沿ドニエストル共和国:チラスポリ

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一般的な情報 地名

ロシア語で Тирасполь(Tiraspol’、ティラスポル)。それにも拘らず日本語での通称はチラスポリだ。ウクライナ語でТираспiль(Tyraspil’、トゥィラスピル)、モルドヴァ語でただТираспол (Tiraspol)という書き方。「Tiras」はドニエストル川のギリシア語の旧名で、「-pol」はギリシア語の「-polis」に由来して「町」という意味。チラスポリは18世紀に作られた町でギリシアと関係がないので、何でギリシア語の地名が選ばれたのは不思議だ。

位置

チラスポリはДнестр(ドニエストル)の東岸にある。ドニエストル川はその周辺で屈曲して町の南方で中心を接する。モルドヴァ共和国の首都Chişinău(キシナウ・キシニョフ)は西へ65キロ、ウクライナの港の町オデッサは南東へ100キロぐらい離れている。北と東にあるウクライナとの国境は10キロ以下離れている。

人口

約185,000人。チラスポリは未承認の沿ドニエストル共和国の第一の都市なので、首都に定められた。モルドヴァ共和国では、チラスポリは二番目に大きい町だ。

町の姿

共産主義者の町名が多い

他の旧ソ連の町の大部分には、1990年代の革命の後に古い町名が変更されたという現象がある。それはソ連に限らず、全ての社会主義的な国であった。しかし、例外もある。チラスポリには、共産主義通りやソビエト通り、平和通りなどの町名はソ連のままだ(注釈:社会主義時代には、どこにも「平和通」があったが、不思議なことにその町名はよく改称され、ドイツ人などにとってその町名はやや社会主義臭いといえる)。チラスポリの小さい駅は中心から少し離れてул. Ленина (レーニン通り)の終点にある。全てのチラスポリ行きバスは駅前に止まる。構内には両替所があるが、レートは中心のより悪い。レーニン通りをたどって行くと、すぐ大きくてきれいなпарк им. Кирова (キロフ公園)がある。他のソ連の町と同じく、チラスポリは碁盤模様で計画され、わかりやすい町だ。レーニン通りは直接ул. 25 окт. (10月25日通り)に通じる。この広い大通りは町のメイン・ロードで、全ての博物館や諸官庁、その他の名所などが並んでいる。中心には、10月25日通りの両側にпл. Конституции (憲法広場)が広がっている。そこには、ぼろぼろしている文化の宮殿やスヴォロヴォ記念碑などがある。

そこから南に行くと、すぐドネストル川と小さい橋がある。西方には、大統領の所在地と沿ドニエストル共和国の最高ソビエトの建物がある。メインロードをもっと西方へ辿ると、長い郊外に入る。そこには、緑が多くて住みやすそうな住宅地が広がっている。チラスポリには、古い建物があまりないが、その代わりに記念碑や公園などが多い。市街はかなり清潔で、交通は非常に少ない。

 

ティラスポルの駅と駅前の広場

往路

チラスポリまでは簡単に列車とバスでモルドヴァの首都の Chişinău(キシナウ・キシニョフ)から行ける。東方の隣国のウクライナからも行けるが、国境を通過することは旅行者にとって問題になる可能性が高い。モルドヴァの南方のComrat(コムラト)や北方のBălţi(ベリツィ)などの町までも直接のバスがある。詳細な情報は沿ドニエストル共和国の往路を参照。10月25日通り沿いにはトロリーバスが走っている。1号線と19号線は西岸のБендеры (ベンデルィ)まで行く。運賃は0.7Р(10円)で、バスの中で払うべき。そのバスに乗ると、途中で右側にモダンなシェリフのスタジアムが見える。

見所

1787〜1791年の露土戦争の結果としてはロシア帝国が黒海の北方にあるクリミア半島やベッサラビアの一部などを得た。新地を開拓するため、А.В. Суворов(スヴォロヴォ)というロシアの将帥は1792年に現チラスポリで要塞を建築する命令を出した。ちなみにスヴォロヴォは沿ドニエストル共和国の国民英雄で、お札や切手などには彼の肖像が出ている。要塞の周辺はすぐ町になったが、チラスポリは巨大なロシア帝国の堺にあり、侵略的な場所を占めていたので戦争に遭うことが多かった。1918年に、チラスポリはルーマニアに侵略されたが、二年後またロシアの領地になった。1924〜1940年まで、チラスポリはМАССР(MASSR、参照:沿ドニエストル共和国の歴史)の首都になった。1941〜1944年までチラスポリはナチス・ドイツの軍隊に占領された。1989年以来、この町はドニエストル東岸地方の独立運動の中心になり、戦後に未承認の沿ドニエストル共和国の首都になった。1992年の内戦のとき、チラスポリには市街戦がなかった。

 

10月25日通りというメイン・ロード

 

チラスポリのメイン・ロードは長くて、様々な店が並んでいる。人も車も少ないが、道路とその周辺は清潔だ。この雰囲気は中々珍しくて、私は北朝鮮の市街を想像するとおりだ。他のソ連の町と同じく、スペースが広くて緑地が多い。膨大なモニュメントはアフガニスタンの戦争や1992年の戦争の犠牲者を記念する。その内、他の町にもある「匿名の軍人の墓」や「永遠の炎」などがある。大きなポスターはいる場所を思い出させる:ここは栄光に満ちたプリドニエストリア・モルドヴァ共和国だ!万歳!ちなみに普通の生産品の宣伝もたまに見える。

 

スヴォロヴォの記念碑と大統領の所在地

 

中心にある憲法広場に向き合っているところには大統領の所在地が立っている。その辺には栄光に満ちた沿ドニエストル共和国の本当の顔がみえる:大統領のオフィスの視界の中にあるスヴォロヴォという町の創立者の騎馬像の前に、お年寄りは財産をすっかり叩いてしまい、所帯の最後のものを数コペイエクで売る。これは殺風景な眺めだ。