アルメニアについて

アルメニアの国旗
ハヤスタン―アルメニアの本名
ハ ヤ ス タ ン
アルメニア共和国
国土面積
人口
首都
宗教
世界に於ける地位(国民総生産)
約3万 km²
約380万人
エレバン(イェレヴァン)
多数はクリスト教(アルメニア使徒的教会)
129. (1993年の統計)

政治

エレバンにある大量殺戮の記念碑

昔のアルメニアはアレクサンドロス大王が作ったマケドニア帝国の一部であったが、その大国が滅亡した後、アルメニアは前1世紀から段々段々強大な国家になりユーフラテス川からカスピ海までの領域を占めた。だが、そのアルメニア帝国はすぐローマ帝国に征服された。紀元301年にはアルメニアという国家は世界で始めての国としてクリスト教を国教にした。次の数世紀にはアルメニアは交互にペルジアやオスマン帝国、十字軍、マムルーク王朝、モンゴルなどに侵略された。1828年から、アルメニアは結局ペルジアから離れてロシア帝国に服属した。

アルメニアについて読むと、「大アルメニア国」という名前がよく出てくる。昔のアルメニアは現在のトルコの大きな部分を占めた。だが、19世紀のトルコとロシアの間の戦争には、アルメニアはロシアのほうを援助して、トルコ人は復讐として19世紀の終わりに大規模にアルメニア人を殺されたので、沢山のアルメニア人はオスマン帝国から逃げることになった。しかし、約250万人のアルメニア人はトルコの領域に残った。第一次世界大戦のとき、トルコではケマル・アタテュルク(参照→トルコ)の〔青年トルコ〕運動が強くなり、アルメニアと同じようにクリスト教のロシア帝国との問題を避けるため、トルコにあるアルメニアの少数民族を完全に消滅することにした。他方には、ロシア帝国はアルメニアの独立運動を怒れたので、トルコでひどい目に遭うアルメニア人達を応援しなかった。要するに、1915年頃トルコの軍隊は特にアナトリアに住んでいるアルメニア人達を集めてシリアの砂漠に送った。そのとき、凡そ150万人のアルメニア人は集落でまたは途中で殺されたまたは砂漠で水不足と飢餓で死んだ。逃げることが出来たアルメニア人はそれぞれ遠方に行った。ユダヤ人と同じく世界中にはどこにもアルメニアの少数派がある。エルサレムの旧市街の四つの市区の一つは、アルメニアの市区で、その悲しい歴史についての展覧会がある。一番大きなアルメニアの少数派はアメリカとカナダにある。当然ながら、その20世紀の始めての大量殺戮のせいで、アルメニアはトルコと大変に緊張した関係にある。しかも、トルクはその殺戮を白状していない。

最も近代的な紛争はナゴルノ・カラバフ戦争であった。隣国のムスリム教のアゼルバイジャンにあるナゴルノ・カラバフには、クリスト教のアルメニア人は多数で、旧ソ連時代からアルメニアとの統一を要求した。ソビエト連邦の滅亡に従って、他の旧ソ連の共和国と同じくナゴルノ・カラバフにも戦争が勃発した。その戦争はまずナゴルノ・カラバフの内戦であったが、アルメニア対アゼルバイジャンの戦争になった。戦争に勝ったのはアルメニアで、1993年にアゼルバイジャンと休戦協定を結んだ。だが、戦争のときにはナゴルノ・カラバフの人々はだいたい非難して戻らないらしい。賢明なことに、アルメニアはアゼルバイジャンの中にあるナゴルノカラバフという高原ばかりではなくて、アルメニアとの間の狭い地域も侵略した。だが、ナゴルノ・カラバフは正式にアルメニアの一部ではなくて、独立の国である。そのため、ナゴルノ・カラバフへ行きたい人は特別なビザが必要だ。ビザはエレバンにある領事館だけで申請することが出来るものだ。だが、ナゴルノ・カラバフの自由の値段は高かった。アゼルバイジャンとそれを援助したトルコはアルメニアへのガス・電力・商品・などの供給を遮断したので、特に1991と1992年の冬はアルメニア人にとってきつかった。暖房などがなかったので、沢山の森林は薪になって、首都の住民さえが飢えた。旧ソ連時代の比較的に裕福なアルメニアの経済は完全に破滅した。アゼルバイジャンとトルコという大切な隣国の通商停止はまだ続いて経済成長を大きく妨害する。今では、アルメニアの経済は目覚しい発展を遂げているが、老人は国家から1ヶ月に500円しかもらわないので貧乏な人が非常に多い。それと共に、市街や列車の中などで歌う老人などの物乞いする人が多い。

私はアルメニアにいたときにアルメニア人とその戦争について議論したが。そのアルメニア人はその戦争は民族解放のための戦争であったので正当なことだとはっきり言った。私は他の人と喋ったときにも、アルメニアには愛国心がとても強いと気づいた。休戦が続いても紛争が完全に終了したと言えない。アゼルバイジャンとトルコとの関係はあとまで被害を受けた。そのため、国境はずっと閉鎖されている。
アルメニアの内政はまだ中々不安である。それは1999の11月に起こった事件がそれを明白にした。そのとき、数人の武装した人は国会に闖入して大統領とその人の広報担当者、そして様々な代議士を射殺した。その事件の動機は不明だ。

言語

アルメニアは、ヨーロッパの言語の多数と同じく、印欧語族の一つである。だが、アルメニアは数百年ペルジアの領域であったので、ペルジア語とファルズィというイラン語から沢山の外来語が入ってきた。例を挙げると、アルメニアはアルメニア語で「ハヤスタン」と称され、「〜スタン」というのはペルジア語で「国」という意味を持つことから中央アジアの諸国はアフガニスタン、パキスタン、キルギスタンなどと呼ばれている。アルメニアは5世紀から自分のアルファベットがあり、全部で38字がある。しかも大文字と小文字の区別もあり、小文字と大文字の形は色々な場合に全然違う。このページの上に書いてある文字の読み方は「ハヤスタン」で、それを見るとアルメニアの文字は簡単そうだろう。「はい」というのはアルメニア語で「アイヨー」で、中々面白い言葉だと思った。

アルメニアは旧ソ連の共和国であったので、ロシア語はどこでも通じる。年をとった人はほとんど完璧にロシア語で
話せる。若者もだいたいロシア語で話せる。英語で話せる若い人もいるが、分かりにくい英語だと思った。

自然・気候

アルメニアは無数の山と高原の国である。国土面積の10分の1だけは標高は1,000メートル以下だ。一番低い部分は
エレバンの周辺の盆地で、一番高い山は4,090メートルの標高のアラガツ山だ。エレバンから、ほとんど毎日トルコ側にある5,000メートルの高さを超えるアララト山と隣にある小アララト山という4,000メートルの円錐形がとても綺麗な火山が見える。国の中には、ゼワン湖という湖だ。水面は約1000 km²で、標高は1,900メートルで、世界中の一番高い場所にある大きな湖の一つだ。だが、ゼワン湖から取られている水量は多すぎて水位が心配されるほど下がってしまうという環境問題がある。特にアルメニアの北西は断層の上にあるので、偶に強い地震が起こる。1988年には非常に強い地震はグュムリ市(旧レニナカン)とスピタクという町を崩壊した。震度は6.9度になり、約2万5千人が亡くなった。特にスピタクは完全に壊れたが、その町は同じところに再建されている。

アルメニアの高水量はグルジアより少なくて、旱魃はアルメニアで真面目な問題だ。エレバンさえには水は配給制だ。
そのため、沢山の人は住まいの中で水を溜めるための設備を使う。エレバンの周辺では、夏は暑くてほとんど毎日短い雷があるところが多い。冬には気温はよくマイナスになる。当然なことに、山地出の気温はそれより低くて、ゼワン湖のほうは夏にも涼しくて快適だ。

旅行の情報

アルメニアのビザ

アルメニアへ行く人はビザが要る。日本、トルコとアゼルバイジャンには大使館または領事館がない。陸路入国の場合は、ビザを入国する前に申請したほうが良い。噂によって、陸路入国する場合には国境でビザがもらえるが、私はグルジアでエレバン行きのバスに乗った前、ビザがあるかどうかと聞かれた。それに加えて、ビザがないと乗れないと言われたので、国境でビザがもらえるということは信頼性のない情報らしい。トビリシというグルジアの首都には大使館があるけれども、体験者によってそこにビザを取るのは1週間以上かかる。他の可能性は、パスポートを違う国にある大使館へ書留で送ると言うことだ(参照:グルジアの旅行の情報)。観光客にとって、21日間の有効期間のあるツーリスト・ビザがある。そのビザを申請するためには招待状は不要だ。料金は65ユーロで、書留で申し込むと約2週間かかる。上述のように、アゼルバイジャンとトルコの国境は不通だ。そのため、陸路入国はイランとグルジアからだけ可能だ。ナゴルノ・カラバフへ入るのはバスで出来ることだが、特別なビザは必要だ。グルジアとアルメニアの間の国境を超えるのは無難だった。賄賂や税関の問題などはグルジアより少ないらしい。
アルメニアには、観光客がかなり少ない。飛行機で入るのは大体モスクワ経由で、やや高い。一番安いが時間かかる方法は、トルコからグルジア経由行くことだ。グルジアと同じく、アルメニアを旅行するのはものすごく時間かかる。例を挙げると、ゼワン湖からエレバンまでの70キロの距離を踏破するのは列車で3時間と乗合タクシーで2時間かかる。だが、アルメニア人達は客に対して心が広くてとても優しいので、途中でアルメニア人に会うのはアルメニアの一つのハイライトだ。グルジアと同じく、観光客はアルメニア人より高い値段を払うことがない。アルメニア語またはロシア語出来る人にとって、楽しみは2倍になる。

5,000ドラムのお札

アルメニアの通貨はドラムと呼ばれている。ドラムが導入した後、インフレは最初に激しかったが、現在は安定だ。100円は約400ドラムだ。エレバンには、少なくとも2機の現金自動支払機がある。一つは、ホテル・アルメニアの隣にある銀行に入っている。そこには、クレジット・カードが使える。現金として、ドルを持っていったほうが良い。残ったアルメニアのお金は、国内なら簡単にドルなどに両替できる。アルメニアは隣国のグルジアと同じように安い。交通代や生活費などの価格は低い。エレバンには、安宿がないらしい。だが、民宿で泊まることができる。しかも民宿で泊まると、アルメニアでの滞在は何倍も楽しくなる。アルメニアは小さい国なので、ナゴルノ・カラバフ以外にはほとんど全ての場所はエレバンから日帰り旅行して見える。
北西の広くて木が全然ない景色・東南の山地・真中のセワン湖・賑やかなエレバンの付近の文化遺産等―アルメニアは非常に魅力的な国である。残念ながら、私は三日間しかアルメニアにいなかった。ふとした出会いみたいであった。3週間以上アルメニアを旅行してもつまらなくなる可能性が低い。しかも、グルジアと比べて、バス・列車・郊外などのところは安全らしい。アルメニア人はグルジア人より落ち着いたという感じがしたが、両国には人はものすごく優しいというのは共通点だ。

リンク集

  • www.mfa.am: アルメニアの外務省の正式なホームページ。英語あり
  • www.haias.net/: 英語のページ。写真なども綺麗で、情報が多い。
  • weecheng.com/europe/caucasus/: シンガポール人の旅行日記…他の国の旅行記も大変お勧める。英語のみ

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