを歩いたら北漢山国立公園などへ行ったりした。彼女は私たちを坡州市にある故郷 に誘ったので、家族とも知り合った。 パジュ はソウルと北朝鮮との国境の間にある首都の衛星都市だ。そこには、新しい住宅地が多い。 その新しい住宅はかなり大きくて中のアパートはすごくいいとすぐわかった。 昼ぐらい着いた後、お母さんに昼ご飯を作ってくれた。その後、私達は黄さんのお姉さんと 車で国境に向かった。国境を見る希望のある方は板門店あるいはあちこちにある展望台 へ行ける。私達は元々板門店という国境で別れている村へ行きたかったが、かなり高いツアーだけで そこまで行ける。それに加えて、普通のドレスで板門店へ行くことは禁止されている。背広ぐらいの ドレスが必要なので、私達がそれを止めた。しかも板門店は軍人以外に韓国人にとって立入禁止。 板門店は唯一の本当に国境まで行ける場所なので、ある意味で魅力的のあるところだ。

北朝鮮との国境

板門店へ行けない人はオドゥ山という臨津江と漢江の合流点にある山へ行ける。 その odulsan の上には大きな展望台が建ってある。1・2キロぐらい離れている対岸は北朝鮮の領域だ。 国境に近づくと、現有兵力が益々増えてくる。交差点が防備され、どこでも射撃壕、狭間が付いている 掩蔽壕、移動用防御柵などがある。オドゥ山の展望台へ車で行くことは禁止されている。 その代わりに、展望台の近くには大きな駐車場があり、その軍隊から観察されている駐車場から バスが上まで行く。そのとき、軍隊の車も連れてくる。展望台はただの展望台ばかりではなく、 北朝鮮の日常の事柄についての博物館とか、様々な展覧会や喫茶店などもある。展望台から 色々な望遠鏡は北朝鮮の海岸に向かっている。ここはお茶をしながら対岸に行う餓死などを含む ひどい生活について考えることができる。こういうひどいことについてを考えることが終わったら、 皆はまた車に戻って自分の暖かい家に帰る。

要するにこの展望台は中々不誠実のところだと思う。しかし、その国境での訪問は かなり深い印象を与える。両岸には膨大な文字でスローガンが書いてあり、 でかいスピーカーも置いてある(左の写真で見える)。一つのスピーカーからは行軍歌が聞こえ、対岸からは 弾劾演説が聞こえる。というのはその辺はかなりうるさい。私達が行ったとき、気温はマイナス15度 ぐらいだったが、私はその厳寒より国境の雰囲気に震えた。それを見たとき、ベルリンの壁についての思い出 が浮かんできた。しかし、北朝鮮での生活は昔の東ドイツでの生活より何倍も酷いだろう。 しかも国境に行ったときには北朝鮮では百万人以上が餓死してしまったというニュースがあった。 ベルリンの壁を見たときと同じく、数キロの距離だけなのにどういうふうに人間がそんなに違う社会制度や 生活スタイルを作れるという疑いを沸いた。50年前まで同じ国と同じ民族であったが、 今では全く違う二つの世界が発生してしまっただろう。

オドゥ山の展望台に入っている北朝鮮の日常の事柄と他の展覧会は恐怖の博物館だ。 しかし、北朝鮮ばかりではなく、韓国もプロパガンダを使うのは明らかなことだ。 様々なことは違うふうに説明され、または他のことはただ述べていないだろう。 因みになぜ韓国は北朝鮮と同じくスピーカーや大きなスローガンなどの安っぽい プロパガンダ方法を使うかということは私にとって摩訶不思議だ。民主主義の国なら、 こういうくだらないものは本当に必要なのかな。 但し、「北朝鮮脱出」(姜哲煥・安赫作、池田菊敏訳:文春文庫出版・1997年・東京) などの本を読んだ後、この国境と北朝鮮を先入見にとらわれなく見ることはできなくなる。

ハングルで「釜山」

翌日、釜山へ行こうとした。釜山には約4百万人が住んでいて、韓国の二番目に大きい大都市だ。 ソウルから見ると、プサンは韓国の反対側にあり、韓国と朝鮮半島の一番東南にある慶尚南道 の一番大きな町だ。産業も沢山があるが、プサンはまず第一に韓国の一番大切な港湾都市だ。平原がない 釜山では山は海と島に変わる。無数の湾や島や南江の入り江などのおかげで、釜山の周辺の景色は 素晴らしい。ソウルから釜山までは列車でもバスでも飛行機でも簡単に行ける。一番早い列車 は「セマウル」と称され、ソウルから約450キロ離れているプサンまで4時間かかる。運賃は 約2000円で一番高い列車だ。二番目に早い列車は「ムグンファ」(むくげ)と呼ばれている。その ムグンファ号は特急列車で、ソウルから釜山まで5時間かかる。しかし、ムグンファ号の釜山までの運賃は 約1100円で、セマウル号の半額だ。それ以外は、「トンイル」(統一)という急行と 「ピドゥルギ」(鳩)というのそのそとした普通列車もある。長距離なら、沢山のお金を使いたくない人にとって ムグンファ号に乗るのはベスト。セマウル号にもムグンファ号にもエアコンが付いているので 落ち着いた旅行ができる。韓国を列車で横断すると、山ばかりの綺麗な景色も小さな村なども見える。 どこでも新しくできた住宅地や工場などの韓国の進歩の証がよく見える。 それは釜山でもそうだ。目立つのは商店の陳列窓などに見えるロシア語で書いてある宣伝だ。 中心にはどこでもロシア人の船員などが商品を探して釜山を楽しむ。しかも夜にはべろべろに酔っている ロシアの船員はロシアの民謡を歌いながら町を歩くこともたまに見える。

釜山には地下鉄もあるが、一つの線しかない。釜山の地形に応じて、 一番南から北の郊外まで行くことはすごく時間がかかる。上述の →歴史 のように、釜山は唯一の朝鮮戦争の被害を逸れた大都市であった。 戦争のときには、おまけの約4百万人の避難者は釜山に暮らした。韓国と北朝鮮の間には 50年前から休戦協定があるが、釜山にはまだ国連の基地があり、悲惨な過去を思い出させる。

金井山の砦の一つの門

釜山の中心にはお寺や宮殿などの歴史的な建物がほとんどない。それの理由は昔の釜山の中心は現在の中心から かなり離れているということだ。実は釜山はすごく近代的かつ賑やかな町で、 昼中ばかりではなく夜にも街はすごく活発だ。真中の南浦洞には釜山タワーがあり、118メートルの高さには 展望台がある。そこからの町や湾などの眺望は素晴らしい。そのタワーが建ってある山の山麓には 港と市場、そして光復洞中央洞南浦洞などの営業地区が広がる。 その周辺は特に夜に面白くなり、町のコスモポリタンなフレアーを生み出す。南浦洞のチャガルチChagalchi )で夜に屋台やバーなどを見つけるのは問題ではない。

釜山の中心は当然ながら 中央洞 と呼ばれている。そこには、様々なかなり安いホテルがある。この中央洞は釜山駅と 南浦洞の間にある。その内、大韓航空の大きなオフィスがあり、そのオフィスの近くには 丸金莊. という旅館がある。丸金莊旅館ではダブルは2万ウォン(約2000円)になり、ソウルの旅館より絶対 いい場所だ。部屋は広くて清潔で、スタッフも親切だ。そして地下鉄の駅に近いからどこへも行きやすい場所 だ。

翌日は釜山とその周辺を観光する予定だったので、まず地下鉄で中心から約20キロ離れている 金井山 というところへ行った。金井山というのは、標高が800メートル弱の長い山で、頂上には1703年に 山城が建築された。その砦の外壁の長さは16キロで、中々広い山城だ。金井山はハイキングなどの リラックスするための活動をしたいという気持ちを起こさせる。それに加えて、山羊の焼肉という 特別な料理を作るレストランなどもある。
この金井山城の北門の近くには678年に創設された pomosa という大切なお寺がある。残念ながら、梵魚寺は昔にほとんど完全に崩壊されたが、現在に見える建物は だいたい17世紀に建築されたものだ。

ハングルで慶州

釜山でまた一泊した後、起きた後に釜山駅に向かってトンイル号という急行で釜山の 北のほうにある慶州(キョンジュ)に行った。所要時間は2時間で、トンイルでの運賃は 3000ウォン(300円)だけだ。慶州は慶尚北道の南東にあり、日本海にかなり近い町だ。 慶州にある古墳 列車を降りたとき、びっくりした―身を切るように寒かった。 釜山での気温は+10度ぐらいだったというのは丁度よかった。 しかし、釜山に近い町での気温はマイナス15度だった。その厳寒に加えて、肌を刺す冷たい風が吹いた。
慶州はかなり小さくて落ち着いた小町だ。しかし、それは昔よりこういう状況だと言うわけではない。 紀元前の少し前に創設されたこの町は1000年間ぐらい新羅という王国の都だった。 朝鮮半島の三つの王国の統一の後、慶州は300年間ぐらい高麗という半島全体を占める王国の都になった →歴史。 現在の市内には、どこへ行っても栄光に満ちた歴史の証がある。その内、無数のお寺と沢山の古墳 という慶州の特徴がある(参照:右の撮影)。特に現在の中心の南には様々な古墳が密集している。それは 古墳公園 と呼ばれている名所だ。古墳公園には、石垣に囲まれている20余の古墳がある。 慶州とその周辺には、全部で250基の古墳があるそう。古墳公園の一つの古墳は1970年代に開けられて、 結果としては考古学者はその中に約1万2千個の副葬品をみつけた。現在には、その古墳に入ることが できるようになった。入場料は880ウォンでかなり安い。
古墳公園からもっと南のほうへ進むと、 譫星台 という昔の天文台がある。この7世紀に建築された塔型の天文台は多分東アジアの最古の天文の観測所だ。 塔の真中には小さな一つだけの窓がある。土台から上までは石の12層があり、譫星台に加工された石の数は 丁度365個だ。入場料金は160ウォンだ。
キョンジュの中心は慶州駅と二つのバス・ターミナルの間に広がる。二つのバス・ターミナルの近くには 韓進莊旅館 という中々面白い旅館がある。韓進莊旅館でのダブルは2万5千ウォンになる。旅館と設備、特に 中にある共用ルームはとても綺麗で清潔だ。旅館ののオーナーはとても優しくて書道がうまい人だ。 私は彼をある用件で助けたので、彼から帰った前に勝手に自分で作った書道をもらった。オーナーは 日本語がうまいので韓国語で喋らなくても平気だ。

仏国寺

キョンジュの無数の見所で足りるわけではない―周辺にも名所がものすごく多くて、一ヶ月 以上慶州とその周辺に滞在しても時間が足りない。寺と神社、古墳などの歴史的な建物と廃墟が多い。 その辺に住んでいる住民たちはその利点を市場の要求に合わせて沢山のホテル等を作った。 当然ながら観光客はたいてい日本人だが、海外から韓国へ旅行する人も絶対キョンジュへ行くので アメリカ人やヨーロッパ人などもいる。シーズンには観光客はどやどや町とその周辺に来襲する。 しかし、冬のキョンジュは寒いので、観光客がほとんど来なくてゆっくり名所を楽しめるというのは 利点だ。是非見なければならない場所のうち、仏国寺(プルグクサ) プルグクサ. というお寺がある。それは慶州の東南にあり、中心から15キロ離れている。11・12・101と101線のバスで 直接町から寺の入り口まで行ける。この寺は528年(新羅時代)のときに創設され、1593の日本の侵略 の過程で崩壊された。漸く再建されたのは1970年だった。仏国寺では、その大きさと建築スタイルばかりではなく、 細部も素晴らしい。どこにもあるものすごく微細な木版術や絵画などは息を呑むように美しい。 仏国寺の正面(参照:左の撮影)を通過すると、その寺の建物は段々山を登る。中には色んな小さな中庭 や仏塔などがある。今まで東アジアで観た寺の内、韓国の仏国寺は一番綺麗な寺の一つで、この建築美を言葉で 正当に評価するのは無理かもしれない。仏国寺を観光したとき、青空であったのは本当に運がよかった。 それに加えて、気温はマイナス10ぐらいだったので私たち以外の観光客がほとんどいなかった。 仏国寺の入場料は3000ウォン。お寺の裏側にはもう一つの名所がある。ソックラム(石窟庵)というのは 花崗岩の洞窟で、中には大きな仏像が建ってある。その仏像より仏像の発見の裏話は面白い。 1900年ぐらい、ある日に大雨から逃げた郵便配達人は洞窟に入って偶然にその昔に造られた仏像を再発見した。 キョンジュには博物館もある。中にはキョンジュとその周辺は導入され、一見の価値がある場所だ。
慶州の名所・宿泊・交通・レストランなどについての詳しい情報が必要なら http://www.gyeongju.gyeongbuk.kr/jp/ を参照。

ハングルでソウル

残念ながら慶州に二日間しかいなかった。その短すぎる二日間の後、私達はソウルにバスで戻った。 バスでの所要時間は4時間半で、運賃は1万3400ウォンだった。ソウルは相変わらずすごく寒かった。 着いた後、前に止まった旅館にチェックインしてまた黄さんに連絡した。そして当然ながら また色々な友達と一緒に飲みに行った。あるバーで3リットルのビールのジョッキがあった。 飲むなら、韓国人は本当にすごいなと確かめた。
伝統的な屋根 残った時間は首都の名所を観るためなのだった。最初はソウルの 景福宮 という領域が広い王宮へ行った。景福宮はソウルの中心から北のほうにあり、地下鉄で 行きやすいところだ。この王宮はソウルが首都になった後に建築された。それは1394年であった。 しかし、日本の軍隊は朝鮮を侵略したと、その軍隊は毎回この宮殿を崩壊した(偶然に観光客の団体を 見たとき、韓国人のガイドはそれを日本人達の観光客に咎めるような語調で物語った)。 景福宮は一回以上再建された。19世紀末までは約200件の建物が再建されたが、1910年から1945年までかかった 植民地時代の後、10件の建物しか残らなかった。
現在の王宮は再び再建中で、昔のように華麗に再建する計画が立てられたそうだ。まだ工事中の 景福宮は今でも素晴らしい。特に屋根の絵画(参照:右の撮影)はものすごく綺麗だ。こういう 屋根を作るのはすごい手間がかかるだろう。しかし、こういうふうな屋根は韓国だけにある と思ったが、台湾の台中にある孔子廟(参照:→台湾) でもそれに似ている屋根があると見たときに驚いた。入場料は700ウォンで、火曜日は休日。 ソウルの景福宮には、面白い建物ばかりではなく、お勧めの国立中央博物館という昔からの芸術が見える 展覧会と国立民俗博物館もある。 景福宮の東方と南方には 鍾路 という地区が広がれている。 この鍾路はかなり広くて見応えのある場所が多い。特に面白いのは 仁寺洞貴 という無数の店が並んでいるショッピング街だ。仁寺洞貴には、中古の物、芸術品などを売ってる店や ユニークな喫茶店などが多くて散歩が面白くなる市街だ。
翌日、この韓国の短い旅行が終わって東京に帰った。 韓国と言うのは、多面的な国だ。日本からも中国からも大きい影響が与えられたが、韓国の文化は 特別だ。残念ながら、ヨーロッパでは韓国はあまり知られていない国だ。 ソウルなどの韓国の大都市に於ける繁忙さは皆の好みではないと思うが、大都市から離れると 素晴らしい風景と華麗な文化の証が見つけやすい。



恵子に捧ぐ

健さんの御協力に感謝!