ルーマニア、モルドヴァと沿ドニエストル共和国

第1日

ハレ→ ウィーン→ ブダペスト→ ピュシュピョクラダーニェ→ ビハルケレステシュ→ オラデア
 

Halle→Wien→Budapest→Püspökladány→Biharkeresztes→Oradea

実は、今回の旅の第1日は前夜に始まった。ハレという中央ドイツからブダペスト行き夜行に乗った。直行のモダンな列車で、寝室にしたのに往復の運賃は98ユーロ(約13,000円)だけ。唯一のブダペスト行き車両は満席で、運賃はびっくりするほど安いと思っているのは私たちだけではなかったらしい。オーストリア経由なので、列車は国境で止まらないのはありがたい。ウィーンで朝食。ブダペストで昼食。ブダペストで降りたとき、いつもと同じく客引きがハエのように走ってきて宿泊所を提供した。が、私たちはすぐ旅行を続く予定だった。その為、次の急行で Püspökladány (ピュシュピョクラダーニェ、こういう地名は一体誰が思いついたのか!?)へ進む。次いで、一車両だけの各駅停車で Biharkeresztes(ビハルケレステシュ)へ行った。
何でこの田舎の町へ行っただろう。地図によって、ビハルケレステシュは一番列車で行けるルーマニアとの国境に近い場所だ。そこから国境を通過する列車もあるが、次の列車の出発時間は不便だから何らかの方法で行ってみようと決めた。お連れは絶対それは徒歩になると予感しただろう。ルーマニアの国境は彼女にとって前の旅行でトラウマを惹き起こしたが、駅前にはバスもタクシーもないのでやっぱり歩くしかない。ヒッチハイクをやってみようとしたが、高速道路なので無理だ。国境は7キロぐらい離れている。日が射しながら道路沿いに歩いた途中、ハンガリーの警官は私たちの前に車を止めてパスポートをチェックする。国籍を確認した後、紙とペンを出して、そして・・・日本語で「魚座」と「天秤座」を書きなさい!と頼んだ。暇そうな警官だ。
国境の通過は思ったとおり早く済んだ。しかし、ルーマニア側からバスがなさそう。もう遅いから、そしてルーマニアのタクシーは安いのでそれで行こうと決めた。かなり探した後、一台のタクシーをみつけた。20キロ離れているオラデアまで10ユーロといわれて、やや高いが他のタクシーがなかったから納得した。ホテルはすぐみつけて、天気もよかったから最高のスタートだった。ルーマニアで夕食。国際的な一日だった。

 

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ハレ | ハンガリー | ブダペスト | ルーマニア | オラデア

第2日

オラデア→ クルージ・ナポカ
 

Oradea – Cluj-Napoca

オラデアは一日間以上過ごすほど面白いのかな。旧市街の建物、そして特に要塞のほうがかなりぼろぼろしてしまうが、それ以外は市内は中々綺麗だ。晴れている天気でハプスブルク家の時代の雰囲気を守っているオラデアを散歩するのは楽だ。しかし、中心はあまり広くなくてこの最高の天気で博物館に入る気がないので午後中に次の町へ行こうとした。すると、駅へ歩いて次のクルージ・ナポカ行き列車を調べた。

オラデアの中心の綺麗な建物

オラデアの中心の綺麗な建物

残念ながら、ルーマニアの駅には出発時間が書いてあるがその列車の到着時間が書いてない。所要時間を問わず軽率に買ったのは後で後悔した。120キロだけ離れているクルージ・ナポカまでは2時間ぐらいしかかからないと思ったが、その列車ははちきれそうに一杯の各駅停車だった。全ての車室は混んでいたが、一つの車室にはジプシーの若い女の人だけが座って、通過する乗客を身振り手振りで招待した。しかし、皆は彼女を見た後他の場所へ逃げた。ひどい差別だな。ジプシーも宇宙人も問わず席があると座る私たちが入ると、ジプシーの女は嬉しそうな顔をしてすぐ話を開始した。だが、私のルーマニア語は不満足なので(実は私はただイタリア語・ラテン語・フランス語の単語をルーマニア語の発音で言ってみる)その会話はすぐ終わった。いつかもう二人のジプシーが入ってくる。それは男の子と年をとった女性だ。おばあさんは躊躇せず「お金チョーダイ!」と何回も繰り返す。列車の中で勝手にあげるはずないから無視して、どこか三人とも降りる。
東へ続くと、山が段々高くなる。それと共に空が暗くなり、着く前に雨が降り始める。二回目トランシルバニア。二回目雨。各駅停車じゃなくて、各木停車のほうがあってる。5時間後、やっとクルージに到着した。雨が強くなってきて寒いから、駅に一番近いホテルでチェックインする。一番近いレストランはかなり離れているけど、あそこのルーマニア料理は美味しくて量がすごい。

 

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ルーマニア | オラデア |クルージ・ナポカ

第3日

クルージ・ナポカ
 

Cluj-Napoca

最低:昼は大雨、夜は晴れ

最低:昼は大雨、夜は晴れ

起きるとき、雨が降ってない。それはいいことだと思いながらまた降り始める。最初は小雨、後大雨。それに加えて、気温は10度だけぐらいだ。実は今日は町に近い山々へ行ってみたかったが、こういう天気ならあまり意味がないだろう。その代わりに、市内を観光している。川沿いのモダンなオフィス・ビルなどを見ると、中国の都市にいる気がする。中国人ばかりじゃなくて、ルーマニア人も色付き磨き板ガラスが好きだ!町自体はあまり綺麗じゃないが、それは雨のせいだ可能性もある。昼食のとき、食堂のようなレストランに入って、いよいよ Ciorba de Burta (チョルバ・デブルタ)という牛の内臓入り伝統的なスープを頼んでみる。白くて酸っぱいスープで、想像すると絶対まずいと思った。しかも食べながらその偏見を確認できた。中々まずくて、今まで頼まなくてよかった。
天気などのせいで挫折感を味わった私たちは、この日のなごりを博物館の中で過ごそうと決めたが、今日は日曜日で、全ての博物館は閉館しちゃった。がっかりしながらびしょびしょになった。この一日間の唯一のハイライトは夜の学生クラブの雰囲気のあるパブの訪問だった。アルコール度は日本円での値段より高いドリンクはこの日を救った。夜になると、雨が終わって雲が切れた。タイミングが悪いな。しかも気温は零度の近くまで下がった。

 

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ルーマニア | クルージ・ナポカ

第4日

クルージ・ナポカ → ヤシ
 

Cluj-Napoca → Iaşi

6月末にも雪が積もっている

6月末にも雪が積もっている

明後日モルドヴァ共和国で約束があるので、益々東方へ進んだほうがよいと思ったから、空色の急行を使って9時間の間に東ルーマニアのヤシへ行くことにした。やむを得ず席を予約する。が、切符売り場にはコンピューターがないから開いてる席は電話で通告される(切符が買えるまで待ったとき、その電話を予想した:ビンゴ・ゲームみたいで、「A 54」・・・「バツ!」・・・「A 55」・・・「丸!」・・・「やった!!!」)のようじゃないだろうか)。乗る前、さっさとチーズとソーセージ、パンと果物を買って列車に入った。雨が終わったけど、外は寒い。列車はまず北へ、そして東へ走っている。山は段々高くなって、伴って寒くなる。あるところで、外を見ると雪が降っている。残念ながら、列車の暖房は全く動かない。それに加えて、向き合ってる席に座っている若い女はずっとくよくよしている。この人を数時間見ると、機嫌が絶対悪くなる。
憂鬱な相手がいつか降りるけど、その代わりに物乞いの少年が車両に入っちゃって食べ物がほしいと疑問の余地のない身振りを示す。しかし私たちの蓄えは艙底まで尽きちゃった。少年はビニール袋を指差して「チョーダイ」のような身振りをし、「Nu!」(いいえという意味)を言っても彼はあっという間に生ゴミだけが入っているバッグの内容を調べた。だから「いいえ!」と言ったよとがっかりした少年に言いたかった。午後6時ごろ、やっとこの寒い列車を降りれた。ヤシだ。東ルーマニアだ。この町は西ルーマニアより汚くて賑やかだとすぐわかった。ホテルをすぐみつけていいレストランを探した。雰囲気がよいお勧めのレストランをみつけて、入るとびっくりした。大きい日本人の団体がいるんだ。さすが日本人だ!どこへ行っても絶対いる。ホテルに帰った後、ホテルのバーで根をおろした。隣のテーブルには強そうなルーマニア人とその家族が座って、いつかドイツ語で「ドイツから来ましたか」と話しかけた。はいと言って、「何であなたはドイツ語がそんなにうまいの」と聞くと、彼は笑みを浮かべて「ドイツでずっと働いたぞ」と答えた。職業を聞くと、「ひもだよ!二つの娼家を営業した」と答えた(どこで勉強したのか)。家族のほうはニコニコしながら頷いた。その後話はちょっと続けて、普通に話すといい人だと思った。

 

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ルーマニア | クルージ・ナポカ |ヤシ

第5日

ヤ シ
 

Iaşi

また雨が降ってる。運が悪いなと思いながら外を見て「あっ、ルーマニアへ行く夢を見た!しかし、実は私が住んでいるハレ市にいるんだ!今日は仕事があるんだっけ」と疑った。その理由は路上に走ってるハレ市のトラムだ。いや、同じ種類だけじゃなくて、ちゃんとハレ市の店や出版社などの宣伝がのっている。後で町を歩くと、他のハレ市のトラムもあるとわかった。ハレ市はただ古いトラムをヤシにあげた。または売った。何でルーマニア人はそのドイツ語の宣伝を取り除けなかったのかな。Fornetti という最近私たちの中ブームをした新鮮なパンの店で朝ご飯を食べた後に小さい修道院を見学したが、全体は工事中だから何も見えなかった。雨が降っているのに、トラムで植物園へ行った。そこで、内部と外部のそれぞれの料金を払った。「内部」は「温室」という意味だとわかった。しかし、サボテンなどの温室に入ろうとしたとき、厳しく断れた。ドイツ語または英語の説明もどこにも書いていないし、いい植物園だけどお客さんはあまり歓迎されてないという印象が強かった。少なくとも雨がやっと終わって散歩するためにいい天気になった。市内へ帰った後、まずモルドヴァ共和国行きバスの出発時間を調べた。そして子供ばかりが入っているレストランで昼食を食べた。しかし、ウエイターだけじゃなくてクックも子供じゃない!?と思った。なぜかというのは、料理はびっくりするほどまずかった。

ヤシを回ってるハレ市のトラム

ヤシを回ってるハレ市のトラム

ケチャップがかけたチキンを無理矢理呑み込んだ後、周辺の修道院を見回した。見目麗しい修道院だ!数キロ歩いた後、また中心に戻ってあるカフェーでお茶をしようとした。カウンターで注文した後、お連れが座っているテーブルへ戻った。突然スタッフが来て、興奮した気分で身振りをしたり話したりした。「Bani!Bani!?」(お金という意味)を繰り返してまずその意味をわからなかった。もうちょっとこの劇場を見るとわかった。お金と貴重品を確認してください!と言いたかった。私がカウンターへ行ったとき、詐欺師のカップルはお連れからお金を盗んでみたという理由だった。しかし、お金はよく隠されていたから失敗だった。
次の失敗は私たちが背負った。ある店でアイスクリームを買った後に歩きながら食べたかった。一分後、子供が来てそのアイスクリームがほしいと言った。それは別にいいけど、彼は最初から私たちを触ったり叫んだりなどをした。それは許せないから結局あげなかったが、本当に食べ尽くしたまでにずっと邪魔したから嫌な感じだった。「歩きながら食べるのは止めましょう」と習った。夜には、ナイトクラブのような店の奥にあるピザ屋に入ってみた。スタッフはすごく親切だったが、私たちを宇宙人のように見た気がした。お初のお客さんかな!?料理はそのとおりだった ― ケチャップ付きパスタ。

 

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ハレ | ルーマニア | ヤシ

第6日

ヤシ → オルヘイ(モルドバ) → ペリヴァン
 

Iaşi → Orhei (Moldova) → Pelivan

今日はルーマニアをあとにしてモルドヴァ共和国を入国する第二試行だ。翌年に行ってみた時、在ブカレストの領事は査証の発行を断ったから、モルドヴァは私たちにとって未探険の地域だった。今回はビザを旅行する前に手に入れた。朝10時バスに入った。今日はやっと晴れている。ヤシは国境に近くて、30分後通過点に着いた。ある太っていて汗をかいているおばさんは私に「100ユーロの現金がないと私が入国できないから100ユーロを貸して」といった。私はそれを一応理解できたが、全然分かってない顔をしてたから隣に座っているよく旅行しそうな若い女はそれを英語に訳す。おばさんの素っ気ない願望は当然ながらお断りだ。勝手に1万3千円ぐらいの現金をあげるはずないだろうと若い女に説明して、彼女は納得したような顔した。
他の乗客と税関で並んで、外国為替の書類を記入してモルドヴァのお金を両替した。もちろん、太っている女も無難に国境を越えた。運転を続いて、外を見るとモルドヴァでは何でもルーマニアよりスパルタ的だという最初の印象だった。農家や車、洋服などは隣国より簡素だ。それにもかかわらず伝統的な村はとてもきれいだ。途中で止まるとき、二つのアイスクリームを買った。それは6レイ(50円)ぐらいだけだ。ルーマニアの大きい金額(1モルドバのレイ≒2,850ルーマニアのレイ)に慣れてきたので、「6レイ」という低い数を聞くとびっくりしまう。
今日の目的地は Pelivan(ペリヴァン)というオルヘイ市に近い村だ。そこには、知り合いの友達が住んでいるというわけだ。リュドミーラという人のモルドヴァに入国した後に電話するはずだったが、バスの運転手にケータイ電話を貸してくれなかったが、キシナウというモルドヴァの首都に到着する前に訳してくれた若い女に話しかけられた。携帯電話で電話したいかどうかと聞かれて、「うん」と答えてリュドミーラに電話ができた。リュドミーラは少しドイツ語で話せるが、バスの中で電話するからあまり通じない。「キシナウへ行きます!そこで二時間後待ち合わせしよう!」と彼女が言ったが、バスはちゃんと村に近いオルヘイ市まで続くからそれは必要ではないと説明してみた。それも通じなかったから、また通訳者に任せた。それは本当に助かった。電話代を払おうとしたが、「いや、外国で助けてくれるのは大切でしょ!自分もわかる!だからお金が要らない」といわれた。それはそうだ。

ぼろぼろしているペリヴァンの古い中心

ぼろぼろしているペリヴァンの古い中心

賑やかな首都キシナウに入った後、まず大混乱しているバス・ターミナルに止まった。この蟻塚のような場所で見たことがないリュドミーラと会うのは絶対無理だと思った。しかし、バスはすぐまた出発して、運転手は市内で友達と話したりエンジン・オイルを買ったりなどをした後にキシナウから出て北方へ進んだ。結局午後4時ぐらいオルヘイの塵だらけのバス停に着いた。人は少ないから、すぐリュドミーラに見つけられた。お初の邂逅なので、彼女も私たちも緊張しているが、リュドミーラは優しくて思ったよりドイツ語うまいのですぐ仲良くなる。続いてマルシュルトカ(特に旧ソ連での乗り合いタクシー)で近い村へ行った。
前にも気づいたが、どこにも動物がいる。この国は本当に大きな野外動物園だ。村自体はかなり新しくて、コルホーズ(ソ連式集団農場)のように計画されたものだ。ちょっと歩いた後、リュドミーラの住宅に着いた。そこには、母親が待っている。やっと着いた!着いたばかりところで母親が私たちをすぐ台所に招いた。ボルシチ(ロシア風の赤カブのスープ)や肉入りブドウの葉などが私たちを待ってた。全部は自家製で、ずっとバスの中にいたからかなり嬉しかった。しかし、台所は小さかったのでいつも二人しか座れない。いつかリュドミーラのいきいきした若い娘が家に帰ってきた。お連れはドイツ語と日本語、娘はロシア語と少しだけルーマニア語で話したが、それでもすぐ仲良くなった。食べた後に村を回ると、全ての公衆設備はダメになったとわかった。その代わりに、新しく築かれた華麗な農家もあると見たが、それは少なかった。リュドミーラによって、ドイツ人はこの村を創立したが、今では二人のドイツ人の先祖のある人しか残らなかった。その二人の一人はリュドミーラだ。外国へ行けると行くと皆が思っている。仕事が全くないという理由があるだろう。
その後、ドイツに働いているモルドヴァ人の知り合いの母親と会う。再び食事だ。ケーキと新鮮なイチゴ、自家製の生クリーム。そしてブランデーを飲みませんか?夜になるとまた面白くなる。かなり酔っている隣のアパートに住んでいる男の人にあった。古いカーマスというロシア製のバス?トラック?で村のキオスクへ連れてくれる。毎回坂を下がるとエンジンを切るのは中々滑稽なものだ。立て板に水を流すようにロシア語で話しながら身振りして先をあまり見ない隣の人は面白くていい人みたいけど、少し憂鬱だ。さすがロシア人のドゥーシャ(精神)だ。
夜遅くになると、リュドミーラは娘と一緒に違うところへ寝に行く。私たちのためにそんなに面倒をかけるのは思わなかった。然し、リュドミーラはすごく親切で抗議しても意味がないだろう。私のお連れの遺憾ながら、リュドミーラは住宅にいる子猫も持って行く・・・

 

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ルーマニア | ヤシ |モルドヴァ共和国 | オルヘイ

第7日

オルヘイ → オルヘイウル・ヴェク
 

Orhei → Orheiul Vechi

今日はオルヘイウル・ヴェクいわゆる古いオルヘイを見学する予定だ。前日にリュドミーラと一緒にそれについて話した。問題は次のようだ:旧オルヘイ行きバスがあるが、同じ日に帰るバスがない。彼女は車を持つ知り合いに連絡した。彼は「10ユーロで連れてあげる」と言った。私たちは断った。なぜかというのは、やや高い値段よりは適当にそこで時間を過ごしたいのほうが第一の理由だった。朝ご飯を食べた後、まずマルシュルトカでオルヘイに移動した。大した町ではないが、開市日なので面白い農業市場が見える。局地的経済を景気づけるため、磁力のチェス盤を買ったが、そのチェス盤は当然ながら中国製だ。
午後一時前、他の国で博物館だけに見えるおんぼろバスで Trebujeni (トレブジェニ)という旧オルヘイに近い村へ行く。バスは出発の一時間前からすごく混んでいて、乗客の半分ぐらいが沢山のピヨピヨと鳴いているヒナが入っているボール箱を膝に載せている。所要時間は思ったより長かったが、ある乗客は私たちの目的地をわかって、途中で「ここに降りたほうがいいよ!」と教えた。降りるとびっくりする。ここは巨大な自然的石灰舞台だ。小さい通りをたどって狭い尾根伝いに歩くとすぐ上に立っている教会と地下修道院の入り口に着いた。若い子供の子が途中からずっと一緒に行って入り口を指差した。また出ると、その男子は私たちを待っている。他の国で何回も体験して、お金がほしいからずっとねばねばしている子だと思ったから追い払うのに数レイをあげようとした。が、その汚い洋服を着ている子は偉くして「お金要らない!」と言っちゃった。しまった。いい子の感情を傷つけたじゃないだろうか。それにもかかわらず彼はずっと一緒に歩いたり教会を案内したり自分のペットを紹介した。そのペットの内、出っ歯でずっと笑顔をしてる小犬がいる。男子は近い村に住みそうで、面白い。お金の失敗を許してくれるのかな。

地下修道院から周辺を覗く

地下修道院から周辺を覗く

帰るために同じ道じゃなくて、深い谷を村まで一周することにした。それは一時間以上かかって、景色はやっぱりすごいなあと何回も確認した。トレブジェニ村は色彩が豊富な古い村で、とても落ち着いたところだ。200年前と全く変わってないだろう。村の中心に着くとき、キシナウ行きバスは鼻先で発車してしまう。それは私たちの唯一の帰るチャンスだったじゃないだろうかという疑いが湧いてきた。他のバスもレストランなどもないから、歩くしかないと思って歩いてはじめた。次の村は5キロ以上離れて、車も馬車も全くこないからヒッチハイクは無理だ。
やっとトレブジェニより大きい村に着いた。そこには、小さいカフェーさえある。丁度入ろうとしたとき、誰かがクラクションを鳴らした。その運転手はロシア語で「数レイで次の大きい交差点へ連れてあげるぞ」と言った。もう遅いから、オルヘイまでも行けるかどうかと聞いて、400円ぐらいで行くとわかった。違法的な個人タクシーだ。外国人があまり来ないから、オルヘイのバス・ターミナルのスタッフは私たちのことを思い出した。が、もう午後7時だからペリヴァン村行きマルシュルトカがなかった。バスやタクシーなどもない。もう20キロぐらい歩いたから、高速道路沿いペリヴァンへ歩くのは厭だったのでヒッチハイクをしてみた。やっと非常に高そう(モルドヴァで!)車を運転する人が来て、400円ぐらいで連れてあげると言った。しょうがないからそれにして、その代わりにリュドミーラの住宅前まで行ってくれる。
夜にはまた祝宴のような夕食になる。ニシンのサラダ、トウモロコシの粥、ベーコン、チーズ、チキンなどなどの素晴らしいご馳走が出された。さすがモルドヴァ人のだ。リュドミーラは娘と一緒に次の日にロシアへ行って、そのときにもアパートを使っていいと言ったが、それはやりすぎからキシナウという首都に移動したほうがいいと思った。夕食の後、またロシア語とドイツ語、そして身振り手振りで家族と話した。娘の英語が上手い友達が家に来て、英語で喋りたいと言った。こういうふうに、モルドヴァの田舎での最後の日が終わった。

 

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モルドヴァ共和国 | 旧オルヘイ |オルヘイ

第8日

オルヘイ → キシナウ(キシニョフ)
 

Orhei → Chişinău (Kischinow)

家族と仔猫にいとまをとらせた後、マルシュルトカでまたオルヘイへ行った。そしてバス・ターミナルのキオスクの優しい女の人に「さようなら」と言った。仲良くした女は心から「幸せになるように!」といってくれた。続いて、バスで首都へ行った。これからよくバスであちこちに行きたいので、バス・ターミナルに近い宿泊所をみつけたらなあと思った。だからバス。ターミナルに面するホテルにチェックインした。スタッフはまず一番高い部屋を紹介したけど、「そんなに余裕がない」と言った後にもっと安い部屋をもらった。それでも冷蔵庫、そしてお湯さえある。バルコニーから賑やかな市場とバス・ターミナルが見えるので大満足!ホテル自体は中々大きいけど、半分以上はオフィスや診療所などだ。だから部屋へ行ったとき、まず歯医者と婦人科医を通り過ぎた。

この未完のビルは一体どうになるのかな!?

この未完のビルは一体どうになるのかな!?

昼になると、レストランを探した。そして食堂みたいなところをみつけたとき入ってみた。ウエイトレスは最初から私たちに敵意を抱いていたそうだ。そして「メニュー下さい」というと、彼女は変な顔をした。次は略式手続だ:メニューをガチャンと置いた後、何のアイテムがないということじゃなくて、何のものがあるだけを表した。それは三つぐらいの料理だけだった。いやな感じだから、もちろんこの食堂から逃げて、それよりいいレストランを探した。
キシナウは緑の町で、社会主義的な都市だ。それでも並木の大通りなどを散歩するのは楽だ。無数の近代的な携帯電話の店がかなり目立っている。特にメイン・ロードはかなり賑やかだけど、不思議なことに物乞いが全くいない。比較的に裕福なルーマニアには物乞いがどこにもいるが、モルドヴァでは本当に見えない。夜にユダヤ人が経営してるレストランに入ってみた。サービスはかなりいいけど、ライブはうるさくてへたなバンドだった。二人での豊かな夕食は1300円ぐらいになって、かなり高かった。首都だからやっぱり物価が高い。ホテルに戻ると、テレビの番組を調べてみた。様々な英語の番組もあって、明らかにケーブル・テレビだ。リュドミーラによって、ペリヴァンは近い将来に無数の番組を含むケーブルでつながれている。このヨーロッパの一番貧乏な国には何でもダメだけど、携帯電話とケーブル・テレビはブーム中だ。

 

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モルドヴァ共和国 | キシナウ(キシニョフ)

第9日

キシナウ → チラスポリ → ベンデルィ(ティギナ) → キシナウ
 

Chişinău → Tiraspol → Bendery (Tighina) → Chişinău

沿ドニエストル共和国を来襲!この狭い未承認の国は1990年代初期によくニュースに出た。そのとき、激しい内戦が勃発しちゃった。不思議なことに、沿ドニエストル共和国その戦争で勝利した。多分地名が長いから、お連れはこの国に最初から「変な共和国」という名前を与えた。その名前はあってないといえない。一時間後、バスでベンデルィという町の郊外にある国境に着いた。モルドヴァ側の警備員は交通を無視する。国境の周辺には、よくコンクリート造り射撃壕などがみえる。私たちはバスの中で唯一の外国人だから、国境で特別な扱いを受けちゃった。ニヤニヤする士官は一人ずつ5ドルを要求して、「ドルがない」と答えると「そうしたら5ユーロ」といっちゃった。その代わりに、タロンという領収書みたいな紙をもらった。「キープしていいよ!我が国のスーベニア!」って。それはワイロか。それとも本当の料金か。しかし、未承認の国だから反対をいう根拠がないだろう。満席のバスは私たちを待っていて、力強い女性のバス乗務員はずっと怖そうな顔をして、私たちの入国登録を推進した。登録事務室には人が多くて、ごく最近印刷された「CCCP」(ソ連の略語)が書いてあるパスポートを持ってる人が多いと気づいた。蘇聯(ソ連の旧字)が蘇った!

チラスポリにある共和国の館

チラスポリにある共和国の館

やった!入国できた。5ユーロを払ったが、それ以外は入国は全然難しくなった。ロシアの平和部隊を通過した後、首都のチラスポリへ進んだ。かなり小さくて住みやすそう町だ。着いた後、まず20ユーロを両替したけど、それはいっぱいすぎると後で分かった。次いで町を観光する。緑が多くて、非常に清潔な町だ。昼食を食べるためにレストランを探したが、食堂のような場所しか見つけれなかった。しかし食べ物があまりない。唯一の残った料理は冷やしたマッシュト・ポテト、ハンバーグとスープだ。そのスープの半分ぐらいは油だから、少しだけ食べると満腹になっちゃう。スタッフは私たちを見たときに変な顔をしたけど、とても優しかった。最後に、算盤でアイテムずつの値段をはっきり言って、途中で何回も私を見て、計算があってるかどうかと確認したかった。それはかなり時間がかかったから、「もしかして高くなる!?」と思ったけど、つまり二人で120円ぐらいだけ払った。
とにかくこの町は首都だと信じられない。店が少なくて、ぼろぼろした文化宮殿、プチ「共和国の館」とかなり変な建物に入っている首相の所在地以外には何もないらしい。首相所在地の視界には貧乏な人は持っているものを一つ残らず売ってしまう。少なくとも立派なモニュメントはどこにもある。アフガニスタンでの英雄的な戦い。対モルドヴァの英雄的な戦い。戦争が多くてとても栄光に満ちた国だ!民衆は飢えてるけど。私たちは色々な記念碑を通過して郊外の住宅地まで歩いて、そしてベンデルィ市行きトラムを待ってる。トラム停では二人の軍人がいる。上司のほうが泥酔して、部下は無理矢理に彼を起こしてみた。が、アルコールのほうが強くて何をしても全てむなしかった。
続いて、ベンデルィという1992年に流血な戦場になった町を回った。今では、戦争の痕はあまり見えない。しかし、町全体はチラスポリより殺風景な場所で、とても貧しそう。特にバス停には物乞いもいる。教会を見学したとき、偶然にミサに入った。不思議なことに参加する人が多かった。それは旧ソ連と違うだろう。沿ドニエストル共和国で気づいたのは人間の優しさだ。モルドヴァにも人がすごく親切だが、この変な共和国にはスタッフさえ親切だ。私たちが疲労したから、夕方にキシナウに帰ってゆっくり宵を過ごした。

 

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モルドヴァ共和国 | キシナウ | ПМР(沿ドニエストル共和国) |チラスポリ |ベンデルィ

第10日

コムラト
 

Comrat

またキシナウに残るから、毎朝と同じ起きた後にまずレセプションに行って、次の夜の部屋代を払って、そしてホテルに近い汚い店でコーヒーを買いに行った。そこには、朝から人が集まってウォッカを飲んでいる。その後、マルシュルトカで南西バス・ターミナルへ行く。10席ぐらいが入ってるミニバスには20人以上が乗れるのは今まで思わなかった。私は運転手の隣にしゃがんだ格好で立っていて、小さいカーブにもハンドルに落ちないようにすごく筋肉を使う。この朝は運動で始まる。

コムラトの中心

コムラトの中心

今日の目的地はモルドヴァの南部にあるガガウズ自治共和国のコムラトという首都だ。バス・ターミナルに着いたすぐ後、コムラト行きバスが出発した。景色は中々きれいで、特にブドウ畑は多い。残念ながらまた雨が降りそう。2時間以上の後、コムラトに到着した。そしてそこは何もないとすぐわかった。だから皆は私たちを疑わしげな目つきで見ている。ピザに似ているものを食べたと、町を見学したが、30分後全部見た気がした。この場所は塵だらけの小町で、見応えのあるところがゼロ。ガガウズ共和国を体験したい場合にはやっぱりガガウズ人の友達がいる。しょうがないからゆっくりバス停に戻った。そこから、数本のバスはあちこちへ出発するけど、首都行きバスが全く来ない。当然ながら、首都に行きたい乗客の人数が段々増えてくる。数時間待った後、やっとイスマイルというウクライナの都市からキシナウ行きおんぼろバスが着いた。しかしながらそのバスはもう満席だった。乗客はバス停の管理人に怒鳴ったりなどをして大喧嘩になった。しょうがないから皆はどやどやバスに入っちゃって、首都まで三時間ぐらいずっと座席間の通路に立っていた。道路にあいた穴が多くて空気が悪かったから如何わしい楽しみだった。
夜にまた外食しようとして、前の夜に発見したレストランに入ってみたかった。そして入り口の前ですげなく断れた。ここはネクタイ着用の義務だ!畏まりました。今回バッグパックするとき、ちゃんと背広を持っていく。次の試行はレストラン・キシナウという名前だけで高級っぽいレストランだ。高いかなあと思って、玄関で制服姿の80歳ぐらいのドアマンがいらっしゃいませのような身振りした。暗くてでかいレストランには三人のお客さんしかいない。この場所は昔この町の誇りだったのは間違いない。今ではその時代の影像だけが残ってる。ウエイトレスはドアマンと同じように古い型の教育を受けたらしい。メニューに書いてあるのに実はそれがない料理もいろいろあったけど、それ以外はサービスがとてもよくてウエイトレスは親切だった。しかもかなり安かった。このレストランは過去への旅のようだった。
モルドヴァ共和国での最後の夜を地下のモダンなバーでとじたかった。座った後に飲み物を頼んで、飲み物が来たまでかなり時間がかかった。しかも注文した飲み物じゃなかった。やり直してくれた後、スタッフがまたテーブルに来て、「15分後閉店になる!」と発表した。まだ11時前だからそれには十分驚いたけど、2分後同じ人が戻ってきて、「ごめん、15分後じゃなくて只今閉店する!」と説明した。パチン!全ての電気をつけて、○○レイになります!一分後、行かされちゃった・・・キシナウの素晴らしい飲食店営業の世界へようこそ!

 

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モルドヴァ共和国 | キシナウ |コムラト(ガガウズ自治共和国)

第11日

キシナウ → ベリツィ → ボトシャニ → スチャヴァ
 

Chişinău → Bălţi → Botoşani → Suceava

着いたばかり気がする、もうモルドヴァ共和国のお別れを惜しむ。この国は思ったよりいい時間を過ごして、どこでも人が(スタッフ以外に)親切だった。そしてぼられたこともなかった。その上、一週間の間に他の旅行者は一人も見えなかったのは初めてだった。日本人さえいなかった。入国したときと同じルートでルーマニアを再入国するのはつまらないから、まずバスでベリツィという”北の首都”へ行った。おんぼろバスなのに、すごいスピードを出した。私たちは一番奥に座って、隣の席にはでかいタイヤが置いてある。だから毎回カーブに入るとき、タイヤが動かないように祈っていた。
昼ぐらい、ベリツィに到着した。そのバス・ターミナルはかなり汚くて賑やかなところだ。次のバスの切符を買った後、二時間ぐらい暇があったので周辺を散歩してレストランを探した。そして食堂みたいな場所で軽食をした。その後、残ったモルドヴァのお金を使ったりルーマニアのお金に両替したりなどをした。ルーマニア行きバスの前、かなりしつこいおばさんは声をかけて、私に「タバコなんとかかんとか」と言ったが、ルーマニア語だから意味が分からなかった。「少なくとも一箱のタバコを取ってよ」みたいなことを言ったが、なぜキオスクが多いのにおばさんからのタバコを買うはずなのかなと驚いた。しかも自分でもタバコを買ったから、もっと買うと国境で問題になるだろう。が、彼女が言いたかったことは一時間後分かった。途中で、色々な農家がバスに乗って、巨大なバッグ詰めのヒマワリの種、そして他の重そう荷物も私たちの席のまわりに要塞にように積もってきた。
いつかのあいだに国境に着いた。その前、後ろに座っている人たちと仲良くなって、大体ロシア語で面白い話ができた。私たちは唯一の外国人だから、関心の的になっちゃった。国境の前、全ての乗客は急に活発になった。つくづく全員がタバコをタイツに入れて、そのタイツをお腹や足などのまわりに巻きつけて、私たちの前に遠慮せずブラなどにも入れる。子供までもタバコを装備した!その子供は元々餓鬼(・・・)のように痩せたが、タバコがつけられた後にでぶちゃんになった。そのとき、バス停で声をかけたおばさんの言いたいことが分かってきた。私たちは彼女のタバコを密輸するはずだった。国境に着いたとき、まずパスポートが集められた。モルドヴァのパスポートは青だから、私たちの赤いパスポートは目立ってた。警備員は私たちを見つけて、小さいクイズをはじめた。一体何故モルドヴァに来たか、モルドヴァ人の友達がいるか、そしてどういうふうにこの辺鄙な通過点へ来た(バスで!?)等など。出国するときこういうことを聞かれたのは初めてだった。

通過点のモルドヴァ側の”ビル”

通過点のモルドヴァ側の”ビル”

私たちのバスは唯一の乗り物なのに、モルドヴァ側での手続きは結局一時間以上かかった。長い橋を渡った後、ルーマニア側に止まった。皆が降りて、自分の開いた荷物の前に立ち並んでいた。それはブルガリア・マケドニアの通過点と同じだ。すごい優しい税関の若い女の人は私たちに近づいて、喜んだ顔で英語で”How do you do”と言った。”How do you do”と答えると、彼女は驚いた。そして同じことを繰り返した。変なのと思って、また”How do you do”を繰り返した。そして彼女が”Do you speak English!?”と聞いた。「私は英語できるよ!あなたは!?」と言いたかったけど、いい人だったから止めた。絶対”How are you?”と間違えただろう。税関の人は素早く私のタバコを発見した。「なるほどね!モルドヴァ製のタバコだ!」と大きい声で発表すると、他の乗客は皆げらげら笑った。だからこの変な外人が我々のタバコを隠さなかった!と皆が分かってきただろう。「タバコは止めたほうがいいよ!」といわれた後にまたバスに乗った。モルドヴァ人もその荷物もあまり検査されなかった。モルドヴァ人の団体の一番偉そうおばさんは警備員なんかを渡した。まとめると、国境で2時間以上過ごした。警備員と税関の暇つぶしみたいだ。
ドイツなどには、ルーマニアは貧乏な国だというイメージがあるが、モルドヴァから入国したとき、ルーマニアは本当に豊かな発達した国だと思った。道路の質や車、建物などは本当にしっかりした。タバコを密輸するモルドヴァ人は話によって毎日ルーマニアへ行って来て、パスポートはスタンプでいっぱいになるとただ新しいパスポートを申請して続く。チェコ人とポーランド人はドイツにタバコを密輸する。ルーマニア人はチェコにタバコを密輸する。モルドヴァ人はルーマニアにタバコを密輸する。要するにモルドヴァ人は食物連鎖の最下位にいる。
夕方8時過ぎ、6時間の所要時間の後にやっとスチャヴァという北東ルーマニアの大都市に着いた。そこで、三つのホテルへ行ってみたけど、値段はどこでも同じだ。もう遅いから、しょうがなくて中々高いホテルにチェックインする。部屋は綺麗で、スタッフも親切だ。そしてそのホテルは待ちの中心にあるから便利だ。スタッフによって、あるイタリア料理のレストランはお勧めだ。そのレストランは本当にびっくりするほどいい。ホテルには、かなりうるさいオーストリア人の旅行団体がいる。”文明世界”、只今!

 

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モルドヴァ共和国 |ベリツィ |ルーマニア | スチャヴァ

第12日

スチャヴァ→チンキ・マナスティリ(五つの修道院)
 

Suceava → Cinci Mănăstiri

南ブコヴィナという北東ルーマニアにばらばらしている修道院と防衛教会については色々を聞いたから、かなり好奇心だった。しかし、一番有名な五つの修道院は中々広い範囲に点々してるので、普通のバスなどで行くと一日間に多くとも二つの修道院が見える。スチャヴァの後にどういうふうにハンガリーに帰るのは分からなかったから、贅沢な方法を選んだ。それは車と運転手をチャーターすることだ。二つの旅行会社の値段を調べたけど、大した差じゃないと気づいた。だから8000円ぐらいで車をチャーターした。それは中々高いけど、運転手はそれで200キロぐらい行って、全部で7時間ぐらいかかる。

ヴォロネツ修道院のフレスコ

ヴォロネツ修道院のフレスコ

私たちの運転手は優しい人だけど、最初に何も言わない。天気は最高で、皇帝日和と呼んでもいい。青空にはあちこちにふわふわした積雲が綿のように漂っていた。第一の修道院は綺麗だ。第二の修道院はましだ。そういうふうに、修道院の見学が続いていた。その上、景色も綺麗だ。全ての修道院には当然ながら観光客が多い。第4の修道院の後ろには緑の禿山がある。ずっと車に座ってたから、登るための好機だ。上から、尼の天国の眺めは素晴らしい。
アルボーレという私たちの巡回の最後の修道院の村には、膨大な煙の柱が立ちのぼってる。近づくと、村の全人が集まってきたと見た。その理由は修道院の隣に焼失していた農家だった。伝統的な木造の農家だから、消防車が早速届いても助からないだろう。アルボーレ修道院に入ると、優しそうな女の人が迎えに来た。彼女は「学生ですか?」と聞いて、否定すると彼女が瞬いて、「いや、絶対学生だろう」とニコニコしながら言って半額のチケットを出した。そして案内してあげた。しかし、彼女は英語もドイツ語もできず。その代わりに、必死にフランス語で喋った。フランス語はすごい久しぶりだから、悪戦苦闘した。しかしなんとなく言いたいことが通じた。彼女は率直な人で、この旅の一番優しい人かもしれない。
かなり疲れて空腹で午後4時過ぎスチャヴァに戻った。そのときまで、朝の軽食以外にも食べれなかった。六つの修道院じゃなくて五つの修道院で丁度いいかもしれない。途中の村なども素晴らしかったから、ずっと金縛りにあったように車の窓の外を見てた。お八つを食べた後、スチャヴァを見学した。古い要塞の廃墟以外には面白いところがあまりない。前日に訪問したイタリア料理のレストランは本当に気に入ったから、再びそこで夕食を食べちゃった。そしてゆっくりこの南ブコヴィナという地方を見るために自分の車または自転車がないということに悩んだ。

 

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ルーマニア | 五つの修道院 |スチャヴァ

第13日

スチャヴァ → ヴァトラ・ドルネイ
 

Suceava → Vatra Dornei

スチャヴァ城塞の廃墟

スチャヴァ城塞の廃墟

これからハンガリーへ行くから、段々西方へ進むはずだった。数日間が残ってるから、ゆっくりで行けた。スチャヴァから西へ行きたい場合には、一つのルートしかない。それはカルパチア山脈を越えるクルージ・ナポカ行き列車だ。ヤシへ行ったとき、同じルートにたどって東方へ行った。そのとき、雪が降ってた。スチャヴァの北駅へ行くのはやや難しい。乗り合いタクシーを止めて、運転手にその駅へ行くかどうかと聞いた。彼が「そうです」と言って、私たちをマイクロバスに招き入れた。しかし、途中で他の乗客が「北駅までは行かないよ!それは違う乗り合いタクシーだ」と言った。要するに運転手はただマイクロバスが満席になるということを求めた。しょうがないからできるだけ早く降りて、調べた列車に間に合うのに余儀なくタクシーを止めた。ぴったり駅に着いたけど、切符を買うときにその列車がないと言われた。まさか。次の列車は二時間後出発するから、駅で暇つぶしした。そのとき、優しい学生と知り合った。
列車はかなり混んでいて、予約した車室も私たちを入れて満席だった。他のルーマニアの乗客と少し話して、益々山地に入った。そして3時間後ヴァトラ・ドルネイという保養地に着いた。この町は思いがけぬ喜びだ。小町で、建物がだいたい綺麗だ。それに加えて、周りの山地のおかげで空気は新鮮だ。ペンションはすぐみつけたからゆっくり散歩できた。町を歩いたとき、私たちは唯一の観光客だと思った。この町にはレストランの値段も宿泊代なども他の町と比べて半額だ。ここに行ったのはいいアイディアだったかもしれない。

 

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ルーマニア | スチャヴァ |ヴァトラ・ドルネイ

第14日

ヴァトラ・ドルネイ → ヴィショウ・デ・スース → シゲット・マルマツィエイ
 

Vatra Dornei → Vişeu de Sus → Sighetu Marmaţiei

シゲットの綺麗な中心

シゲットの綺麗な中心

今日はメイン・ルートから離れてマイナーの道路をたどって北西へ山地を横断する予定だった。目的地はシゲットだが、そこまで一日間の間に行けるかどうかわからなかった。列車がないから、バスで行くことが必要だ。一日中一本しかないから、昼まで町をぶらぶらした。そしておんぼろバスに乗った。道路はずっと谷間をたどって、そこで綺麗な村が並んでいる。周りの山は森林に覆われて段々高くなった。もっと奥に進むと、森林と営林専用のトラックが多くなる。最後にジグザグ道は山を登ってるが、この古いバスは本当に上まで行けるかなと心配した。そうと考えながら高いプリスロプ峠に着いた。南方には、雪がまだ積もってる山脈が聳えてる。アルプスと同じだけど、ここは自然のままだ。
峠を越えた後、ゆっくり次の谷まで山を下がった。谷間には長い町 Borşa(ボルシャ)が広がって、そこには色々なホテルが並んでる。バス・ターミナルとバスにも「ボルシャ行き」が書いてあったから、ここは終点だと思って乗る前にボルシャまで払った。しかし、バスはボルシャに止まった後に運転を続いた。要するに目的地にもっと近づけるのは嬉しかった。それで結局 Vişeu de Sus(ヴィショウ・デ・スース)まで行った。しかし、バスはバス・ターミナルまで行かない。運転手に「バス・ターミナルはどこにありますか」と聞くと、「今日はもうバスがないから行く必要性がない」と言われた。なるほど。それでも承知の上でバス停を探して、確かに午後4時過ぎバスが全くないと分かった。しょうがないからゆっくり中心を歩いてカフェーに入ってみた。スタッフに本当にバスがもう来ないかと聞くと、「シゲット行きバスは5時ぐらいこの道路を通過するよ」といわれた。.
5時ごろ本当にバスが来た。中には、うるさい生徒たちがいる。生徒たちは私たちをみつけてひそひそ英語で話した。そしていつか私たちに英語で色々なことを聞いてみた。生徒たちのおかげで、時間が経つのは早かった。シゲットに近づくと、山がまた高くなってきて、その地方の木造の村は本当にますますきれいになる。それはマラムレシュというこの地方の特徴だと確認できた。
シゲットに着いたとき、もう夕暮れだった。宿泊所は少ないから、中央広場に面する大きいホテルに入った。ホテルの宴会場には大きいパーティがあった。部屋をもらった後にまずレストランを探したが、ピザやしか開いてなかった。その後、少しだけホテルのバーでリラックスして、部屋に戻ったのは12時で遅かった。旅の汚れを洗い落とすため、シャワーに入った。然し、シャンプーを使いながら水が段々少なくなって、一分後完全に終わった。あれ!?と思って、レセプションへ行った。「水がないですよ!」とスタッフに説明すると、相手は全く驚かなかった。その代わりに、「それはそうだよ!もう12時だから!」といわれた。毎日真夜中から朝5時まで水が出ないと後でわかった。「それは宿泊客に教えたほうがじゃに!?」と文句を言って、結局ただで大きい水のボトルをもらった。

 

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ルーマニア | ヴァトラ・ドルネイ |ヴィショウ・デ・スース | シゲット・マルマツィエイ

第15日

シゲット・マルマツィエイ → サツ・マーレ
 

Sighetu Marmaţiei → Satu Mare

ホテルからサツマレの中心の眺め

ホテルからサツマレの中心の眺め

そろそろこの旅は終わりに近づいてる。だからウクライナの国境からハンガリーの国境へ移動するはずだった。一番国境に近い町はサツ・マレと呼ばれて、その地名の響きはいいからずっと行ってみたかった。しかし、その名前の意味はただ”大きい村”だ。バスはまずウクライナの国境沿いに走って、そして大きい森林を通過して南西へ進む。山から出た後、新しそう小町に入った。そこには、作ったばかり華麗なビラが並んでる。この周辺は本当にブーム中だ。が、南ブコヴィナとマラムレシュ地方の伝統的な木造の村は見えなくなったのは残念だった。
午後中サツマレに着いた後、まず駅に行ってハンガリー行き列車の出発時間を調べたかった。地図によって、鉄道線がちゃんとあるけど、それでも列車がないとわかった。150キロ離れているデブレツェンというハンガリーの大都市へ行くのに、オラデア経由に行く方法しかない。しかし、それは5時間以上かかる。不思議なことに、バスも全くない。がっかりしながら中心に歩いたけど、町の唯一の安宿は満室だと気づいた。しょうがないからかなり高いホテルにチェックインするけど、そのホテルはやっぱりいいところだ。オーストリア人のおじいさんたちの組はレセプションを押しかけてスタッフはかわいそうだった。荷物を置いた後、町を観光した。面白いところもあるけど、一般的にいうとこの町は大した場所じゃない。ただ沢山のハンガリー人がいるというのは目立つ。

 

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ルーマニア | シゲット・マルマツィエイ |サツ・マーレ

第16日

サツ・マーレ → マーテーサルカ → デブレツェン
 

Satu Mare → Mátészalka → Debrecen

塔がなくなったデブレツェンの教会

塔がなくなったデブレツェンの教会

今日は東ハンガリーの大都市デブレツェンへ行くつもりだったが、バスも列車もないから違う方法で行かなければならない。国境は10キロしか離れていないし、メーター付きタクシーは安いからタクシーでペテアという通過点へ行った。250円ぐらいだけを払って、運転手は心から「Drum Bun」(良い旅行を!)と祈った。それは旅行中で何回も聞こえたフレーズだ。国境の手続きは早く済ませてあっという間にハンガリーを入国した。それは5回目かな。最後に後ろを振り返って地平線に見える山々を覗いた後に前に向けた。目の前には果てしないハンガリーのプスタという平野が広がっている。通過点のハンガリー側には、両替所も一軒の建物もなくてバス停などもない。ヒッチハイクしかないだろう。しかし、週末だから、車は少ない。30分ぐらい待った後、やっと優しいハンガリー人のおじさんが止まった。彼は約50キロ離れてる Mátészalka (マーテーサルカ)という一番近い町まで行くかと聞くと、彼は頷いた。残念ながら、私たちはハンガリー語が全く話せなくて、彼は外国語ができないから話にならない。窓の外を見るとびっくりした。全ての村はすごく綺麗で、ぼろぼろしてるところがいくら探しても見えない。それはルーマニアと違う。それはモルドヴァと逆だ。全ての村には電柱の上に巣窟を作ったコウノトリが少数の通過する車を無視する。
私たちを乗せてくれた人は「デブレツェン・・・」なんとかかんとかと言ったが、何も分からなかった。デブレツェンまで行ってるかな!?と思ったけど、それはやっぱり違った。却って、彼はマーテーサルカを通過してデブレツェン方面の町の出口まで行っちゃった。そして笑顔でさようならのようなことを言った。然し、私たちはデブレツェンまでヒッチハイクしたくなかった。実は、他の選択肢がなかったからヒッチハイクした。だから降りたところから駅へ行ったほうがいいと思った。あるハンガリー人に英語ができるかどうかと聞いてみたけど、彼はそれを否定して娘を呼んだ。娘も英語ができなかったけど、その代わりに流暢なドイツ語で「ドイツ語できますか」と聞いた。さすがハンガリーだ。続いて、駅までの道を説明した。かなり歩いた後にやっと駅を見つけたが、駅にも両替所も ATM もなかった。旅行をはじめたときからハンガリーのお金が少し残ってたのは本当に助かった。それで少なくとも切符と軽食を買えた。
各駅停車でデブレツェンまで行って、そこには週末だからツーリスト・インフォメーションが開いてないと気づいた。しょうがないから町の一番高級のホテルで他の宿泊所がないかどうかと尋ねた。それはホテルで慣例じゃない質問だったけど、スタッフは結局助けた。そのおかげですごくいいペンションをみつけた。町は本当に面白いといえないけど、清潔な町だ。伝統的なレストランで大盛りの夕食を食べた。ハンガリー料理だから本当においしかったけど、ルーマニアとモルドヴァと比べたら値段はかなりショックだ。

 

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ルーマニア |サツマーレ |ハンガリー | デブレツェン

第17日

デブレツェン → ブダペスト → ウィーン → ハレ
 

Debrecen → Budapest → Wien → Halle

旅行が始まったばかり気がするけど、もう終わりだ。もっと余裕があればもうウラル山脈に着いただろう。デブレツェンから急行でブダペストへ向けた。今までノソノソとしたバスと列車で進んだから、急行のスピードにびっくりした。2年前と15年前十分見回ったブダペストには3時間ぐらい暇があった。しかし、手荷物の一時預かり所の人は何もできない人だったから、ぎりぎりになっちゃった。だから急いで午後6時ベルリン行き夜行に乗った。車両は満席で、車掌は近い将来に列車を通過できなくなるほど太ってびっくりした。ウィーンで夕食を買った後、西へ進んだ。そして再び”夜行の現象”を体験した。10時になると、本当に全員が寝てる。それは私にとってとても不思議だ。スタンバイのボタンがあるのか。結局朝6時時刻通りハレに着いた。本当に短すぎた旅だった。
モルドヴァへ行くのは甲斐があった。が、その旅行は一体なぜほとんど誰もモルドヴァに行かないという謎を解いた。ロシア語またはルーマニア語ができないと行きづらい。他の旧ソ連の国々へ行ったことがなかったら難しい。その上、モルドヴァで知り合いまたは友達がいないと面白くないかも。それ以外は、モルドヴァはとてもいいところだ。
二番目のルーマニアの旅は私の意見を変わった。最初にルーマニアに行ったとき、ただブラショフとブカレストという大都市と観光地しか見えなくて、まあまあ面白かった。しかし、今回北ルーマニアを旅したとき、この国に惚れてきた。途中で知り合ったルーマニア人は皆すごく親切で、面白いところが非常に多い。何でルーマニアのイメージはヨーロッパの他国でそんなに悪いのかな。

 

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ハンガリー |デブレツェン |ブダペスト |ハレ

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