トルコ:ボスポラス海峡

第15日 | 第16日: ボスポラス海峡

イスタンブールから黒海の海岸までのボスポラス海峡沿いの風景はどんな感じだろうかというのは本日のターゲットであった。そのため、起きた後に直接エミノニュの桟橋へ行った。そこから、ボスポラス海峡を遡って黒海に近いアナドル・カヴァウ(Anadolu Kavagι)行きフェリーがある。そのフェリーは、一日中4回出発する。ボスポラス海峡沿いには、見所が多い。昔から、このイスタンブールの金持ちの人と強力のある人は海岸沿いの風景を高く評価して立派なお城や華麗な別荘などを造った。要するに、現在にも古い家と新しく造った家もボスポラス海峡沿いに並んでいる。そのうち、ルメリ・ヒサル(Rumeli Hisarι)というスルタン・メフメット2世が建築した要塞がある。昔話によって、この要塞は1453年に勃発したコンスタンティノープル戦争のときにただ4ヶ月間の間に備えられたものだと言われている。

 

窓で反映されるモスク、イスタンブール

 

その他、二つのボスポラス海峡の上に掛かっている膨大な橋も感銘を与える。アナドル・カヴァウについたとき、思いがけない喜びがあった。この小町は、海の幸が大好きな人にとって天国だ。桟橋の周りには、無数の魚料理のレストランが並んで、それ以外は新鮮な魚や貝類などを売る店もとても多い。 当然ながら、レストランや店のある地区は中々うるさい。レストランが多いので、競争は激しくて客引きが多い。だが、イスタンブールのスルタンアフメットの周辺の客引きと比べてあまりしつこくない。選択肢が多いが、全てのレストランを知らないから、どっちにも入っていいと思って勝手に少し離れているレストランに入ってみた。多国語のメニューがあるので注文するのは簡単だ。魚は本当に新鮮で、作り方も大丈夫だった。しかも二人で飲み物付き1600円ぐらい払った。新鮮な料理で雰囲気もとてもいいのでいい値段だ。それに加えて、サービスはとても早かった。フェリーの到着時間と出発時間の間の時間は少ないので、確かにそういうはずだ。イスタンブールの住民のうち、この場所はなぜそんなに人気のあるかというのはよくわかる。フェリーで帰ったとき、船内には二人の若い音楽家がいて、すごくうまい音楽でお金を稼いでみた。

 

ボスポラス海峡の上にかかっている橋

 

帰りながら、フェリーにある喫茶店でコーヒーを飲もうとした。一つのコーヒーは150万リラになる。私は1000万リラのお札で払いたい。そしてウエイターからお釣として600万リラをもらう。ちょっと待って…1000マイナス2×150は700ではないだろうか!?もしかしてトルコの計算は違う?私は「残りの100万リラは?」とウエイターに聞いて、彼はニヤニヤして「チップじゃない!?」と答えた。猛々しいウエイターだった。チップを出す可能性はそうするとゼロになって、譲らなかった。彼はこういう厚かましい態度でチップをもらえるのは信じられないけど、彼はそれをやってみたので儲かるらしい。

  イスタンブールに戻った後、グランド・バザール(Kapalι Carsι)を狙った。そのバザールは昔より小さいが、それにもかかわらずトルコの一番大きいバザールだ。バザールの前、無数の洋服などを売る人がいたが、突然皆はあっという間に荷物を一緒に積み込んで、荷車に置いて一生懸命逃げた。警察だ。そういう行商人(走商人のほうがあってると思うが)はやはり万国共通だ。一番気に入った行商人が台北で見えたと思い出した。

 

魚がうまいレストランが並ぶアナドール・カヴァジュ

 

バザールは屋根の覆われて、正門がちゃんとある。だが、着いたときにがっかりした。日曜日なので、バザールは開いていない。イスタンブールのバザールは観光客が多いので、やや高いが本当に見応えのあるところだと1995年に行ったときに思った休日なのでしょうがなくて、バザールを一周して門の前にある店に入ってみた。その一つの土産の店の店長はとてもいい人だった。すぐ面白い話になったが、私たちは何かを買いたいかどうかということに全く興味がなかった。それはおかしかった。彼の店の中でお茶を飲みながら、ロシアのすごいお金持ちらしいカップルが入ってきた。そのカップルは沢山の土産を選んで、店長はすごい金額を徴収した。全部を高すぎる値段で売った。私たちのほうに向けて「お金持ちだからいいじゃん!」と言った。確かに商売がうまい人だ。

話はずっと続いて本当に面白かったが、実は私はトルコの水パイプを買いたかった。そのため、彼の話を中断して、「買いたいことがあるんですけど」と言った。お土産の店で、バザールふうなので値段が書いていない。ある綺麗な水パイプを選んだ。彼は「私は観光客にいつも’このパイプはとても古いです’というが、実はそれは全然古くない。ただ古そうに作られている」と言った。それにもかかわらず、そういう長くて銅製の水パイプはきれいだ。彼は私に「君だから仕入値段で売ってあげる」と言った。そういう言い方はイスタンブールやカイロ、エルサレムなどのところで何回も聞いたことがあって信頼しないが、この人の場合だけで信じた。詳しく言うと、その高さが50センチの銅製の水パイプは28ドルになった。それは本当にいい値段だと思って、信頼して値切らなかった。その後、観光客が多い地区で同じパイプを見て、あそこの店の値段は60ドルだった。

夕方になると、絨毯の店に入ってしまった。そこで、キリムというトルコ風のデザインが面白い絨毯みたいなものが目立った。化学繊維から造ったものなので、あまり上品ではないと言える。だが、トルコで絨毯を買うのは中々難しくて、ぼられる可能性はとても高い。絨毯を買うときには、何が大切だということをわからなかったら大変だ。糸の質や、造りかた、そして色などに気をつけないと値段がわからなくなって高すぎる値段を払うのは避けない。選択肢も多いし、当然ながら絨毯を売る人は弁舌さわやかなので絨毯を買うのはやや苦しい。結局1畳以上のキリムを選んで70ユーロ(約8000円)で買ったが、それはいい値段かどうかというのは相変わらずわからない。

夜には、スルタンアフメットというモスクの辺を歩いて、道路からレストランのステージの上に踊っているメヴラーナ(英語で”whirling derwishes”と呼ばれている)という舞踊の演奏が見えた。白いカフタン(中近東の丈と袖の長いゆったりした衣服)で赤いフェスというトルコ帽を被っている男の人はただぐるぐる回っているという舞踊だ。数分後を回っても倒れず、そして吐かず続いているのは確かにすごいが、本当を言うと、私にとってはこのメヴラーナ舞踊は今まで体験した舞踊のうち、一番つまらなくて意味がわからない舞踊だった。多分ただ観光客のために作ったギャグだ。

残念ながら、本日はこの短すぎる旅行の最後の日だった。旧ソ連の南カフカスとトルコと言う全然違う二つの世界を一周して、行った地域と都市は全てお勧めだという結論を出したい。

動き方

イスタンブールとアナドル・カヴァウの間のボスポラス海峡を溯るフェリーはエミノニュ桟橋から一日間に4回出発する。所要時間は約2時間で、一人の往復の運賃は500万リラ(400円以下)だ。

宿泊所

ジェム・ホテルで。詳細は第1日参照。

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