ルーマニアについて


一般的な情報 | 自然 | 歴史 | 旅行案内 | リンク集

一般的な情報

国名

ルーマニアの国旗România (ロームィニア)

面積

238’000 km² (およそ日本の三分の二)

人口

2230万人* (2003) – (日本の人口の五分の一)

民族

90%弱ルーマニア人、6.5% ハンガリー人、2.5 % ローマ(いわゆるジプシー)、その他 (特にドイツ人、ウクライナ人、ロシア人、トルコ人などの少数民族)*

宗教

約90%ルーマニア正教会、その他はギリシア正教会、カトリック、プロテスタント等

時差

日本より7時間遅れ。サマータイムがあるので、4月の下旬から10月の下旬まで(大体その月の最後の土日の間の夜から)時差は日本より6時間遅れるようになる。

言語

ルーマニア語。 本当の国名は「ローマニア」で、「ローマニア語」の起源は「ローマ」と関係のあることがはっきりしている。ルーマニア語は元々ローマ帝国で使われたラテン語の訛であると言える。しかし、スラブ語から大きな影響が与えられた。要するに他の東欧の諸国でよく使えるロシア語はルーマニアで全く助けない。イタリア語またフランス語ができる人にとってはルーマニア語は中々勉強しやすい言語だ。特に若者のほうは英語がうまい。ドイツ語できる若者も年をとった人も多い。ルーマニア語ではローマ字が使われている。但し、以下の特殊文字がある:â・ă・î・ș と ț 。

  • â 」は呟き母音で、「エ」に近い(英語の「Woman」の「A」と同じ)。
  • ă 」ははっきり母音されるやや長い「ア」だ。
  • î 」はアクセントのない「イ」に似て、英語の「sit」の中の「i」と同じぐらい。
  • ț 」はは「ツ」の中の子音と同じ。
  • ș 」は 「シ」の中の子音と同じ。

その他にも英語の読み方と違う発音もある。例えば「GH」という子音の組み合わせはいつも「グ」と読まれているなど。

*出典:CIA World Factbook   

自然

ルーマニアの地図:クリックすると情報が見える

ルーマニアの地図:クリックすると情報が見える

ルーマニアは様々な文化史的な地方に区別されている。それは東部の南ブコヴィナとモルドヴァ(モルドバ共和国ではない!)、北西部のマラムレシュ、西部のバナト、南部のワレーキア、東南部の北ドブルジャ、そして中心部のトランシルバニアという地方である。 北からは鉤形のようなカルパート山脈がルーマニアに突き出ている。中心にあるモルドベアヌ山は2543メートルの高さでルーマニアの一番高い頂上だ。
特にトランシルバニアには高山が密集して、他の地方を見ると丘陸地のほうが多い。北部のドブルジャ(南部のほうはブルガリアの領地)にはドナウ川の三角州が広まれている。その支流の多い三角州はヨーロッパの最後の自然のままの三角州だと言える。

黒海で水泳するや、トランシルバニアで登山して、マラムレシュやブコヴィナでハイキングするなど―ルーマニアは色々な活動ができる国だ。それに加えて、人口密度は非常に低く、所々の地方は最後の数百年間の間に全く変わらなかったので、ルーマニアは唯一の「昔のままのヨーロッパを体験することができる国である」と言える。

ルーマニアは大陸性の気候のほうがある。そういえば、夏はかなり暑くなるが、冬は非常に寒くて絶対雪が降っているといえる。もちろん、黒海沿いの地方の天気は山中の天気とだいぶ違っている。

歴史

ルーマニア人ではない人に対して「ルーマニア」を述べると、沢山の人はその国名を「フラド・テペシュ別名ヴラド串刺し公」と「チャウシェスク独裁者」、そして政策に興味にある方なら「イリエスク」という名前と連想させる。その他にはルーマニアの歴史はあまり知られていない。古代ギリシアのとき、ゲタエという民族は現在のルーマニアに定住した。その民族は古代ローマ帝国のときにダキア人と呼ばれ、バルカン半島を大規模に移住したトラキア民族の一部であった。トラキアはそのときにローマ帝国の大切な属州であった。中世初期のとき、ハンガリーやスラブ、フンやゴート族などがトラキアに定着した。そのとき、第一ハンガリー帝国はルーマニアの大部分を支配した。ハンガリー帝国は13世紀にドイツから沢山のザクセン人をトランシルバニアに誘って移住させた。

ブラショフにあるドラキュラ通り

ブラショフにあるドラキュラ通り

14と15世紀のとき、ルーマニアの局地的な支配者は北進しているオスマン帝国の攻撃を成功裏に撥ね退けた。その支配者の内、ワラキア公ヴラド・ツェペシュという人がいた。彼は死刑として捕まえたオスマン人の背骨沿いに長い槍を差し入れた。しかし、かわいそうな犠牲者は槍でまず死なない程度にに突き刺された。その後、槍は土に突き立てられ、犠牲者は段々滑り落ちた。伝承によると、犠牲者はやっと無意識になるまでに二日間ぐらいかかって、数日間後死亡したといわれた。ブラショフに近いラシュノフ城の中にはその死刑を表す昔の絵が見える。19世紀にはブラム・ストカーはヴラド・ツェペシュの話を元にして「ドラキュラいわゆる吸血鬼」という小説の主人公を作った。

16世紀にはルーマニアは結局オスマン帝国に侵入されてオスマンの領域になった。しかし、ルーマニアは比較的に自主的な属州になった。オスマン帝国の軍隊は1683年にウィーンの外で敗北した上、トランシルバニアは”解放”されてハープスブルク家のオーストリアの領地になった。南部のほうが相変わらずオスマン帝国の属州であった。

第一次世界大戦には、ルーマニアはオーストリア・ハンガリー帝国をとして戦った。結果としてはトランシルバニアはバナトとブコヴィナと統一されたということ。第二次世界大戦のとき、ルーマニアはファッショ的な独裁政治の治下にドイツと協力して数十万人のジプシーとユダヤ人を殺戮した。1944年のルーマニアは突然180度回転してソビエト連邦の赤軍と一緒にハンガリーとドイツを敵として戦った。ルーマニアに配備されていた数万人のドイツの軍人は急に逮捕された。

それに従って、ルーマニアはソビエト連邦の影響を受けて左翼の政党は段々強くなってきた。1947年には君主制が廃止されルーマニアは社会主義の国になった。然し、ルーマニアの政党は最初からソビエト連邦を敬遠して独り善がりな行動を取った。1965年に、ニコラエ・チャウシェスクは権力を握って自分を1974年にルーマニアの大統領に指名した。彼の治下には放漫財政や情実、それに加えて狂気の建築プロジェクトの廉でルーマニアは益々疲弊した。

果ては1980年代に飢饉食糧難と反乱になった。1989年の流血の反乱の結果としてはチャウシェスク大統領とその妻は急に劇的な裁判に召喚されて三日間後処刑された。何でそんなに急いで処刑されたというのは不思議なことだ。同時に東ドイツでもルーマニアのような流血な革命になるおそれがあったので、特に中央ヨーロッパの人たちにとってはルーマニアの犠牲者が多い革命は肝を潰す出来事だった。

1989年以来、ルーマニアは民主化を進んだが、1996年までは社会党は与党であった。経済と政府を改革するためには様々なにがい政策があって大反乱になったところもある。今では最初の進歩が見えるようになった。例を挙げると、90年代の激しいインフレは一応止められた。それにも拘らず国民の大部分の貧困は今でもはっきりに見えることだ。現在のルーマニアは欧州連合の加盟を目指して努力している。しかし、参加国になるまでには沢山の水はドナウ川を流れ下ると思う。

旅行案内

お金

50万レイのお札(今は50レイだが、デザインは同じ)

50万レイのお札(今は50レイだが、デザインは同じ)

ルーマニアの通貨はロイと呼ばれているが、複数は「レイ」だからそれのほうが使われている。補助通貨は「バニ」ということだが、インフレのせいでなくなった。2004年の夏には1ユーロは約4万1千レイであった(一円=300レイ)。 そのとき、500レイ、1000レイと5000レイのコイン、そして紙幣として2,000レイ、1万レイ、5万レイ、10万レイや50万レイなどがあった。しかし、2005年の夏には国家銀行が4つのゼロを切り落とした。それ以外は紙幣の外見があまり変わりませんでした。それ以来、両替レートは1€≒3.5レイです。古いお札は2006年の年末まで有効です。簡単にいうと、ルーマニアのお札は素晴らしい。近代的なプラスチックで、透明な部分もあるというお札になっている。世界中の一番近代的なお金であるといえる。 政府は何の世帯でもカラー・コピー機が置いてあって皆は自分のお金を印刷していることを怖がっている印象が与える。大都市なら、どこでも現金自動支払機があって、普通のクレジット・カードや Cirrus のキャッシュ・カードなどが使える。両替所も あるので現金でも旅行してよい。やみ両替がないので、ルーマニアでそれがあると言われたら明らかに嘘だ。

ユーロとドルは一通用度が一番高い。ご注意:ルーマニアのお金をルーマニア以外の国で両替することは中々難しい。ブルガリアのソフィア首都ではルーマニアのお金を両替する為替所があるが、レートが悪い。ブダペストの為替所はルーマニアのお金を両替しない。要するに全部をルーマニアで使い尽くすかルーマニア国内で再両替をしたほうが良い。

物価

ルーマニアは相変わらず非常に物価が安い国だといえる。宿泊は普通のペンションとホテルなどのダブルで一人で約1300円になる。外食はとても安いので、ハイキングする以外には 自分で食べ物を買って旅行するのはルーマニアであまり意味がないことだ。外食するのは首都のレストラン以外に大体300円しかかからない。当然ながらそれより高いレストランと宿泊所も沢山ある。国内移動は同じように安い。例えばブラショフからブカレストまで特急で行くことは一人で約700円しかかからない。切符を買うのはどこでも無難だ。 市内のタクシーは便利かつ安い。最初の数キロはブカレストで4万レイ(130円)かかる。というのは、市内ならどこからどこまでへ行っても大体いつも4万レイぐらいになる。タクシーに乗る前、料金メーターがついているかどうかということをチェックしたほうが良いだろう。 ついていない場合には、まず値切りするか他のタクシーを捜したほうがいい。現在には、値段がちゃんと書いてあるタクシーが多くなってきた。1キロずつの値段は町によって 違うが、大体6〜9千レイだ。長距離の場合には運転手と値段を交渉したほうがよい。

贅沢をすることを求めていない旅行者はよく食べても沢山の移動をしても 絶対一日中4000円以上使わない。ちなみにレストランでは生ビールは約50円かかる。

往路

車が壊れたら馬車にしましょう・・・

車が壊れたら馬車にしましょう・・・

バス・列車・船・飛行機―何の交通手段でも入国できる。それに加えて、上陸の入国の場合には ウクライナモルドバ以外には全ての隣国ではビザが不要。日本からは直接のフライトがない。飛行機で入国したい方はまずドイツまたはオーストリア、フランスなどへ行って乗り返らなければならない。ルーマニアの一番大きな航空はブカレストから17キロぐらい離れているオトペニ国際空港と呼ばれている。

様々なヨーロッパの大都市から直接ルーマニアまで走る長距離バスがある。そういうバスはトルコのイスタンブールやブルガリア、ドイツ、フランスなどから出発する。しかし、運転時間はかなり長くて無数の入出国の検査は神経を消耗する。他方にはバスは一番安い。

それより列車のほうが快適だ。ブカレストやブラショフなどなら、ウィーンやプラハ、ブダペストやソフィアなどから直接の列車がある。色々な国からは往復割引または学割があるので、切符売り場でちゃんと情報を集めたほうがよい。ドイツから行きたい場合には、プラハ経由またはウィーン経由で行けるが、プラハ経由のほうが安い。例を挙げると、中央ドイツからブラショフまで行くのは一人で140ユーロぐらいになる(片道、寝台料金付き)。ドイツからは残念ながら割引がない。所要時間はプラハからブラショフまで20時間、ブカレストまで23時間ということ。一番安い行き方は次のようだ:国境まで行って、入国した後にそれぞれの国の切符を次の国境まで買う。が、所要時間はかなり長くなる。例を挙げると、こういうふうに行くと、 ブダペストからルーマニアまで1000円以下で行ける。因みにルーマニアにはEuroRail などの割引券が使えますか、国内の運賃は 非常に安いので、こういう割引券は全くお得ではない。

当然ながら車やバイクなどでも入国することができる。セルビア、ハンガリー、ウクライナ、モルドバとブルガリアからルーマニアに入国できる。ルーマニアの国境では絶対わいろが必要になるという噂があるが、最近「対わいろキャンペーン」が行われているのでそういう状況が改善された可能性がある。しかし、ルーマニア国内で車で運転するのは大変らしい。強盗の襲撃、でっち上げた事故や身勝手な検問などが多そう。それに加えて、首都の交通は殺人的だというのは周知のことだ。

ビザ

数年前からビザは日本人にとっても西ヨーロッパの人たちにとっても不要になってきた。 それのおかげで入国は簡単になった。ただ入国するときにはパスポートの有効期間は少なくとも3ヶ月だということにご注意。

国内移動

列車の切符

列車の切符

バス、列車と飛行機で。山地だらけの国なので、○○市から△△市までの所要時間は 非常に長い場合が多い。その為、時間がないときには飛行機で行くことは一番いいかもしれない。一番早い列車InterCity(IC)という列車だが、 IC が走るルートが少なくて運賃は比較的に高い。現在には新しい特急が登場したらしいが、詳しい情報がない。IC より安くてちょっと遅いのはrapid/expresという急行だ。 長距離なら、一番多いのは空色のAcceleratという急行だ。 その急行には自由席がないので予約をとることが必要だ。然し、切符売り場には コンピューターがないので、開いている席の番号は毎回電話で伝われる。要するに切符をずっと前に買うのは無理で、出発時間の一時間前から買うことができる。それに加えて、 同じ席の予約をとっている人がいることもある。Acceleratはよくルーマニア全体を横断して 所要時間は12時間を超えることもあるのに、レストランなどがない。その為、乗る前に食べ物と飲み物を買ったほうがよい。

一番安い列車personalという各駅停車で、運賃はAccelerat の半額ぐらいだけ だ。が、各駅停車はものすごく遅くて満席になるところが珍しくない。ご注意:: 大都市以外には、出発時間 (plecare) と到着時間 (sosire)は同じ掲示板に書いてあるのは 迷いやすい。続いて、国境を超える列車は中々少ない。地図によって鉄道があっても列車が一本も走らない場合がある。例えば、サツマレ(ルーマニア)とそこに近い デブレツェンというハンガリーの大都市の間には鉄道線も国境通過点もあるが、列車がない。

バスは列車がないところだけで助かる。地方のバスは古くて汚い。長距離のバスはそれよりよいが、遅い。バスはどこでも止めることができるのは 一方的に便利だが、他方的には所要時間はすごく長くなる。各地のautogară (バス・ターミナル)は普通の場合に駅に近いが、駅は町の中心から遠い場合だけにはバス・ターミナルは中心のほうにある。

食事・飲み物

美味しいものもあるが、一般的に言うとルーマニア料理はやはりバルカン料理だ。焼いた肉と焼いた肉。そして焼いた肉。時々焼いた肉もある。かなり有名のはCiorbâ deBurtâ (チョルバ・デ・ブルタ)という 牛の胃袋が入っている酸っぱいスープ。どこにもあるのはMititei(ミティティ)という焼いた挽肉の料理。偶に美味しいクリーム・ソースがついている。それはややおいしい。飽きるほど焼いた肉を食べた!?そうしたらBurete Caşcaval(ブレテ・カシュカワル)という中欧でどこでも売られているパン粉で焼いたチーズもある。同じように揚げられているCreierpaneもある。それは焼いた脳みそだ。

 

伝統的な料理 ①:Ciorbâ de Burtâ - 臓物のスープ

伝統的な料理 ①:Ciorbâ de Burtâ - 臓物のスープ

 

何を注文しても、どこでもウエイターがPâine (複数Pîine)という白パンを提供する。 それは別料金かかるが、それは数千レイだけだ。副菜としてはよくMâmâligâ(ママリガ)という黄色いトウモロコシや牛乳などが入っている粥が出てくる。その上にはときどきBrânză(ブルンザ)という白くて塩っぽい羊のチーズがかけてある。それに加えて、Cartofi (ポテト)などもよくある。やや偏ったルーマニア料理を飽きた場合に、無数のイタリア料理のレストランにも行ける。ルーマニアでのイタリア料理の質は場所によって大変違って、最低から最高まで何でもある。ちなみに「レストラン」が書いてあっても食べ物がない場所もよくある。それはただのバーだ。

 

伝統的な料理 ②:Brânză(羊のチーズ)がのっている Mâmâligâ(トウモロコシの粥)

伝統的な料理 ②:Brânză(羊のチーズ)がのっている Mâmâligâ(トウモロコシの粥)

 

ルーマニア製のワインは中々有名だ。その内、Murfartlar(ムルファトラ)などの種類がある。ルーマニアの火酒はŢuica (ツイカ)という梅から作られた強いアルコールやRaki(ラキ)という葡萄から作られた酒がある。南ブコヴィナ(参照:スチャヴァ)には美味しいチェリーのリキュールがある。ビールもどこにもあるし、その内、Skol(スコール)は一番おいしいかもしれない。 コーヒーは隣国のコーヒーと同じくよく砂糖で作られている。イタリア風のエスプレッソは段々普及している。

リンク集

ルーマニアについての面白いホームページを持っていますかまたはご存知ですか? その際には住所を知らせてください。確認した後、ここにリンクを入ります。商業上のホームページはお断りです。

歴史的なブラショフを発見しよう ブカレストというルーマニアの首都 ヨーグルト!?バラ!?の国には見所が多いですよ グラッシュ、温泉と綺麗な町ーハンガリーへようこそ! 旅人のスタート・ページへ 戦後のセルビアへ行きませんか 旧ソ連のモルドバ共和国は違う世界みたい ウクライナに行こう! ウクライナに行こう! Satu Mare Oradea Cluj Napoca Vatra Dornei Sighetu Marmatiei Suceava Iasi
Twitter0Facebook0LinkedIn0Google+0Email

Leave a Reply

  

  

  

You can use these HTML tags

<a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>