あきこ曰く

序文

い出してみよう、また旅を!今回の旅のルートはルーマニア・ブルガリア・マケドニア・セルビア・そしてチェコ。時間が2週間と限られている為一つの国に対して二つの都市を横断する忙しい旅ではあったが、今も色褪せない思い出達として私の頭の中では現役♪今回もウクライナ旅行記『あきこ曰く』と同様、私の辿った足跡がナスカの地上絵のように年々薄くならないように残しておきたいなっていう魂胆です。

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 ウクライナ:あきこ曰く

ルーマニア

吸血鬼さんと言えばブラショフ

ーマニアでの天気は最悪。ずっと雨が降り続け、見る物全ての題名が『雨と〜』という風な感じになってしまった。ルーマニアで訪れた国はブラショフとブカレスト。ドイツのハレ駅からドレスデン、ドレスデンからチェコへ。チェコで乗換えをしてルーマニアのブラショフ
までおよそ20時間で着く。ブラショフに着いた時にはもう日は暮れており、駅で待ち構えていた人はブラショフの名物おじさんとおばさん。地球の歩き方にさえ写真付きで載っている二人組みのお名前はグレッグとマリア。彼らは二人で宿を経営しており、駅で毎日ターゲットを見つける。そのターゲットとして私たちも声を掛けられたというわけだ。最初、グレッグに捕まり、そしてマリアが説得に登場。日本人客が多いのだろう、日本語の営業トークは完璧。そう、部屋の値段・場所もお手ごろということでマリアとグレッグのドイツ人・日本人の捕獲作戦は成功したのだ。お部屋はアパートの一部屋を共同で使うというシステム。私たちの他にも2組の旅行者が来ていたが、とても清潔で居心地のよい部屋であった。次の日、雨の中私達はブラショフの観光に出た。
ルーマニアはドラキュラさんのゆかりの地でもあるのは日本でも有名。もともとドラキュラさんのイメージモデルとなったのは、以前敵対国であったトルコ人や裏切り者に対して異常なまでの残虐さを持つウラド・ツェッぺス氏(呼びにくい!)。彼は国外の敵に串刺しの処刑を行った事で有名であり、あだ名が『串刺し公』。人間を焼き鳥と勘違いした悪い人が、ドラキュラのモデルさんだとは知らなかったのだが、とりあえず『吸血鬼・ドラキュラ』の居城のモデルとなったお城へ行ったのだ。もうちょっとドラキュラ・ドラキュラしているお城かと思ったら、そんなことは無く案外外観もかわいらしく、質素で、ドラキュラさんの居城と言われなかったらあまり人は来ないだろう所だった。下にはお土産屋が並んでいたのにこれといってお土産らしき物は見当たらず、ドラキュラのプリントのTシャツとか売ればもうちょっと儲かりそうなものなのに、と思った私でした。(欲しかったのに)それよりも、あまりガイドブックには載っていないのだが、次に行ったお城は中世期のままの形がそのまま残ってあり結構面白い!
結構山の上にあるこのお城にはウラド氏が行った残虐な刑罰の絵を飾って、どの絵もよくこんな酷い刑罰を思いつくなぁ・・というものばかり。犬と人を違う棒につるして人は動けないように、そして犬は動けるようにする絵は・・今想像しても怖い。その他町を観光するも雨が降りつづけウラド氏の暗いイメージとこの天気の暗さでより一層暗いイメージになってしまったブラショフ。町の中心スファトゥルイ広場を抱くトゥパン山はお天気がよければ是非登ってみたい山だったのに、ホント残念でした。

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 ルーマニア | ブラショフ | ブラン城 | ラシュノフ

ブカレスト

カレストでもやはり雨は続いた。ブカレストはルーマニアの首都である。この町の第一印象はとにかく建物がでかく、町全体が混沌としていること。『あ・・ちょっと苦手』だな、と感じたが、歴史的背景をよく表している町であると言うのはよく分かった。この町の見所の一つが『国民の館』。故チャウシェスク大統領さんの私欲を満たす為だけに作られた、ただただでかいとしかか言えない宮殿。世界で2番目に大きいって!この宮殿にかける費用分、国民は酷い飢えには苦しんでいたとこは言うまでもない。(どこかの国に似ているね)ただこの宮殿、完成する前に故チャウシェスク大統領は失墜し国を追われる事になる。相当悔しかっただろうなぁ、彼。今も↑で歯をむく顔で↓を見ていることだろうと思います。ここではガイドさんが付いて案内をしてくれるのだが、故チャウシェクス大統領やこの宮殿の裏話を含めて、面白・おかしく説明してくれる。(私のガイドはマティアスで、一人笑うテンポがずれていたけど)。歴史的に因縁のあるこの宮殿観光もお陰で和やかムード。終いにゃ、観光客の一人がオペラを歌い出す始末。そう、この宮殿は今もなお完成しておらず、国民の負担を掛けないようにゆっくりと時間を掛けて作られているそうだ。

国民の館を起点として真っ直ぐと続く大通り、大通りの両側にはずっしり同じぐらいの高さの大きな建物が並ぶ。こんな光景を見ながら、いつかこのなんちゃって国民の館が本当の意味での国民の館になることを願うのです。この町、色々と見所は多いもののとにかく大きな物が目に付いてちょっと静かなところに抜け出したくなる感じがする。ただ、共産主義時代の名残を今もなお見る事が出来るのはとてもいい体験になるだろう。まだ2つの都市しか訪れてはいないが、ルーマニアで出会う人々はとても優しくて皆親切だった。
この国から本当ならお隣モルドヴァに行くはずであったのだが、日本人だけはビザが下りないとのことで、急遽予定変更しマケドニア方面へ向かうことに。ちょっと残念だったけど国は逃げないし・・いつかね。

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 ルーマニア | ブカレスト | 

ブルガリアへ

ルセまでの汗と涙の道のり

回の旅行で思い出のメインにもなりつつあるルーマニアからブルガリアの国境までの徒歩。地図無く、ひたすら太陽に向かって歩いたことは個人的に残しておきたい。私たちはルーマニアで4日間過ごして、次目指す国マケドニアに向かう為ブルガリアを通過していく事に決めていた。この時私たちはまずルーマニアとブルガリアの国境、ルセに行こうと朝早くから列車に乗り込んだのだ。しかし、その列車が一本で国境までに行く事は無く途中である駅で降りて乗り継ぎをしなくてはならなかった。このとき、

    『乗り継ぎの列車は絶対すぐにあるだろう』

と鷹を括っていた私達は清々しい気持ちでその列車を降り、時刻表を見に行った。すると、あり?あと3時間は次の列車が来ないらしい。

    『フム・・何も無いね〜。どうしようね〜』

などと私はあまりそのことに対して重要視していなかったのだが、マティアスは真剣にこの何も無い町で3時間過ごす事が嫌そうだというのが分かった。とりあえず私は電車に乗っている間中トイレのことばかり考えていたのでトイレを探すことにして、マティアスは駅の前にある一体何が売っているのかよく分からないカフェでコーヒーを飲んでいると話した。トイレを探したのはもちろんこのカフェにトイレが無いから。駅構内をウロウロして探していたがなかなか見つからないので、駅の人らしいおじいさんに尋ねることした。

    『トイレッテ↑』

と単語を上にあげて読むだけで通じるからありがたい。そうするとおじいさんはまるで ET のような手つきであっちだよと指を指す。トイレは駅の構内ではなく外にあった。しかし私がそこに行こうとした時に大きな野犬が3匹
『よそ者だぁ!』

と吠え出した。

    『ぎゃぁぁぁあ!助けて!!』

と叫ぶもあのおじいさんはもういないし、結局私は逃げ出した。尿意に堪えながら、トボトボと私的にカフェと認めないカフェに戻ってマティアスに後で一緒に来てもらう事にした。味のなんとも言えない珈琲を飲み干したところマティアスがウエィトレスのオバサンに

    『ここから国境までどれ位あるのかな?』

と聞いた。

    『でた・・・』

と思ったが黙っていると、オバサンは一緒にいたお客さんに

    『どうだろう?』

と聞いた。お客のおじさん達は私たちのことを最初入ってきた時から時好奇心旺盛に見ていたので、自分たちに話しが振られたことでかなり嬉しそうに、しかも得意気に

    『3キロぐらいだよ!』

って教えてくれた。

    『Oh!3キロだったら許容範囲』

と思い、

    『歩こうよ!』

と自分から切り出してしまった。マティアスも

    『うん、歩こうよ!ここにいても意味無いもんね〜』

と張り切っていた。あの時・・あのおじさんから3キロと聞いたとき、私たち・・えっ?私だけ?・・そう私は輝いていたね。嬉しかったね。とりあえず私たちは大きな犬が3匹待つトイレに向かった。

    『あぁ〜怖いよ・・・』

とトイレに向かったのだが、あれ???小さい犬が3匹。しかも大きな欠伸をしながら寝ているよ。

    『オイオイ吼えろよ』

いや・・もっと大きかったのよ・・あり?こんな子犬怖がるなんて不覚にもか弱い女の子ジャン。しかも犬がいるところを通り抜けると、スナックなどを売っている売店があり、一人だと思いあんな大きな声(日本語)を出して叫んだ私って。だけど本当にこの国は野良犬がワンサカいるのです。まぁとりあえず、トイレも行けて一安心。改めましてぇ3キロ先の国境に向かって出発進行なり!地図は無かったのだが、マティアス曰く

    『とりあえずこの線路沿いを歩けばいいんだよ』

とのこと。

    『青春だね〜』

と最初はそれでよかったのだが・・30分・1時間・・一向に国境らしき場所は見つからない。線路はいつまでも続く・・そしてやっと次の駅についた。無人島駅に一人のオバサンあり。で、国境の場所を確認。ルーマニア語だから、マティアスも分からないし・・当たり前私も分かるはずが無い。で、オバサンの指指す方向をまた歩き出す。アヒル君たちのお買い物、黒い大きな牛を散歩させる一人の青年、線路の上を足早に歩くおばさん、こんな風景を見ると

    『本当に3キロか?』

私のダウトが始まる。何時間歩いただろう・・だんだん人々の活気溢れる町に着いた。この時点で3キロなんて当たり前過ぎており、私はあの時のおじさんを少し恨んでいたのは言うまでもない。美味しそうな匂いがしてきて・・彼が

    『そろそろどこかで休憩しようか』

と言ってくれた。私はその時かなりお腹が空いていた為、

    『いいね!』

と答えたが、彼はいいお店を探しているのだろう、レストランを素通りし歩きつづける。で、何故か一番食べ物がありそうな市場は通りすぎ、再び人がチラホラとしかいないようなところへ行き、

    『店ないね〜』

などと言っている。私は彼の背中を見ながら

    『ここら辺にあるわけな〜い!さっきの所が中心だぁ』

と少しずつ不機嫌になっていくのが分かったがもう後戻りも出来ないので後少しの我慢だと思って歩き始めた。しかぁし!・・ここからが長い・・人間は一体時速何キロで歩くのか?とマティアスに質問をした。小学校の時ならった算数の『みはじ』の公式が私の空っぽの頭に浮かんだ。はやさ×じかんは・・そうそう・・みちのり。ぎゃッ!もう7キロ歩いてる?真っ直ぐの道を歩く・歩く・歩く。で、また町が見えてきた。そこで、警察っぽい人に

    『国境まであと何キロ?』

と聞くと最初彼は

    『7000メートル』

といったので、

    『もうだめ・・私』

という顔をすると・・

    『OH!700メートルね!』

と訂正。

    『今の私に冗談は通じないぞ!』

と本気で思ったが、これまた何キロ歩いても見当たらない。結論・・ルーマニア人は距離を分かってない!!!適当に答えるんじゃな〜い!明らかに700メートルではなく、最初の7キロの方が距離的に正解に近かったのじゃないの?!やっと・・やっと本当に国境に到着。ルーマニア国境のおじさんたちは私達が徒歩で来た事をかなりビビっていた。そりゃビビルよね・・私もルーマニア人の距離感覚にビビルよ。

その後、国境からヨーロッパで一番長いといわれる鉄筋の橋(2.8キロ?)を渡った。もうここまで来たらしゃべる事も出来ない。今考えるとあの橋を徒歩で渡ったことはもっと感動するべきことだったが、あの時の私は疲れ果てており・・何も考える事が出来なかった。計14キロを私たちは重い荷物を持って休憩無しで歩いたことになる。3キロが14キロって何なんだ。やっと巡り合うことができたブルガリアのルセは・・本当に綺麗な町だった。ドナウ川に沈む夕日を見ながら、私達はやっとゆっくりとしたひと時を過ごす事ができた。足には水マメが酷く暫く纏足を穿いた女性のような歩き方だったが、うん、そんなことも少しは忘れさせてくれそうな景色だった。ブルガリア人は夜になるほど外に活発に動き初めて、昼間よりも公園には子連れの親子がいたり、カップルがいたりと本当に賑やかで、この皆のパワーは私をワクワクさせた。

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マケドニア

スコピエ

カデミアのスコーピオンと何度嘘を教え込まれそうになったことか。危ない、危ない。そう、この国に着いたのはお昼頃。貧富の差が激しそうな感じのするこの町、マケドニアの首都である。オスマン朝時代に作られた石橋を渡り、中心街に向かう事になる。全体的にトルコの雰囲気を想わせるこの町は1963年に大地震が起き建物の70%が破壊されたそうだ。
旧スコピエ駅(今は博物館)の時計は地震の起きた時間のまま時が止まっており、災害の恐ろしさを物語っている。そして、なぜかここで日本人の名前を聞くことになるのだが、都庁の建設を手掛けた丹下健三氏がこの国の中央駅をデザインしたそうなのだ。なぜ彼がこの国の中央駅の建設に携わったかは不明だが、日本人が世界で活躍してくれるのは嬉しいことだよね!ただ、『地球の歩き方』にそれについての情報は全く載っておらず、『Lonely Planet』 に載っているから不思議。もうちょっと日本人が日本人の活躍を自慢してもいいのじゃないだろうか?!知らなかったらただの駅になっちゃうじゃん!(おっと・・いけね)

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 マケドニア | スコピエ

オフリド

フリドは個人的にかなり気に入った町となった。スコピエからバスで数時間、オフリドに着く。オフリドについた途端プライベートルーム勧誘のおじ様方に捕まり、その内の一人の家に泊まる事なった。閑静な住宅街に住んでいて、お部屋も素敵。休憩する間も無くすぐに私達は観光をしに出かけた。オフリド湖面した町並みは本当に美しく、町全体が湖に守られている印象を受けた。オフリドはスラブ世界におけるキリスト教の文化の中心地として栄えた為、旧市街では教会が至るところにある。オフリド湖に沈む夕日と教会、また城壁から見たこの町の眺望は素晴らしく、夏は泳ぐ事もできるから観光客でいっぱいになってしまうだろう。私たちが訪れた時期は私のOKを出せるギリギリの人間量だった為、静かな旧市街をゆっくりと散歩する事が出来た。
次の日私達は朝からバスでオフリドの町からアルバニア国境近くに位置する聖ナウム教会へエクスカーションをした。この教会を観光した後は、そのままスコピエに戻りセルビアのベオグラードに向かう予定であった。朝からバスに乗り込み、バックパッカーが私たちを含めて3組。あとは地元組みであった。地元組みはある場所で一気に降りて行ったのだが、バックパッカー組みが一組も降りなかったので、私達は地元組みが降りた場所がまさか私たちの目的地だとは思わなかった。地元組が降りた場所から、グルグル坂を登りつづけて15分ほど・・バスの運転手がここだよ!降りなさい!と言った。オイオイ・・どう見てもここはなんか違うぞ。
バックパッカー二人組みは当たり前のように普通に降りて手続きをしようとしていた。げっ!アルバニアの国境来ちゃった?!こわっ!違う・違う!・・ここじゃないよね・・とモタモタする内にいつの間にか運転手のおじちゃんいなくなっちゃった。ふとマティアスを見てみると、アルバニアにいきた〜いという郷愁の顔。ちょい、お兄さんバスの運ちゃん行っちゃったよ。もしかして、また歩く?そう、手前のバス停が私たちの目指す場所。来た道をまたとことことことことこ歩き、聖ナウムへ。朝から歩かなくてもいいところで歩くのはもう得意分野よね。聖ナウム寺院の内部はフレスコ画が保存されていた。もうかなり薄くなっていた為ちょっと見えにくかったが、時の長さが作り出すそれ特有の美しさが私たちを感動させた。外に出てオフリド湖を眺めていると、先ほど訪れたアルバニアの国境が遠くの方に見えた。あぁ、あんな遠くから歩いてきたのね・・と考えていると、マティアスはまた『行きたかったなぁ』と言っている。本当に行きたそう・・Humm・・またいつか機会はあるさ!

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 マケドニア | オフリド

セルビア

ベオグラード

年前にNATOの空爆を受けたこのベオグラード。事の発端は10年間以上もの間、民族浄化の名のもとに好き放題独裁政治を行っていたミロセビッチさん。彼の独裁政治に懲り懲りしたコソボ自治州に住むアルバニア系住民が独立宣言をしたところ、逆切れしたミロセビッチさんは軍隊や警察を動員してアルバニア住民を徹底弾圧。その弾圧を中止させる為に欧州諸国が粘りつよ〜い交渉を重ね、彼をなだめてきたけれど・・ミロセビッチさんは馬の耳に念仏状態。そしてそれにそれまた逆切れしたNATOがとうとう最終手段である空爆を決意したのだ。4年後の今も人々の印象は暗いものと勝手に想像していた私は、町の明るい雰囲気にびっくり!ここは何処?というぐらい皆元気で、普通の生活が取り戻されていたのだ。
日本が提供したのだろう、日本の国旗とセルビアの国旗が描かれた綺麗な市電も存在アピールしながら動いていた。だけど日本ではあの時期、かなりNATOに対して批判の声が多かったなぁ。実際私も軍事的な事に対してはかなり無知でなんとも言う事ができないのだが、もうすぐ21世紀!だぁ、という中ユーゴでは独裁者であるミロセビッチさんが『ユーゴという国はセルビア人だけで固めるのだぁ〜』なんて冗談みたいな事言い、ユーゴの国を離れたがらないセルビア人以外の民族には無差別虐殺を繰り返していたのだから恐ろしい。そんなちょっと頭のおかしな人にはどんな話をしても無駄だったんだろうね・・もし話の分かる人ならそんなことまずしない。こういう独裁者を国の長に持つ国民ほど不幸なことは無いなとしみじみ実感。そして、こういう独裁者がいる国の隣国というのも相当大変だ。私たちのお隣さんの国も確か・・こういう類の人物が長よね?!他人事ではないのよ、実は。

そう、ベオグラードの町並みは全体的にとても綺麗だったが、歴史的な建物などはあまり無かった。ただカレメグダン公園というサヴァ川とドナウ川の合流する丘の上の公園はなかなか面白いの。だが、この付近を散歩していると子供に『バンバンバンバンぁ〜ん』と銃を突きつけられた。この国では偽物でもあまり銃を向けられたくないなぁと微妙な気分。また、今もなお1999年にNATOの空爆によって被害を受けた政府のビルはまだそのままほったらかし状態。政府系のビルが立ち並ぶこの通りの名前はクネズ・ミロシャ通り。ここら辺は銃を持った警察が何人かいて周りを見張っていた。それなのに、マティアスはさっとカメラを取って、すかさずシャッターを切り、何も無かったかのように歩きだした。絶対ここ撮影禁止だよと思われるところでもちゃんと写真を撮る彼に脱帽。
そんなこんなで4年前の報道と現在のベオグラードのギャップは、私にとっても嬉しいギャップであった。ただ、確かめることはできなかったけど人々の笑顔の裏側にはやはり4年の年月では足りない傷が残っているはずで、それを思うと歴史って切なく儚いなと考えてしまうのです。

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ノビサド

ルビア最終地点、ノビサド。この町でホテルを探す事がかなり大変だった事を思い出す。全部のホテルがとても高かった。まず私達はインフォメーションに行き安いホテルを探したが、なかなか見つけることができない。結局今回はちょっと奮発して町の中心にあるホテルに泊まることになった。この町はベオグラードから列車でそれほど時間が掛からなかった為、高いホテルに泊まると決意をした後はゆっくりと一日を過ごすことができた。
町の雰囲気はとてもよく綺麗で、アイスクリーム片手にショッピングをする人とよくすれ違った。ただやはり皆、外国人(特にアジア人)はまだあまり見た事が無いのだろう、かなりチロリチロリと見られたが今後は旅行者も増え外国人も珍しくない国になるだろうことはなんとなく町の雰囲気から感じ取れた。日差しが強い昼間はあまり入ることの無い博物館に入り、そしてその後は町を散歩した。衣類や靴の値段を見たが、普通にドイツでも目にする値段だった。日差しが大分弱まってからは、ペトロワラディン要塞へ出向いた。ここは他の国でいうデートスポットにあたるのだろう、この町の眺望を見渡す事のできる場所ではカップル軍団が横一列にベンチ座って愛を語らっていた(喧嘩気味の人もいた・・あっ・・下世話ですね)。
確かにノビサドを一望できるこの場所はなかなかのもの。この要塞へ来る途中にNATOによって破壊された橋が今もまだ完全復興できないまま残っていた。高速道路の橋なんて途中で綺麗に切れていて、橋の役割がなってない。だけど明らかにこの町も復興に向けて進んでいた。夜遅くまで町は元気いっぱい起きていて、私たちも町の時間の調子に合わせて遅くまで暴飲暴食。うん、思った以上にこのこの町面白かったよ!
ノビサドから次私達はハンガリーそしてチェコに一泊ずつしてドイツのハレに戻る事になるのだが今回の『あきこ曰く』長くなっちゃったのでそろそろお開き。次回の旅は一体どこへ行くんだろう・・・残念無念のモルドヴァに行きたいな。

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